三島市郷土資料館は三島市の歴史と文化、人々の暮らしを紹介する博物館です。

2025年の夏は、戦後80周年記念の企画展を開催していました。

企画展の内容です。
三島市郷土資料館
三島市郷土資料館は三島市の歴史と文化、人々の暮らしを紹介する博物館です。
昭和四十六年に開館しました。
郷土資料館には市民の協力によって収集された歴史、民俗等のさまざまな資料が収蔵・展示されています。
中でも次の資料は貴重な文化財として市の指定となっています。
①「三四呂(みよろ)人形」
「三四呂人形」は三島市出身の人形作家、野口三四郎が創作した張り子の人形です。
和紙を重ね貼りして制作した暖かみのある素朴な姿が、 愛らしい童話の世界を作りだしています。
②「三嶋暦」
「三嶋暦」は鎌倉時代頃より明治十六年迄、三島市の河合家で木版を使い印刷されていた太陰太陽暦、旧暦です。
かな文字の美しい版暦(はんれき)として全国的に知られ、江戸時代、三島宿の名物となっていました。
③「月島の夕」
「月島の夕」は三島市出身の洋画家、栗原忠二の描いた油彩です。
東京、隅田川河口の落日の情趣を描いたもので、画面中央の太陽は赤々と空を染め、水面に光を投げてまさに没しようとするところで、太陽の上に月が浮かんでいます。
④「豆州志稿(ずしゅうしこう)」「伊豆海島志(いずかいとうし)」
「豆州志稿」「伊豆海島志」は、三島市安久の秋山富南(あきやまふなん)が江戸時代の寛政元年(一七八九) から十二年の歳月をかけて書き上げた歴史・地理書です。
江戸時代の伊豆地方を研究する上で、最も重要な基本資料となっています。
平成二十五年十一月
三島市教育委員会

夏梅木の力石(なつめぎのちからいし)
三島市夏梅木で使われていました。
写真右が36貫 (135kg) で、写真左が24貫(90kg) あるといわれており、村の若い衆(若者)がカ自慢にもちあげたものです。
かつて、農漁村では「著者」とよばれる組織があり、若い衆が様々な村の行事やお祭りを運営し、共同作業を行い、お互いに研鑽を積んでいました。
力石はそのような若い衆たちの娯楽の力くらべに使われていたものです。

石棺 (楽寿園西口古墳)
右棺とは、死者を埋葬するために使用される石の棺のことです。
石棺には、数個の石を組み合わせて作った「組み合わせ式石棺」と、ひとつの石をくり抜いて作った 「くり抜き式石棺」があり、この石棺は「組み合わせ式石棺」です。
楽寿園西口古墳は、奈良時代頃のものと考えられ、昭和30年(1955) 1月に発掘されました。
この組み合わせ式の舟型石棺からは、男女の遺骨太刀・耳飾玉類・須恵器などが同時に出土しています。





三島宿 復元模型
縮尺 1:700 水平: 垂直 1:1.4
三島宿は江戸時代の東海道、 日本橋より数えて11番目、 箱根宿と沼津宿の間にある宿場です。
江戸時代初期の三島宿は新町橋から大中島まででしたが、 1711年 (正徳元年)に西見付のあった広小路火除土手が境川東岸に運ばれ新しい見付となり、 宿域が西へ広がりました。
この模型は 1830~40年頃(天保年間) の三島宿を復元したものです。
東見付の新町橋から西見付の千貫樋(せんがんどい)まで18町余 (約2km)、 この頃の石高 2632 石余、石高から見ると東海道では4番目の大きな宿場でした。
問屋場 1、 大名・ 公家・役人などが宿泊する本陣 2、 脇本陣3、 一般の旅人が宿泊する旅篭が74軒、 総家数 1025 軒、 人口 4048人でした。
三島宿は東海道を中心に南へ下田街道、 北へ佐野街道 (甲州道) が分かれ、 交通の分岐点でした。
また伊豆を管理する代官所が設けられ、後に三島陣屋として伊豆支配の要となりました。
宿の中央南には徳川3代将軍家光公が上洛のために築かせた館跡である御殿地があります。
三島宿の北には富士山麓からの湧水が何ケ所も湧き出て、 いく筋もの流れとなり街道を横切っていました。 古くから水の都として三島宿は知られていたのです。
(町割図製作協力 中村地図研究所)
町中を水量たっぷりの澄んだ小川がそれこそ蜘蛛の巣のように縦横無尽に残る限なく駆けめぐり、清例の流れの底には水藻が青々と生えて居て、家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、台所の岸をちゃぷちゃぶ洗い流れて、三島の人は台所に座ったままで清潔なお洗濯が出来るのでした。
太宰治『ハイデルベルヒ』より
御殿場泥流
約2,900年前に発生した富士山東斜面の深層崩壊 (御殿場岩屑なだれ) による堆積物がその後、数百年間にわたり土石流となり流下したもの。
泥流中の巨礫は三嶋大社の石垣や、伊豆国分寺七重の塔礎石になど用いられている。
三島七石の「たたり石、耳石、 蛙石、 市子石」もこれに起源する。
三島溶岩流
約1万年前、新富士火山の活動初期に流出した旧期溶岩の一つ。
黄瀬川谷を約30Km流下した。 黄瀬川の河床によく露出している。
地表で観察できる溶岩流末端部が楽寿園周辺~ 鮎壷の滝。
楽寿園や白滝公園では溶岩塚・溶岩トンネル・縄状溶岩・湧水の湧き間が、 雄池 (鏡池) では溶岩樹型と焼けた木から発生した水蒸気の抜け道が観察できる。


企画展の内容はそこそこにして、宿場町の様子や、地質の資料は興味深いものでした。
このあと市内を流れる川に沿って散歩します。
















