史跡

東京大学発祥の地・学士会館

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何とも、いかめしい1928(昭和3)年5月20日に開業した学士会館は旧帝大である北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学出身者の親睦と知識交流を目的として造られた施設です。

宿泊、レストラン、会議室、結婚式場がありますが、旧帝大出身者でなくても利用が可能となっています。

この地にあった東京大学の前身である東京開成学校があった事から東京大学発祥の地と言われているようです。

東京開成学校は、江戸幕府の洋学校「開成所(かいせいじょ)」を改称したもので、有名な開成高校、開成中学とは歴史的なつながりは無いようです。

我が国の大学発祥地

当学士会館の現在の所在地は我が国の大学発祥地である。

すなわち、明治十年(一八七七年)四月十二日に神田錦町三丁目に在った東京開成学校と神田和泉町から本郷富士町に移転していた東京医学校が合併し、東京大学が創立された。

創立当初は法学部・理学部・文学部・医学部の四学部を以て編成され、法学部・理学部・文学部の校舎は神田錦町三丁目の当地に設けられていた。

明治十八年(一八八五年) 法学部には文学部中の政治学及び理貯学科が移され法政学部と改称され、また理学部の一部を分割した工芸学部が置かれた。

このようにして東京大学は徐々に充実され明治十八年までに本郷への移転を完了した。

従って、この地が我が国の大学発祥地すなわち東京大学発祥の地ということになる。

明治十九年三月東京大学は帝国大学と改称され、その時、それまで独立していた工部大学校と工芸学部が合併され工科大学となり、その後東京農林学校が農科大学として加えられ、医・ 工・文・理・農の六分科大学と大学院よりなる総合大学が生まれ帝国大学と名付けられた。

更に、明治三十年(一八九七年)には京都帝国大学の設立に伴い、東京帝国大学と改称された。

その後明治四十年に東北帝国大学、明治四十四年に九州帝国大学、大正七年に北海道帝国大学、昭和六年に大阪帝国大学、昭和十四年に名古屋帝国大学が設立された他、戦後なくなったが大正十三年に京城帝国大学、昭和三年に台北帝国大学がそれぞれ設立された。

昭和二十二年(一九四七年)に至って、右の七帝国大学はそれぞれ東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大阪大学、名古屋大学と呼称が 更された。

明治十九年七月創立の学士会は以上の九大学の卒業生等を以て組織され、その事業の一つとして、当学士会館を建設の経営に当っている。

平成三年(一九九一年)十一月 学士会

 

 

同志社大学の創立者として知られる新島襄は、学士会館付近の上州(群馬)安中藩江戸屋敷内で生まれたとのことです。

学士会館の敷地内に碑があります。

新島襄先生生誕地記念の碑

京都同志社の創立者 新島襄先生は一八四三年(天保十四年) 上州安中藩主 板倉伊豫守の江戸藩邸に誕生せられた先生は幕末における国家多難の際、わが国の前途をうれいキリスト教の信仰と海外事情研究を志して二十一オ(一八六四年)函館より密かに脱国、米国に渡航し新英州キリスト教文化の根本を体得せられた。

母国日本の隆盛をはかるためには、単に法律、政治、経済の改革のみによって達せられるものではなく、人民の一人一人が「知識あり品位あり自ら立自ら治め」うるものであり「良心の全身に充満したる丈夫」となることによってその目的を達しうるものであることを痛感せられた。

留学十年、一八七四年(明治七年)帰朝、翌七五年十一月二十九日、京都に同志社を建てキリスト教をもって徳育の基本とした教育のためにその生涯を捧げられた。

この碑は新島襄先生生誕百年を記念して建てられたが、神田錦町出身偉大な先覚者をしのび、この解説を掲示するものである。

昭和四十年十一月

 

日本に初めて野球を伝えたとされるホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、2003(平成15)年に建立された「日本野球発祥の地」のモニュメントです。

亡くなった方も過去に遡って殿堂入りするのですね。

碑文

この地には、もと東京大学およびその前身の開成学校があった。一八七二(明治五)年学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏(一八四三〜一九二七)が学課の傍ら生徒達に野球を教えた。この野球は翌七三年に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本格的な試合ができるまでに成長した。これが「日本の野球の始まり」といわれている。七六年初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っている。ウィルソン氏はアメリカ合衆国メイン州 ゴーラム出身、志願して南北戦争に従軍した後、七一年九月にサンフランシスコで日本政府と契約し、来日。七七年七月東京大学が発足した後に満期解約、帰国した。同氏が教えた野球は、開成学校から同校の予科だった東京英語学校(後に大学予備門、第一高等学校)その他の学校へ伝わり、やがて全国的に広まっていった。二〇〇三年、同氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。

まさにこの地は 「日本野球発祥の地」である。

 

用が無ければ、めったに行くことのない学士会館ですが、なかなか味のある外観で、建物好きの方は見ていて飽きないと思いますよ。

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