江東区潮見に旧渋沢家住宅があります。
どうしてここに?と思いましたが、邸宅近くの掲示板にその答えが書いてあります。
もともとは永代2丁目にあった建物を港区三田2丁目に移築。
更に、青森県六戸町に移築。
その後、清水建設により、現在の場所に移築されたようです。
従って、現在の場所は、渋沢には直接縁のない場所です。
江東区指定有形文化財(建造物)
旧渋沢家住宅
~移築によって震災・戦災をくぐり抜けた奇跡の住宅~
潮見2ー8ー20
令和二年一月六日指定(部材)、同六年一月一〇日 指定内容変更
近代日本の産業・福祉・教育などの発展に尽力した渋沢栄一とその家族が、明治から昭和にかけて暮らした住宅です。
栄一は、明治九年(一八七六)に深川福住町(現永代二)に購入した屋敷へ転居し、同一一年に清水屋(現清水建設株式会社)の二代目清水喜助に二階建の「表座敷」を新築させ、同二一年に日本橋区兜町(現中央区日本橋兜町)へ転居するまで暮らしました。
栄一の転居後は、長男篤二、孫敬三の住まいとなりました。
明治四一年(一九〇八)に住宅は芝区三田綱町(現港区三田二)へ移築されました。
また、昭和四~五年(一九二九~三〇)にかけて、敬三によって和館の一部が解体され、洋館が増築されています。
戦後の昭和二一年(一九四六)、財産税を支払うために住宅は国に物納され、国有の施設となりました。
その後、老朽化などを理由に建て替え・解体が計画されましたが、戦時中に渋沢家の執事などを務めた杉本行雄への払下げが平成二三年(一九九〇)に決まり、翌年に青森県六戸町へ移築されました。
その後、清水建設株式会社の所有となり、解体されて江東区内に移送され、時代設定を昭和五年として、令和五年(二〇二三)七月に現在地への移築復原が完了しました。
住宅は数度にわたる移築と増改築を経ていますが、「表座敷」を中心に、それを維持する形で行われました。
階段などに洋風要素を取り入れた「表座敷」には、当初の形態や工法などがよく残されています。
また、和風と洋風とを巧みに調和させた設計と施工技術及び意匠用材の優秀さを備えています。
昭和初期に建設された和洋館並列型住宅として完成された姿を現代に伝える貴重な建造物です。
令和七年二月
江東区教育委員会
栄一と家族
(『渋沢栄一伝記資料』 別巻第 10、 625、渋沢史料館所蔵)
(「表座敷」 で撮影。 前列右から二人目が栄一、 左隣に篤二、両者の後方に敬三)
見学は毎週木曜日に行っているようです。
予約制で、見学月の前々月20日 ~ 前々月末日に申し込み、抽選制です。
見学料は事前カード決済で1000円。
邸宅脇は東京湾の運河です。
涼しくなったら申し込みしようと思います。