本州最北端 青森県の下北半島 大間崎から北海道を望む

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大間のマグロで有名な大間岬は本州最北端の北緯41度32分、東経140度54分に位置しています。

津軽海峡をはさんで、函館市汐首岬までの距離はわずか17.5キロメートル。

現地に行って大間から北海道を望むと、その近さを肌で感じます。

ブラタモリ情報

大間崎を含む下北半島の西海岸(マサカリの刃の部分)はおよそ1500万年前~3000万年前に隆起した大地で、波の浸食を受けがたい硬い珪質泥岩で構成されています。

大間岬にはさまざまな碑が建っています。

1        最北端の碑

はーるばる来たぜ大~間。碑の向こうの水平線には函館の街が見えます。

2        マグロのモニュメント

マグロのモニュメントは平成6年12月に大間の漁師に一本釣りされた440キロのマグロがモデルになっています。

電子機器や電気ショッカーの無い時代に腕一本で、この大きさのまぐろを釣り上げるには相当の技術・体力が必要でした。

明治までは、輸送方法が未発達で、近くに大消費地が無かったためマグロを積極的に獲ることはなかったと言います。

「大間のマグロ」が全国ブランドになったのは意外にも平成に入ってからです。

 

大間沖に回遊するクロマグロは、北緯三十度以南の台湾東方海域で産卵し、ふ化した稚魚は黒潮に乗り北上する。その中にはアメリカ西海岸のカリフォルニアまで回遊する物もあり、二、三年後日本近海で成長したクロマグロと合流して産卵場に回帰するのである。

 

クロマグロの習性として、荒天前によく跳ねる習性があり、遊泳層は水深二メートルから六十メートルであるが、時には、百五十メートルも潜ることがある。南風の時には表層を遊泳し、北風の時には深層を泳ぐと言われている。また、釣り針にかかると、一気に深く潜る習性がある。

 

大間のクロマグロは、大間崎沖一キロメートルから三キロメートルで獲れる近海物で、平成八年八月から九年一月までの半年間に、水揚げ量百十トン、水揚げ本数七百三十八本、大物は四百キロを超え、平成六年には四百十キロの超大物が水揚げされている。

 

大間のクロマグロ漁は他地区と異なり、明治・大正から続く、昔ながらの一本釣りである。漁場は、海がなぎていてもその漁場だけは波が高く、五トン前後の船で、数百キロのクロマグロを追う一本釣りは、まさに命懸けである。このような命懸けの大間のクロマグロ一本釣り漁を、緒形拳、夏目雅子の主演により、松竹映画にて「魚影の群れ」というタイトルで映画化され、全国から一躍脚光を浴びたのである。


 

離島を含まない本土の東西南北端を表しているのですが、写真の撮り方が悪く単なる日本地図になってしまいました。

 

3        石川啄木の歌碑

「一握の砂」の代表歌3句です。

大海にむかひて一人 七八日 泣きなむとすと家を出でにき

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり

石川啄木については下記でレポートしています。

啄木鳥探偵處(きつつきたんていどころ)・石川啄木と金田一京助

 

4        天童よしみの「みちのく慕情」歌碑

YouTubeで聴いたら津軽三味線と、尺八のもの悲しい歌でした。

5        海峡荘

お昼は、沢山あるお店の中からネットの評判を見て「海峡荘」さんを選びました。

冷凍ものではなく生マグロを提供しています。

贅沢などんぶりの具で、美味しくいただきました。

トッピング丼で、具はマグロの他にウニと海老を載せました。

汁は、モズクの汁です。

 

赤身丼です。

6        タコの足

お店では、タコの足を干していたので、半生のタコを買って帰りましたが、程よい塩味で、酒の肴にはぴったりでした。

 

 

7        ブラキストン線

動物相は津軽海峡(ブラキストン線)を境に北のシベリア亜区と南の満州亜区に分かれます。

津軽海峡は海流の流れが速く、陸生動物の行き来が困難となって動物相が異なっています。

ブラキストン線は、ツキノワグマ、ニホンザル、ニホンリスなどの北限、ヒグマ、ナキウサギ、エゾシマリスなどの南限となっています。

しかし、青函トンネルの開通により、本州と北海道間を歩いて渡ることができるようになり、2007年には津軽でキタキツネが発見されたと大騒ぎになりました。

トーマス.ブラキストン(1832〜1891)

イギリス人。軍人、貿易商人、動物学者。

186仪文久元)年、貿易商人として来日。函館に住み、事業を行うかたわら、北海道と本州の動物研究に没頭。その結果、1883(明治16)年に、津軽海峡の動物分布境界線を提唱、後に「ブラキストン線」と名づけられる。

1864(元治元)年、大間崎弁天島で座礁したアスモール号事件で南部藩の役人が通訳として連れてきたのが、トーマス,ブラキストンであった。

1884(明治17)年に帰国し、アメリカ,カリフォルニアで亡くなっている。

現在函館山に、その銅像が建てられている。

ブラキストンの生涯もなかなか面白そうです。

下北というと雪深い極寒の地で、交通の便も悪く、なかなか行きにくい所というイメージがありましたが、夏のツアーバスでは寝ている間にあっけなく着いてしまいました。

でも、道はあまり広くないので、冬来ようと思ったら大変な事になりそうです。

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