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富士の地下水が湧き出す静岡清水町の柿田川湧水群

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柿田川公園は、静岡県清水町にある自然公園です。1986年に開園し、柿田川の上流部を中心に自然保護と憩いの場を提供しています。

公園内には、湧き水が見られる展望台や湧水広場があり、夏には水遊びを楽しむ家族連れで賑わいます。また、八つ橋と呼ばれる散策路では、柿田川の流れを眺めながらゆっくりと散歩することができます。

柿田川は「日本三大清流」の一つとしても知られており、その美しい湧き水は国指定天然記念物にも指定されています。

 

公園は国道1号線沿いにあります。

交通量の多い道路脇に、自然豊かな湧水群があるのはちょっと不思議です。

 

1        柿田川湧水のしくみ

  1. 富士山周辺に降った雨や雪どけ水が地下にしみこむ。
  2. しみこんだ地下水は、水を通しやすい三島溶岩流と水を通しにくい古富士泥流の表層の間を約 26~28年 (諸説あり)の月日をかけて、ろ過されながら流れていく。
  3. 柿田川公園付近で一日約110万トン以上の日本一の水量、水質を誇る名水が湧き出ている。

柿田川の水

水道水の種別では1級にあたるとてもきれいな水です。

豊富なカルシウムが含まれており飲みやすい軟水です。

 

 

2        第1展望台

第1展望台からの眺望

ここは柿田川の最上流部です。富士山など上流に振った雪や雨が地下水となって国道下から忽然と湧き出る、大小数十か所のわき間を見ることができます。

また、12月には遡上してきたアユなども見ることができます。

天然記念物 柿田川湧水群

源は約40km北方の富士山に降った雨や雪である。

これらが地下水となり三島溶岩流の間を長い年月(十数年といわれる)を経て流れ、ほぼ無菌で適度にミネラルを含む、日本有数のすばらしい湧水となり、ここに湧き出している。

全長約1200m、狩野川と合流し、駿河湾に注ぐ。

水質 PH7・2、色度0、濁度0、溶存酸素9・5前後、電気伝導度約14ms/m、水温年間15度C前後

  1. 全川全て湧水。湧水量約120万トン/日。

湧水口は数十ヶ所、主として上中流部の集中。

  1. 陸上~水辺~水中に至る連続した植物相が見られる。
  2. 都会の清流流域はケヤキ、エノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、シイ等の豊かな温帯性広葉樹林に囲まれ、清流にしか生息しないホタル等の昆虫、アユ等の魚類、かつて田園地帯に見られたハンノキ、トウカイタンポポ、セリ等、市街地から消えつつある動植物が多数見られる。

「貴重な動植物 ミシマバイカモ、オオアカウキクサ、ヒンジモ、ニホンカワヂシャ、ナガエミクリ、カワセミ、ヤマセミ、ゲンジボタル、ヘイケボタル、アオハダトンボ、ホトケドジョウ、ウツセミカジカ、アマゴ。

カキダヒメトビケラ等の新種の水生昆虫も発見されている。

  1. 静岡県東部(沼津市、三島市、熱海市、函南町、清水町)約35万人の飲料水。

柿田川湧水群は世界に誇る貴重な湧水河川です。

湧水や動植物を保護し、後世にこの貴重な自然を残していきましょう。

公益財団法人 柿田川みどりのトラスト

柿田川湧水のしくみ

富士山周辺に降った雪や雨が地下に浸透し、柿田川に湧き水として湧き出しています。

この湧き出す期間は、 諸説ありますが、 国土交通省のトリチウム濃度の分析によると26~28年という推定値が出ています。

柿田川で見られる生物

清流に住むアユ科の淡水魚で、 全長は約30cmに達します。 体は流線型で脂びれ(あぶらびれ)をもっています。川にさかのぼって来た成魚は1mほどのなわばりを作り、川底の石に付着した藻類を食べて生きています。

3        第2展望台

第2展望台

第2展望台からの眺望

ここの湧き水は、 昔、 紡績工場が井戸として利用していたものです。 日の光と砂が思わぬ水の色を作り出しています。 一定の水温を保ち、 水位もほとんど変わらないため、 手付かずの河川の姿を今日まで残しています。

 

柿田川湧水のしくみ

都市河川でありながら、比類のない水質を誇る柿田川は、 富士山系の伏流水です。 約8500年前の富士山の大爆発で大量の溶岩がこの柿田川の上流まできました。 「三島溶岩流」と名付けられたこの溶岩は、多孔質層で水を通しやすいという特徴をもっています。 その下の古富士火山の表層が水を通しにくいという特徴があるため、 富士山周辺に降った雨や雪が三島溶岩流の間を地下水となって流下します。 約40キロ離れた清水町の国道1号の直下から、 こんこんと湧き出る水量は、 1日約100万トンと推定されます。

 

公園を代表する観光スポットです。

井戸跡の底から自噴する水の色が澄んだ青色をしていて美しかったです。

火山がもたらす柿田川の湧水

約10万年前、伊豆と本州の境界付近に富士火山が誕生しました。

富士山は、約1万年前を境に新富士火山と古富士火山に分けられています。

新富士火山がはじまったばかりの約1万年前の噴火では、 愛鷹山と箱根にはさまれた谷を大量の溶岩が流れ下り、 現在地付近まで到達しました。

三島駅周辺に露出する 「三島溶岩」と呼ばれるこの溶岩は、 柿田川付近ではその後の土砂などよって地下数10mに埋もれています。

富士山の雪解け水や雨は、亀裂やすき間の多い新富士火山の溶岩や火山灰の中にしみ込み、水を通しにくい古富士火山などの地層の上を地下水として流れ下ります。

三島溶岩の中を流れてきた地下水は、 溶岩の末端に近い三島付近から柿田川にかけて豊富な湧水をもたらしています。

4        貴船神社

貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都市左京区にある神社で、特に水の神様を祀っています。古くから雨乞いや水の恵みを祈る場所として知られています。

ここは、その京都の貴船神社のから御霊分けされたものです。

 

貴船神社

所在清水町伏見泉頭

古来より、泉川の清冽な湧水にちなみ京都市左京区貴船川上流の深山幽谷の地にある貴船神社から御霊分けされたものである。

祭神は高龗神(たかおかの神)で水の神である。

この神は祈雨、止雨の神雨の少ない時は雨を降らし、雨の多い時はこれを止める新たな神である。

尚、この地は戦国時代に北条氏が造った泉頭城西の丸にあたる。

5        八つ橋・湧水広場

八つ橋

公園の散策路として利用されています。 また八つ橋から柿田川中流の優雅な流れを見ることができ、 ここでも豊富な湧水を感じることができます。

 

湧き間

公園内においても大小さまざまな湧き間を見ることができますが、通称船付場と呼ばれる湧き間にはかつて製紙会社が使用していた2つの井戸の跡からきれいな水が湧いています。

 

湧水広場

夏になると水遊びを楽しむ親子連れでにぎわいます。

 

6        泉頭城跡

泉頭城(静岡県清水町)

泉頭城(いずみがしらじょう)は柿田川の水源地泉頭に築かれた戦国時代 (15~16世紀) の城郭 (平城) です。

城域は東西400メートル、 南北500メートルあり、ニノ洞と三ノ洞に区切られた中央の本曲輪を中心に、 これをとり囲んで北ノ曲輪、 東ノ曲輪、 西ノ曲輪、 舟付曲輪小郭、 第六天曲輪、 南ノ曲輪があり、 水源地の西側に堂ノ口出丸が築かれています。

それぞれの曲輪は泉ノ川と自然の深い洞、 人工の空堀で防禦されており、土橋と木橋で結ばれていました。

この城は戦国時代の終わり頃には小田原後北条氏の持城で伊豆を守る国境の城としての役目をはたしていました。

永禄12年(1569年) 後北条氏は家臣多目周防守と荒川清兵衛を城将とし、 清水町の戸倉城、 三島の伊豆徳倉城と連絡して甲斐武田信玄の侵攻に備えました。

天正8年(1580年) 武田勝頼の攻撃には、 荒川豊前守、 大藤長門守、 多目権兵衛を城将とし、それに高橋、一南の足軽大将が各々百騎づつ従えて城を守り戸倉城とは、 舟で連絡していました。 天正9年(1581年) 戸倉城が武田軍に降参すると、 泉頭城のまわりの村々は武田軍の安井治太夫らの手によって焼き払われてしまいました。

天正18年(1590年) 豊臣秀吉の小田原征伐が始まると、後北条氏は泉頭城を破壊し、 城兵は韮山城と山中城へ引き上げました。

元和元年(1615年) 徳川家康は泉頭城の城跡が大変気に入り、自ら老後の憩いの場所と定め、家臣土井利勝、本多正純に隠居所造営を命じましたが、 翌年草々、 急遽中止となり、隠居所は駿府 (静岡市) へと変更されました。

その後城域はまわりの村人によって開墾され田や畑になりましたが、 大正の頃まで城跡はよく残っていたということです。

現在城址の一部は柿田川公園として多くの人々に親しまれています。

 

7        柿田川とうふ

とうふアイスはこんな感じ。

足り前ですが、とうふの味がしました。

 

 

豆腐店の前の水場は柿田川の湧水が飲めます。

 

8        高野二三の母屋

この地で製紙会社を運営していた高橋二三の邸宅跡です。

高野二三(胸像人物)

明治十六年、福井県今立町の和紙漉きの家に生まれました。

製紙に適した水を求めて富士山麓を探索し、柿田川の水が最適であると決め昭和六年当地に高野製紙所を設立しました。

現在の町営駐車場の場所に高野製紙所があり境川から水を引き柿田川に井戸を掘り、汲み上げた水で特殊な紙(海図・壁・襖などに使う和紙)を作り、作られた和紙は施設内にある蔵に保存されていました。

昭和十五年十1月二十日建設

高野二三の母屋

この建物は昭和十二年高野二三がこの地に製紙会社を設立に当たり住居として建てられました。

高野二三の生誕地が福井県のため使われている木材はすべて福井県産を使用し職人も呼び寄せ越前の風土に適した構造で建築されました。

一、二〇〇坪の庭園には茶室も設けられています。

高野邸池泉回遊式庭園

この庭園は、昭和十二年高野家邸宅完成と同時期に池泉回遊式庭園として、高野二三初代当主により作庭された庭園です。

この庭園の特徴は、豊富な湧水を利用し池泉周囲の水岸、庭橋、樹木林を歩いて鑑賞できるよう回遊路を造り、鑑賞点、視界の変化に心を尽くすよう作庭されております。

又、風景要素の重要なポイントとして滝を造り、建物から見て中央には日本庭園として重要な役石である大形の平石を排石として配しておりこの石の上に立ち全般を見渡しますと、池の中には亀石を二か所に配し、雪見燈籠の脇には鶴の銅像を設置して、鶴亀のめでたい庭に造られていることが良くわかります。

 

9        公園の駐車場にある水酌み場

皆さん列をなして順番待ちしていました。

おまけ、富士山です。

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