美術館/博物館

國學院大學博物館:日本文化と歴史の宝庫

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國學院大學博物館は、東京都渋谷区に位置する國學院大學のキャンパス内にある博物館です。

この博物館は、日本の文化と歴史を深く理解するための貴重な資料を収集・保存し、学術的な研究成果を一般に公開しています。

 

歴史と背景

國學院大學博物館の起源は、1928年に創設された考古学陳列室と1963年に設立された神道学資料室に遡ります。

これらの施設が統合され、2013年に現在の博物館が発足しました。

博物館は、考古学や神道に関する資料を中心に展示し、日本文化の多様性と深さを紹介しています。

 

常設展示

博物館の常設展示は、以下の3つのゾーンに分かれています:

 

考古ゾーン:日本列島の歴史を考古学的視点から紹介し、土器や土偶などの貴重な遺物を展示しています。

 

神道ゾーン:神社や祭礼に関する資料を展示し、神道の歴史と文化を探ります。

 

校史ゾーン:國學院大學の歴史と学術資産を紹介し、大学の歩みを辿ります。

 

1        屋外展示

箱式石棺

千葉県佐倉市大篠塚 大篠塚2号墳出土

古墳時代 (後期-終末期)6世紀-7世紀

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印旛沼へ注ぐ鹿島川の中流域に所在する大篠塚2号墳は、古墳時代後期 終末期における全長約30mの帆立貝式前方後円墳である。

くびれ部中央に長さ約1.7m・幅約0.75mの箱式石棺は、緑泥片岩の板石を6枚組み合わせたものであり、 少なくとも3名ほどの人骨が合葬されていた。

既に盗掘を受けていたが、直刀・刀子・鉄鏃の残片や、 銀環も発見されている。

このような例は、 「常総型古墳」と呼ばれることもある。

國學院大學周辺の歴史

渋谷川を望む東渋谷台地の本学周辺では、 縄文時代から古墳時代の遺跡が確認されている。

台地の縁辺には、古墳時代の横穴墓群も営まれていた。

当館では、國學院大學構内遺跡 (渋谷区No.74遺跡)の出土遺物を収蔵する。

近世・近代の氷川裏 (若木町)、 常磐松には薩摩藩下屋敷や、 皇室御料地、 東伏見宮邸、 李健公・ 李鋼公邸、 朝鮮人女学生寮の鴻嬉寮なども置かれた。

本学は、 大正12(1923)年に飯田町から移転し、今日に至っている。

2        考古ゾーン

縄文時代としては有名な新潟県で出土する火焔型土器です。

山梨で出土する水煙文土器も有名です。

弥生時代の青銅器祭祀

弥生時代になると、朝鮮半島を経て稲作農耕の技術がもたらされ、次いで青銅・鉄で作られた道具も伝来した。

弥生時代中期になると、北部九州の王墓に、銅剣・銅矛・銅戈(どうか-武器)といった武器形青銅器や銅貨をはじめとする財が副葬されるようになる。

西日本から中部地方にかけては、墳墓に青銅器を副葬する風習こそ普及しなかったものの、谷間の斜面や、山麓・山屋における巨岩の下などに、銅鐸、武器形青銅器を埋納した遺跡が多数残されている。

山ノ神遺跡

山ノ神遺跡は大神神社の敷地内に位置し、 大正7(1918)年5月開墾時に発見され、 同年8月には高橋健自、 西崎辰之助によって調査された。

記録によれば、 大きな岩が重なりあい、 拳大の河原石が敷き詰められていたことや、 勾玉や小型の土器など数百点にのぼる遺物が出土したことがわかる。

調査当時は古墳と考えられていたが、現在で磐座(いわくら)祭祀跡として広く知られている。 現状では遺跡周辺は整備されており、 検出当時の様子を窺い知ることはできないが、ここでは測量図と写真から磐座の検出当時の様相を復原した。

大神神社(おおみわ じんじゃ)の祭祀(さいし)遺跡・遺物と神道祭祀

神道と農耕は深いかかわりを持つが、 具体的な神まつりの発展過程の解明は、 考古学の成果によるところが大きい。

大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る大神神社 (奈良県) の鎮座する三輪山からは、 「磐座(いわくら)」 と呼ばれる岩をまつりの場とする山ノ神遺跡が発見され、かつ、 子持勾玉や臼や杵のミニチュアといった遺物も出土している。

これらは神道祭祀のルーツに迫る重要な資料である。

武人埴輪修復記念

ハニワ

-その調査と修理-

もあるぞ!武人埴輪

Haniwa!

会期 2024 10.29 Tue ~ 2025 1.26 Sun

國學院大學博物館が収蔵する埴輪の中には、 古い修理の補填材に劣化がみられるものや、欠損部分と修復部分の見分けがつかないものがあり、 現在の知見と大きく異なる姿に造形されているものも少なくない。

近年当館では、こうした収蔵資料の現状を確認するとともに、 過去に行われた修復を再検討し、改めての解体・調査 修理を進めてきた。

そこで今回は、 重要美術品である埼玉県熊谷市野原古墳群出土人物埴輪 (武装男子) の修理完了を記念して、修理済の埴輪、 解体作業中の埴輪、そして今後の修理を予定している埴輪などについて紹介する。

埴輪とは何か

有力者の墓である古墳を飾った埴輪は、弥生時代後期における吉備地方の墳丘墓に供えられた特殊壺・特殊器台のセットに起源する。

古墳時代になると、壺形埴輪・円筒埴輪となり、ほどなく両者が合体した朝顔形埴輪も生まれた。

なお、古墳時代前期のうちに、蓋 (衣笠) ・盾をはじめとする様々な「財」を象った器財埴輪や、家形・ 鶏形埴輪などが登場。

さらに中期半ば以降は、 人物埴輪・動物埴輪も盛んに作られるようになった。

人物埴輪 (武装男子)

埼玉県熊谷市野原古墳群出土

古墳時代後期・6世紀

昭和5(1930) 年に、いわゆる「踊る埴輪」とともに発見された。

東京帝室博物館に送られた後、 発見者の元に返還。 金鑚神社の金鑚宮守宮司を経て、國學院大學に寄贈された。

令和3 (2021) 年度に解体調査を行い、 類例などを参照しつつ令和4 (2022)年度に再修理。

今回の修復では、 胴部の内面を観察できるように、 頭部と腕部の取り外しを可能にした。

また、冑部の復元部分の右半分を外して、頬当に隠れている耳環を観察することもできる。

埴輪についての展示は以下の記事でも報告しています。

かみつけの里博物館   「古墳王国・群馬」--大人の休日倶楽部 吉永小百合の足跡をたどって—

釈迦堂遺跡博物館    中央道のPAから行ける「釈迦堂遺跡博物館」

 

 

 

 

 

 

 

 

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