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石灰岩と玄武岩の層の境目の露頭にある橋立堂・橋立鍾乳洞

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武甲山の麓にある橋立堂は、秩父34ヶ所観音霊場のひとつです。

前の日に、武甲山資料館で石灰岩と玄武岩の境目を見られると聞いて来ました。

実は、2017年7月15日のブラタモリでも、タモさんと近江アナがここを訪れています。

最後は、車一台しか通れない山あいの道を進み、駐車場に着くと目の前には高さ75mの岩肌がむき出しになった壁がありました。

 

橋立堂周辺の文化財

所在地 秩父市大字上影森六七八番地

天然記念物橋立鍾乳洞

昭和十一年三月三一日指定

鍾乳洞は、石灰岩が長い年月のあいだに風雨や地下水によって溶解浸食された洞窟です。

この鍾乳洞は、武甲山の西麓に位置する約八〇の石灰岩の大岩壁下にあります。

洞穴の長さは約一三〇、高低差約三三好で、内部は複雑に屈曲し、天井からつらら状に垂れ下がった鍾乳石や床下から竹の子状に堆積した石筍、鍾乳石と石筍がつながってできた石柱等が無数にあり、学術上貴重な資料となっています。

 

秩父市指定 秩父札所二十八番の馬頭観世音坐像

有形文化財

この馬頭観世音坐像は、秩父札所二十八番橋立堂の本尊木造寄木造りの漆箔三眼三面六臂の像です。

昭和三三年七月九日指定

現在、馬頭並び六臂の一部を欠いていますが、像高二六・五だ、鎌倉時代の優秀作です。

 

秩父市指定 秩父札所二十八番石龍山橋立堂

昭和四〇年一月二五日指定

直立した岩壁下に食い込むようにたてられたこの堂は、三間四面、方形屋根朱塗りで、江戸中期のものです。

秩父札所の中で馬頭観音を本尊とするのは橋立堂ただひとつで、緑日には馬を飼う人の信仰を集め馬を曳いた多くの参詣者でにぎわったそうです。

また、現在でも多くの絵馬が納められています。

秩父市指定

 

橋立岩かげ遺跡

(県道定重要遺路)

昭和三三年七月九日指定

(昭和四四年一〇月一日選定)

岩かげ遺跡は、埼玉県下でも山間部の秩父地方の特色を示すもので、激しい風雨でも充分しのげるようになっています。

この橋立岩かげ遺跡は、発掘調査により、縄文式土器の最古の型式の土器や石器、弥生式土器、土師器等が出土し、縄文時代草創期から古墳時代後期までの長いあいだ使用されていたことがわかっています。

特にこの遺跡は、埼玉県の縄文時代の研究の推進に大きな役割を果たしました。

平成六年三月

管理者 龍河山大渕寺

秩父市教育委員会

 

 

1         橋立堂

お堂は参道の石段を上がった先の、崖の真ん前に建っています。

市指定史跡 札所二十八番

石龍山 橋立堂

大岩壁と橋立堂

この札所は、高さ八十米もある石灰岩の直立した岩壁下に建てられ、堂は三間四面、宝形屋根で江戸中期になるものといわれます。

本尊は馬頭観世音坐像で、像高二八糎の小さいものですが、三面六臂の姿はひきしまり、鎌倉時代の優秀な作として、昭和三三年七月市の指定文化財になっています。

縁日には近在から来る馬を曳いた参詣者で雑踏を極めたといいます。

その昔この地に惨酷非道、仏神の信心なき領主、領地をみまわり、銅をもって地蔵菩薩像を里人崇敬し得るをみて、仏神の益何事あろうと、打ちこわしその財をこれに費やせば、領主たちまち病に死し、その子孫すべて跡方もなく消えたという。

まもなく大蛇出て里の憂いとなり、里人は一心に当山に祈ればいづくなく白馬現われ心よげに走り大蛇この馬を一口に呑まんとするに、白馬の額より光明をさせば、たちまち大蛇人語を発し「吾先に死し領主なりいままさに仏知にひかれた得脱を得たり、吾この姿を末代にとどめて衆生の信心をはげまさん」と池中より出れば金鱗変じて石と成り、白馬は本尊の御帳に走り入りたという縁起があります。

昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

 

馬頭観音と掲げられた馬の銅像です。

お堂の裏手に回ると、上が石灰岩、下が緑色の玄武岩の層が見られるはずです?

最も、肉眼でそれと分かる境目ではありませんでした。

掃除をしていたおばさんも、はっきりと分からないと言っていました。

 

2         橋立鍾乳洞

秩父ジオサイト 橋立鍾乳洞 (秩父盆地の石灰岩)

この岩壁(高さ約75m) は石灰岩でできています。

武甲山をつくる巨大な石灰岩体の西の端に位置しています。

石灰岩はサンゴ礁等の炭酸カルシウムが海底で堆積したものです。

橋立堂の下は凝灰岩等の火山噴火物です。

岩陰に縄文時代の遺跡があります。

鍾乳洞は竪穴で長さ約 140m 高低差 30m ほどです。

鍾乳石や石筍、石柱、カーテン、フローストーンなどの洞窟生成物は、上方出口付近によく発達しています。

大正5年盛岡高等農林学校の学生だった宮沢賢治が地質旅行で訪れています。

 

ここから入ります。

写真はありませんが、上下の移動が多く、かなり狭い鍾乳洞でした。

ちょっと、足腰の弱い人には厳しいかもしれません。

 

石灰岩の山や洞穴の中にはどんな動植物がみられるか

山全体が石灰岩からできている武甲山にはいたるところに乳洞があってその中には色々洞穴動物がすんでいる。

彼等は太陽のめぐみをうけることができないので体の色が特に白く、眼はほとんど使わないので物を見分ける力がなくなっている。

又山肌には石灰分をしたつて沢山の陸生貝類(まいまいや、きせるがひのなかま)がすんでおり、植物でもチチブイワザクラ・チチブヤナギキンモウワラビをはじめ各種のコケのなかまにいたるまで石灰岩を好むものが目立って多い。

石灰岩の絶壁は容易に人間を近づけないので野生のけだものの安全地帯になっており、サル、クマ、カモシカなどのあそび場に利用されている。

 

石灰岩の屋根を利用した大昔の人々の生活

わたくしたちの祖先がまだ家をもたなかった頃は、このような岩石の屋根を利用してすんでいた。

今からおよそ20年ほど前この岩屋の下から厚さ1mにおよぶ木灰の層がみつかりその中から土器や石器のなかまがたくさん発掘された。

わたくしたちはこれらの品物を研究することによって、当時の人々の生活のようすや文化のていどを知ることができます。

下の絵は大昔の人々が石の屋根の下で生活しているようすをえがいたもので、今から3000年も昔の私達祖先のすがたです。

鍾乳洞はどのようにしてできたか

灰岩の上を雨水が流れると、岩かけて、色々と面白い地形ができる。

この絵にあるカレンファルド、 ドリネ、鐘乳洞などはいずれも雨水のいたずらで石灰岩だけに見られカルスト地形とよばれています。

どうして雨水は石灰岩をとかすのでしょう。

雨水は空気中の炭酸ガスをとつて炭酸という酸になり、この酸が石灰岩の主な成分である炭酸カルシウムをとかすことになる。

 

駐車場付近には蕎麦屋もあります。

ジオサイトとしては秩父の成り立ちも分かり興味深い所ですが、看板がくたびれ、ちょっともったいないなと思いました。

でも、ここへ来る前には、武甲山資料館に立ち寄って武甲山の知識を詰め込んでから訪れると、この場所の凄さがもっと分かると思いますよ。

秩父の武甲山資料館

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