宮城県登米市は仙台から北に80kmほどあります。
NHKの朝ドラ「おかえりモネ」で、主人公のモネが高校を卒業後、気仙沼の離島・亀島から森林組合の見習いとして移り住んだ町です。
森舞台は、モネの居候先のサヤカ(夏木マリ)が「登米能」を披露した場所です。
設計はオリンピックスタジアムの設計で有名になった隈研吾です。
「森舞台」の名前の由来は、能はそもそも大自然の中で演じられるもので、全ての空間が森に向かって解放されるという思想の元設計され、名づけられたとのことです。
登米町伝統芸能伝承館(森舞台)建設の経緯
昭和60年頃までの謡曲会の活動は、年に一度の秋祭りの宵祭に、 神社での奉納が主なものでしたが、 昭和60年から実施されたみやぎ明治村事業により、 観光客の方々の入り込み数が多くなってきました。
入り込み数が増加することに合わせて、 登米能への関心も高まってきました。
このような状況もあいまって、 謡曲会から能楽堂の建設の要望が出されるようになっていました。
平成4年12月、 現地 (鉄砲鍛冶の屋敷) を所有していた方から、 土地の寄贈の申し出があり、 現地の雰囲気が能楽堂に合うということで、建設に向けて進められることになり、 平成7年4月、 株式会社隈研吾建築都市設計事務所と実施設計契約を結びました。
工事は同年10月から始まり、翌8年6月に完成しました。
この能舞台の建設に当たって、 設計は隈研吾建築都市設計事務所ですが、この他に鏡板に描かれている老松と若竹を描いた画家は、日本画家の千住博氏です。
このお二人は、今や世界的にも有名になっています。
森の中に佇む能舞台としてだけでなく、 お二人の合作を見ることのできる場所としても、 貴重な建造物です。
山側にある桜は満開状態でした。(2024-4-14)
能の音響が反響しやすいように、床下に甕が転がしてあります。
舞台の右手には、観客席が段々に設えてありました。
こちらが舞台と向かいの建物です。
前面のドアは全て収納できるようになっていて、公演が催されるときには全体が解放されます。
1954年横浜生まれ。
1979年東京大学建築学科大学院修了。
1985-1986年に米国コロンビア大学客員研究員。
1990年、 隈研吾建築都市設計事務所設立。
2001年- 2008年 慶應義塾大学教授。
2009年に東京大学教授に就任、 現在に至る。
1997年に森舞台/ 登米市伝統芸能伝承館で日本建築学会賞受賞。
主な作品に根津美術館や歌舞伎座がある。
2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて建設される、 新国立競技場の設計にも携わる。
地場の杉と青森ヒバで作られた森舞台/登米市伝統芸能伝承館の実績が、 新国立競技場の設計にも活かされている。
展示室には、能の衣装、面、小道具などが展示されています。
現場に行くと、NHKの朝ドラが思い出されますね。
お祭りの時にも一度見に来たいと思いました。