藩政時代からの薬種商であった「中屋薬舗」の建物を、当時の面影を残しながら記念館として公開したものです。
武家屋敷の中にあり、当時お武家様の屋敷の中で、大きな商人が商いしていたことが分かります。
江戸の城下のように武家と商人は別々に生活していたと思われがちですが、必ずしもそうではなく実はこうして同じエリアで生活していた城下もあり、双方でそのメリットを生かしていました。
越前・朝倉氏の城下町「一乗谷」は、混在例として良く知られています。
こちらが入口です。
本来(昔商いをしていたころ)は、正面のガラス戸が解放されているのですが、今は、入館料をお支払いして見学しなくてはいけないので、昔の製薬所の場所にある入口を使って建物右手にある受付を通ります。
現地でいただいたパンプです。
現在の記念館の見取り図です。
昔の店舗の全見取り図です。
現在の建物は十分大きいですが、昔はその3倍も4倍もありました。
続く2枚の写真が店舗の正面です。
正面左側から、お店の奥に回ります。
土間から一段上がった部屋「御上」がなまって「おえの間」と呼ばれました。
「おえの間」に展示された「加賀花てまり」です。
五彩の糸を掛けて作る伝統手芸で、江戸時代に金沢に広がりました。
娘が嫁ぐ際に、手縫いの毬を魔除けとして持たせる習慣があり、その技法を今に伝えています。
様々な模様があり見事です。
まさか、まりつきをして遊んだとは思いませんが、こうして吊って飾ることもあるのですね。
「花嫁のれん」と思われます。
幕末から明治時代から伝わる、加賀藩の能登・加賀・越中で始まった婚礼の風習の一つで、嫁入りの時に嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐるのれんです。
もったいないことに、婚礼に使われた後は出番がなく、箪笥の肥やしになっていたそうです。
2Fに登ると、金沢の老舗の生活諸道具が並べられている「金沢老舗百年展」の展示があります。
説明文に、商家の間取りが短冊形と書いてありますが、城下町を作る際に、商人に与えた土地が全国どこもこのような土地で、金沢も例外ではなかったようです。
5色もの色合いを組み合わせ絵付けする派手な九谷焼の招き猫は、市中のお店のどこでも見られます。
麩(ふ)屋です。
「ちくわ」かと、おもいましたが、変体仮名は「ふ」という文字の様です。
昔の作り方が分かりますね。
商品になるとこんな感じでしょうか。
これは婚礼衣装でしょうか。
四十萬谷本舗(しじまやほんぽ)は、お寿司屋さんです。
小西新薬堂は見た通り薬屋さんです。
佐藤製薬のキャラクター“サトちゃん・サトコちゃん”が展示されていますが、ずんぐりした昔のキャラクターですね。
生け花風のお菓子です。
繊細な工芸品ですが、この手の職人さんがいるのは、お茶どころと決まっています。
お茶菓子として和菓子屋が発達します。
金沢はどうかと調べてみましたが、ネットで「お茶どころ加賀」がでてきました。
お茶の始まりは、加賀前田家三代利常公が小松城に隠居し、小松に様々な産業を興そうとしていた折、茶の湯の文化に合わせて茶の生産に着目したのが始まりだそうです。
書院の間です。
ここの のれんもおめでたい「花嫁のれん」ですね。
茶室です。
裕福な商家にしかなかったようです。
「日々是好日」(にちにちこれこうじつ)の掛け軸があります。
亡くなった樹木希林さんの同名の映画を思い出しました。
意味は、「来る日も来る日も、楽しく平和なよい日が続くこと」だということです。
ぞうりが用意してあって、建物の縁側から庭に出られます。
以上で主要な展示は終わりです。
時が移ろうと昔のものが処分されて無くなってしまいますが、こうして展示され、人々に公開されながら大事に保管されているのはいいですね。
展示品を提供した各店舗のオーナーも自分の店舗の歴史が、こうして連綿とこの館を通して後世に語り継がれるのは誇らしく思えることでしょう。