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2026年大河ドラマ館『豊臣兄弟!』名古屋中村公園

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名古屋市の中村公園内には、2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送に合わせ、複合施設「豊臣ミュージアム」の一部として大河ドラマ館がオープンしています。

地下鉄東山線「中村公園駅」ではすでに、秀吉ゆかりの戦国武将の影のパネル展示が張られていました。

3番出口から徒歩約10分。赤い大きな大鳥居が目印です。訪問日は2026年2月8日です。

地下鉄の3番出口から地上に出ると赤い大きな大鳥居があります。

ここが、中村公園(豊国神社)への参道で、徒歩約10分で行けます。

大河ドラマ館に行く前にまずはお参り。

豊國神社

明治十八年(一八八五年)の創建。

豊臣秀吉公を御祭神とし、出世、開運、茶道、建設等に御利益があるといわれている。

旧正月の生誕祭、五月十八日の例祭 (太閤祭)前の日曜日には、特に出世稚児行列が、豊太閤にちなみ、子供の成長を願って盛大にくりひろげられる。

そして大河ドラマ館の前には日吉丸とその仲間たちの像が。

では入場。

一部屋と4Kシアターだけ? う~ん入場料高くない?

秀吉、秀長、清正のデザインマンホールが展示されています。

なかなか水道局もやりますね。

参道で見かけました。

大河ドラマ第65作「豊臣兄弟!」は、天下人・豊臣秀吉と共に知略と人望で戦国の荒波を乗り越えた弟・秀長の目線で描く戦国エンターテインメント。

尾張中村の貧しい農家に生まれた小一郎 (のちの豊臣秀長) は、 田畑を耕し土と共に生きる暮らしに満足しながら日々をすごしていた。

ある日、 音信不通の兄・藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が意気揚々と姿を見せる。

若き戦国武将・織田信長に仕官して大出世を目指しており、小一郎に自分の家来になってほしいと願い出る。

城下町の清須に出てきた小一郎は主君・信長と運命的な出会いを果たす。

そして、ついに「桶狭間の戦い」の火ぶたが切られる。

信長の奇跡の大勝利に、武士として生きていく覚悟を決めた小一郎だが、それはピンチと苦労の連続の始まりだった。

戦国乱世を舞台に、 熱い兄弟が夢と希望を胸に突っ走る、 奇跡の下克上サクセスストーリー!

脚本を手がけるのは「半沢直樹」で社会現象を巻き起こした八津弘幸。

秀吉の快進撃を、調整力という武器で支え続けた最強の補佐役・秀長にスポットを当て、絶妙なコンビネーションで戦国の世を駆け抜ける兄弟の姿を、 彼らを取り巻く人間模様を交えながらダイナミックに描いていく。

小一郎が銭を保管していた壺

一家の家。

織田信長の装束。

藤吉郎の衣装

小一郎の衣装

直の衣装

実は戦国時代は日本の歴史の中でも「慢性的な飢饉の時代」だったと知っていますか?

当時の史料を見ると、干ばつ、 洪水、 大風などの自然災害をはじめ、疫病の流行、飢饉を伝える言葉は数多く出てきます。

また、 ある寺の過去帳を見ると、冬の終わりから夏までの食料が収穫できない端境期に死者が多いことが確認できます。

自然環境の研究によれば、 戦国時代が該当する中世後期は寒冷期。

気候環境が変化すれば生産環境も大きな影響を受けますから、それまでの時代と比べ、生き抜くことが難しい時代であったことは間違いないようです。

そのような事態の中、戦国時代が誕生したというのは、必然であったとも言えると思います。

たとえば関東の扇谷上杉氏は、 春から深刻な飢饉に見舞われた年の秋、北条氏康の所領に侵攻しています。

そのねらいは、領土拡大というより、略奪だったのではと疑ってしまうところです。

そして、略奪の主役は、足軽などの下級武士、 百姓たちです。

一方、被害に遭うのも百姓。

奪う者、奪われる者は同じ階層の人たちでした。

戦争が地域を破壊し、さらなる飢饉を生じさせ、 その一方で略奪によって生き延びる。

百姓たちは武士以上に“戦国”を体験していたと言っても過言ではありませんでした。

父親の形見の戦守り。 兄弟がそれぞれ片方ずつ温めた(実は、盗もうとした)信長の草履。

直の置手紙。

兄弟の生家 栄華と盛衰

当時の町家は二間×三間(約3.6m×5.4m)の掘っ立て小屋です。

第1回で小一郎が清須にある藤吉郎の家の狭さに驚いていましたが、 あのサイズをイメージしていただけば伝わると思います。

それに比べると、 中村の家はずいぶん広く感じるかと思います。

実は、兄弟の家は、父・弥右衛門が生きていたころには、 村の有力者で栄えていたという考証に基づいた物語上の設定をきちんと表現しようということになりました。

参考にしたのは、現存する室町時代後期の建築、当時で言うと地方豪族クラスの家です。

ドラマで再現した土間から座敷の段差は一尺五寸(およそ45センチ)。

この時代、土間 (地面)と座敷の段差がある方がステータスでした。

一般的な農家だと、 もっと土間に近い生活だったようです。

しかし、父・弥右衛門が亡くなった後、 兄弟の家は落ちぶれていき、 建物は立派だけど、 維持管理には手が回らないという設定を表現しました。

剥がれたままの土壁などにそれが表れています。

また居間には板ではなく、 “竹すのこ ” を敷きました。

当時、板を使うことは裕福な証しでした。

願いをかなえる不思議な鐘の話   第二回「願いの鐘」

昔々、あちこちの村を荒らす悪党がおって、そりゃあみんな苦しんでおったそうでございます。

ある日、それを憂いた寺の和尚が、村の安寧を願って鐘を鳴らすと、鐘の中から一枚の銭が落ちてきました一度鳴らすと一枚、二度鳴らすと二枚・・・・・和尚は毎日その銭を少しずつ貯めて、村のために使おうとしたそうにございます。

ところがあるとき、寺に隠れていた悪党にそれを見られてしまいました。

悪党は和尚を殺して、その鐘を鳴らしました。

しかし、いくら鳴らして銭は一枚たりとも落ちてきません。

悪党はムキになって鐘を鳴らし続けました。

すると、その音を聞いて駆けつけた討っ手に見つかり、ついに討ち取られたのでございます。

村人たちは、和尚が残した銭で、豊かに暮らせるようになったそうな。

それ以来、その鐘を鳴らすと村からは争いが消え、そののちずっと安泰であったということでござります

兄とともに清須へ向かった小一郎と直をおくる母と姉妹がついた鐘です。

豊臣秀長の原点

約12分

〜かけがえなき故郷・中村~

キャストへの独自インタビューとメイキング映像を通して「豊臣兄弟!」の魅力に迫るスペシャル映像・第1弾!一

何者でもない、名もなき兄弟が、やがて天下統一を成し遂げる“奇跡の物語” がはじまる場所、尾張国・中村。

なぜ小一郎は、かけがえのない生まれ故郷・中村を旅立ち、 侍になる道を選んだのか?

兄・藤吉郎が戦国を生き抜く上で弟を誘った理由とは?

仲野太賀さんと池松壮亮さん、小一郎の初恋の人・直を演じる白石聖さん、そして後に藤吉郎の妻となる寧々役の浜辺美波さんが、それぞれ演じる中で胸に抱いた想いを明かします。

 

ここから先は、「戦国めし×なごやめし」をテーマにした名古屋の食文化紹介。

ストーブで有名な豊臣工業と豊臣秀吉の関係。

実はな~い。

ただ単に、中村出身の創業者の誕生日と秀吉の誕生日が一緒なだけ。

しかも豊臣工業の名前の由来は「田に忠誠を尽くす下」というだけ。

会場の出口付近には 豊臣秀吉誕生の碑

豊臣秀吉誕生の地

天文五年(一五三六年)、豊臣秀吉は、木下弥右衛門の子としてこの地に生まれた。

幼名は小竹、あるいは日吉丸。姉智子(関白秀次生母)は同父同母の姉、小一郎秀長(大和大納言)と朝日姫(徳川家康正室)は、異父同母の弟妹である。

出生地については、区内下中村町という説もある。

参道にある武将の看板

さて、中村公園にはまだまだ見どころがあります。

詳しくは次のブログで。

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