松島離宮は、日本三景・松島の観光拠点として2020年に誕生した複合施設です。
宮城県松島町、JR松島海岸駅前に位置し、かつてマリンピア松島水族館があった跡地に建設されました。
木造2階建ての施設には、松島湾を表現した離宮庭園や屋上展望台「天空のピクニック」、地域文化を紹介する博物館、グルメやお土産店が揃います。
夜には庭園ライトアップが行われ、幻想的な景観を楽しめます。
松島離宮へはJR仙石線 松島海岸駅から向かいます。

目次
1 解脱院(げだついん)
松島離宮に行く前に、道を挟んで向かい側にある解脱院に立ち寄りました。


解脱院·地蔵菩薩坐像
堂は江戸時代初期に建造。屋根は宝形造の家です。
堂は最初、五大堂の裏手の丘にあり、寛永17年(1640. 一説に寛永19年)に瑞巌寺第99世雲居希膺(うんごきよう)によって、水族館の場所に移され、
昭和12年、水族館の建設によって現在の地に移されました。
本尊の地蔵菩薩坐像は、別には造営者の名前にちなみ真山地蔵とも呼ばれ、彫刻年代は不明です。
高さ105cmのヒノキ造で、右足を左腿にのせ、 左足を垂れた形の半跏像です。
金箔が施されていて、造られた当時の輝きを留めています。
地蔵菩薩は見られませんでしたが、SNSでは、赤い服を着て金色の菩薩様でした。
そしてこの周りにも、洞窟遺跡が沢山あります。

凝灰岩の様子がよく分かるので撮ってみました。


2 松島離宮


松島離宮 (まつしまりぐう)
松島離宮 (まつしまりきゅう) 内に大山咋神(おおやまくいのかみ) を祀る日吉山王神社の氏社で例祭日が3月11日、松島離宮 (まつしまりぐう) 創建。
日吉山王神社は宮城県宮城郡松島町松島字町内に鎮座している神社で、天長5年(828) 慈覚大師が延福寺創建のときその護神とし近江坂本(現滋賀県) の山王社の分霊を勧請し天竜安 (五大堂向いの小高い丘) のほとりに祀ってあったものを寛永17年(1639) 時の瑞巌寺住職雲居禅師によって松島字町内の地に祀られた。
主祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、 相殿に国常立神、 日仲彦神、 伊弉神を祀っている。
日吉山王神社は平安時代初期の天長5年(828)、慈覚大師円仁が延福寺 (瑞巌寺の前身)を開山した際、鎮守社として日吉大社 (滋賀県大津市坂本)の分霊を勧請したのが始まりとされております。
離宮の中には子供の遊び場があります。
暑い夏に遊びに来ている家族連れで一杯でした。




希望の鐘 - カリヨンベル-
1796年創業・ フランスの老舗鐘メーカー Paccard社製のカリヨンベル
パリサクレクール寺院にあるフランス最大の鐘 「Savoyarde」
米ケンタッキー州の世界最大のスイングベル「ワールドピース・ベル」
Paccard 社製のカリヨンベルは、世界の平和、 幸せを願う音色を奏でます。
松島離宮では、この平和を願う希望の鐘 カリヨンベルを幸福と鎮魂の願いを込めて、 高さ 3.8mのモニュメントに設置しました。
このモニュメントの高さは、2011(平成23)年3月11日 16時40分、東日本大震災 (松島町/ マグニチュード 9.0/震度6弱 )の際にこの松島町に到達した津波の高さを表しています。
ぜひ皆様も世界の平和、 人類の平和を願い、この希望の鐘- カリヨンベルを奏でてみてください。
カリヨンベルは、音色を揃え調律した青銅製の鐘を複数組み合わせ、鍵盤を使ってメロディーと和声を演奏するものです。
ここでは一つなので、単にベルなのかな?



「松島パークホテル」のシンボルであったレツルタワーの復元建物です。
レツルタワーここに復元・・・日本唯一木造十角三重塔の物語
1909年(明治42年)、宮城県において、 松島を観光地として整備する松島公園計画が立案され、 松島への外国人観光客の招致を目指したホテルとして、チェコ人の建築家ヤン・レツル氏の設計により 「松島パークホテル」1913年(大正2年)8月15日に開業しました。
当時の宮城県知事であった寺田祐之知事により 「松島パークホテル」の設計に起用されたヤン・レツル氏は、のちに赴任する寺田氏の広島県知事時代に、世界遺産にも登録されている広島県物産陳列館 (現在の原爆ドーム)の設計に起用されたことはあまりにも有名であります。
のちに昭和天皇・香淳皇后や相対性理論のアインシュタイン博士もお泊りになられた 「松島パークホテル」は、正面にそびえ立つ十角塔が象徴的で、松島の景観に調和させるために純和風・寺社建築の様式が用いられました。
松島離宮は、この「松島パークホテル」のシンボルでもある十角三重塔を当時の設計図に基づき、 建設業者が通常使う大工道具では造ることが困難な手仕事により忠実に再現しました。
檜の名産で知られる天竜川産総無節檜造。
屋根は銅板拭き。
頂点に輝く相輪は、高さ5m、 京都で仕上げられた総金箔貼り、見るも美しい日本最高峰の相輪に仕上げました。
最上階に佇む欄干は、 松島町内で抽出された漆を職人の手塗りによりその深い 「朱」を表現するために5回重ね塗りされたことにより、 大変趣深い総漆塗りとして存在を示しています。
十角三重塔をより目の当たりにご覧頂くべく、最上階に続く周り階段を塔内部に配しております。
ぜひ最上階までお運び頂き、当時の日本建築の粋の全てをご堪能ください。
新たな日本三景松島の象徴となるべく、 この十角三重塔を「レツルタワー」と名付け、今日まで続く松島観光の礎となる「松島パークホテル」 を設計されたヤン・レツル氏に敬意を表します。
3 震災の伝承板
震災前と後とで湾内の島の形が随分違っています。

3.11 伝承・減災プロジェクト
3.11 東日本大震災伝承板
仙台塩釜港 (松島港区) 災害復旧工事 令和元年 12月
平成23年3月11日に発生した巨大地震は、 三陸沖を震源とするマグニチュード9.0という我が国の観測史上最大規模となり、県内で最大震度7の非常に強い揺れを観測しました。 この地震により、 三陸沿岸で高さ30m、 仙台湾沿岸でも高さ10mを超える大津波が発生し、 県内で1万人を超える尊い人命が奪われるなど、甚大な被害がもたらされました。
私たちは、あの日起きた出来事を「いつかどこかであったこと」ではなく「いつでも起こりうること」であると、それぞれの胸にしっかりと刻み、出来るかぎりの備えを講じていかなければなりません。
4 松吟庵(蕎麦屋)
松島 松吟庵(蕎麦屋)から見た松島海岸


『おくの細道』 松島の旅館
江戸深川の画家 香雪と交山が芭蕉翁の 『おくの細道』の旅を実際に歩き、 文政五年(1822) 本文中に挿画を描いて絵入り本としたもの。
松島一宿の地は、曾良が記した 「久之助主の旅籠」ですが永い間不詳のままでした。
平成15年に、旅籠は「熱田屋」で、跡地は現在の松島 松吟庵の位置であることが解りました。
「奥の細道むすびのち記念館」 所蔵
「奥の細道むすびのち」は、岐阜県大垣市の住吉燈台ですね。

芭蕉宿の袢纏(はんてん)と菓子椀
松島の旅籠は元禄以前より、 扇屋、 菱屋、 熱田屋が有名でした。
曾良の随行日記に 「松嶋に宿す。 久之助と云」 とあるので、芭蕉翁は久之助の宿で月を愛きたと思われます。
この宿は永い間不詳でしたが、 平成15年にこの地が熱田屋跡で、 久之助は熱田屋主人であることがわかりました。
この写真は熱田屋に伝わる所蔵品です。 蜂谷雅美氏所蔵
海岸近くを散歩すると、この一帯が全て凝灰岩でできていることが分かります。


