「古墳王国・群馬」--大人の休日倶楽部 吉永小百合の足跡をたどって--

スポンサーリンク

JR東日本が吉永小百合を使って大々的にCMを打ったことで、「古墳王国・群馬」が有名になりました。関東の古墳といえば、埼玉県行田市にある「さきたま古墳群」が有名ですが、今回、群馬のそれも埼玉に負けず劣らず、いやそれ以上の規模であることが分かってびっくりしています。

群馬といえば草津、伊香保などの温泉郷ですが、古墳も捨てたものではない。

これを観光資源にしないのはもったいない。という訳で、今回は微力ながら群馬の宣伝をします。

さて今回 向かった先は、JRのCMに使われた古墳群2ヶ所です。

1        大室古墳群(前橋市西大室町)

古墳は大室公園(おおむろこうえん)内にあります。公園の入り口でもらった園内地図を張り付けておきます。吉永さんの撮影場所が赤色で印刷されており、否が応でも行かないといけないような強迫観念(笑)にかられます。でも、最近の訪問者の目的が、これですので公園側と来場者の利害一致ということで有難いパンフです。公園北口の入口には土器のモニュメントがあります。

 

1.1         前二子古墳(まえふたごこふん)

吉永小百合さんが入った「前二子古墳」入口は意外に小さく、頭をかがめて中に入ると立って歩ける空間があります。中に入ると人感センサー付きライトが点灯し石室の中を照らしてくれます。奥に土器の展示があります。

1.2         中二子古墳(なかふたごこふん)

一番大きな古墳です。古墳の周囲に2重の堀があり、一番外側の堀の南側には埴輪が並べられています。大室古墳群の中では最大の物ですが、残念ながら石室は見つからなかったようです。盗掘の被害が一番大きかったのかも知れません。

1.3         後二子古墳(うしろふたごこふん)

こちらの古墳も石室がのぞけます。中は本当に石室だけです。

1.4         小二子古墳(しょうふたごこふん)

古墳に生えた木が取り払われているため、前方後円の形がはっきり分かります。

石室の位置も外から確認できます。

 

2        保渡田古墳群(高崎市井出町)

大室古墳群から西へ20kmにある保渡田古墳群(ほどたこふんぐん/ほとだこふんぐん)に移動しました。車で1時間弱です。

大室に比べ、古墳の規模が大きいです。航空写真を見るとその大きさが分かります。下に、かみつけの里博物館で撮った航空写真を掲載します。

古墳は3世紀後半から6世紀で、前方後円墳は流行りの形状だったようです。

6世紀初頭に、榛名山が大爆発を起こし、遺跡は数メートルに及ぶ火山灰、土石流の厚い層の下に埋もれ状態良く保存されたようです。

2.1         八幡塚古墳(はちまんづかこふん)

造られた当時の姿に復元されています。斜面には葺石(ふきいし)と呼ばれる河原から採石した丸い石が石垣のように積み上げてあります。

内堀の中に4つの島があるのが特徴です。この島を中島と呼びますが、目的は明らかになっていないようです。 祭祀の場、近親者や従者の埋葬場所などが考えられるそうです。

石棺は後円部の上から階段で下ると舟形石棺の展示物が見られるようになっています。発掘時には石棺の蓋は盗掘によって割られていたとの説明がありました。

後円部左右に階段があり、下に降りてゆくと展示室があります。

展示された石棺です。

2.2         二子山古墳(ふたごやまこふん)

保渡田古墳群の中では最大のものです。後円の頂き部に、石棺の写真が展示されています。

二子山古墳や二子古墳の名前が各地にありますが、前方後円墳の外観が2つの山がある感じになるので、自然発生的に各地で二子山と呼ばれたのではないかと思われます。

八幡塚古墳のように、当時の状態には復元されていませんが、緑の丘を登って、周辺の景色を眺めるのも良いものです。

後円部に向かって歩きます。

後円の上から前方部を見たところ

2.3         かみつけの里博物館

古墳時代のジオラマや、埴輪が展示されています。

実物大石棺のレプリカ

この埴輪群像は巫女が神聖な水を王に献上する水の儀式がセットで描かれています。

農業生産の安定が何よりも求められた当時、水をコントロールすることは地域の支配者の重要な役割でした。

古墳の旅は以上です。 赤城山の旅報告はこちらに掲載しています。

スポンサーリンク

-
-