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日本一深い田沢湖で遊覧船乗船

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さて、旅は角館から田沢湖へ向かいます。

角館駅からは、秋田新幹線で一駅です。

1        田沢湖駅

駅には、田沢湖高原温泉郷の看板がありました。

「深い愛情、暖かい心、やさしい気持ちで、元気回復! モテナシ3兄弟」の看板です。

さて、次の龍の造形は何を示すのか分からなかったのですが、後になって、田沢湖の伝説で、龍になった辰子姫の龍であることが分かりました。

辰子姫伝説とは?(仙北市HP)

 

駅名の由来 田沢湖駅

開業の際は生保内(おぼない)駅として発足しましたが、昭和四十一(一九六六)年に田沢湖線が全線開通すると共に名勝地、田沢湖と同じ駅名となりました。

藩政時代には国見峠を境に岩手・秋田の経済文化の交流地として、また宿場町としても栄えた所です。

町の中央にある田沢湖は水深日本一、永遠の美を願った辰子の物語を伝える瑠璃色が神秘的です。

また、乳頭温泉郷は日本屈指の秘湯として多くの人々が訪れます。

田沢湖とたつこ像

駅の2階にある「森と遺跡の展示室」

仙北市内からは、縄文時代の遺跡が100箇所ほど発掘されました。

この「森と遺跡の展示室」で紹介している潟前遺跡や黒倉遺跡のように、出土品が多かったり、非常に貴重なものが出土している遺跡をはじめ、とても多くの遺跡が点在しています。

はるか昔、この地に暮らした縄文人。

私たちの祖先の暮らしに思いをめぐらせてみませんか。

潟前(かたまえ)遺跡

秋田県教育委員会と田沢湖町教育委員会(当時)により、平成8年(1996)から3年間、発掘調査が行われました。

その結果、旧石器時代から縄文時代後期にかけての生活の痕跡が発見され、田沢湖を望む地にやってきた人々が、狩りや漁をしながら暮らした様子が浮かびあがってきました。

 

田沢湖の誕生

ルリ色の湖面が神秘的で、季節を問わず多くの観光客で賑わいを見せる、水深日本一の田沢湖。

最も深い所は423.4mで、東京タワーがすっぽり入るほどです。

田沢湖がどうやってできたかは様々な説がありますが、180万年~140万年前の爆発的噴火でできた凹地に水が溜まったものという説が有力です。

 

田沢湖畔には旧石器時代から人が住んでいた!

潟前遺跡からは約2万年前の石器が出土しました。

これにより、田沢湖畔での人間活動の始まりが旧石器時代にさかのぼることが分かったのです。

この時代の人々は、ナウマンゾウなど大型動物の狩りによって食料を得ていました。

獲物を追いかけ移動しながらの生活だったため、けものの皮を利用して作った持ち運びできるテントに住んでいたと考えられています。

旧石器時代とは?

日本列島に人が住み始めたのは、今から約38,000年前と言われています。

主に石を打ち欠いて作った槍などの「打製石器」を使っていて旧石器時代と呼ばれています。;

 

縄文時代にはムラができていた!

縄文時代になると、同じ所で生活できる家を作り、みんなで集まって生活していました。

縄文時代前期の終わりごろ(約5,000年前)と縄文時代後期のはじめごろ(約4,000年前)の竪穴住居跡が計4軒発見されました。

縄文時代の人々は、湖畔に集落を営み、長く生活していたことがわかります。

 

縄文時代後期には状配石を伴う葬送儀礼の場だった!

石を積み上げたり弧状や列状に並べた配石遺も38基発見され、自然への祈送などの祭祀活動が活発に行われていたことがうかがえます。

祭祀に使う土偶や小型の製品なども出土しました。

天然アスファルトの塊が出土しました!

アスファルトがいっぱい詰まった状態の縄文時代後期はじめごろ(約4,000年前)の土器が、竪穴住居跡から発見されました。

アスファルトの重量は約2,490gで、ひとつの塊としては日本一の量です。

土器の表面は強い火熱を受けてとてももろくなっています。

アスファルトは加熱して溶かして利用されていました。

 

接着剤として利用されていました!

縄文時代、アスファルトは主に土器や石器の接着剤として利用されていました。

アスファルトが付着した土器や石器は、全国各地の縄文遺跡から出土しています。

潟前遺跡では、漁に使う網の重りとして利用された石錘にアスファルトが付いたものもありました。

網と石錘を強く結びつけていたと考えられています。

 

天然アスファルトや黒曜石の流通の中継地だったかも!?

天然アスファルトの産地は、北海道~秋田県~新潟県の沿岸部に限られます。

秋田県では潟上市の豊川油田が、縄文時代のアスファルト産地としてよく知られています。

縄文時代には、アスファルトを日本海側の沿岸部から内陸部や太平洋側に運ぶ広域の物資流通ネットワークが存在したと考えられます。

多量のアスファルトが貯蔵されていた潟前遺跡は、アスファルト流通の中継地だった可能性があります。

 

縄文時代中期の土器分布 (約5,000年前~4,000年前)

この地域は、円筒式土器を使う東北北部文化と、大木式土器を使う東北南部文化の境目に位置していました。

そのため、両方の文化の影響を受けた土器が見られます。

また、数は少ないのですが、 前期末~中期前葉にかけての北陸系土器も出土しています。

このことから、当時、広範囲な交流があったことが分かります。

 

縄文人はオシャレだった!

数千年にもわたって安定した暮らしを送っていた縄文人は、装飾品 (アクセサリー)を身に着け、 とてもオシャレにしていました。

当時の一番の悩みはケガや病気で、悪い霊をはらい、身を守るためのおまじないの意味でアクセサリーを身に着けていたのではないかと考えられえています。

ムラの仲間たちとの祭祀の時には、男性も女性も様々に工夫して着飾り、集まったものと推測されます。

 

 

2        田沢湖

田沢湖は、秋田県仙北市に位置する日本一深い湖です。

湖の深さは423.4メートルで、透明度が高く、美しい青色が特徴です。

湖畔には温泉地やキャンプ場があり、四季折々の自然を楽しむことができます。

特に、秋の紅葉や冬の雪景色は絶景です。

また、湖の周辺には田沢湖スキー場や田沢湖高原温泉郷などの観光スポットも多く、年間を通じて多くの観光客が訪れます。

 

海面下の深さ(潜窪・せんくつ)

田沢湖の水位は海抜249mで水深423.4mです。

これを差し引くと海面下174mとなります。海面下の部分を潜窪(せんくつ)といいますがこの湖が潜窪でも日本一であることは意外に知られておりません。

潜窪の国内2位は池田湖167m、3位は支笏湖の117m、4位は洞爺湖の96mの順になっている。

田沢湖は典型的なカルデラ(ここでは桶状の凹地形)湖で、その昔海底隆起と造山運動による日本列島形成のころ地下の物質が火山爆発で大量に噴出し外輪山を形成、この噴出した空間を埋めるため大陥没したものといわれています

この湖は冬でも凍らない。

湧水によるものか暖塊水の対流が起っている。

田沢湖町

 

 

2.1         田沢湖遊覧

御座石やたつこ像を見て帰るルートだったのですが、当日風が強く、たつこ像までの往復となりました。

○たつこ像

辰子姫伝説の主人公のこの像は舟越保武氏の作で、昭和43年の建立。

青銅金箔漆塗りで高さ2.3m。 潟尻地区の湖面に立っている。

 

○ユキツバキ群落 (県指定天然記念物)

院内岳の中腹一帯に咲き誇る自生のツバキ。 多雪地帯に適応したもので、 主に日本海側の山地に分布している。

ここの群落は、 広大な面積と北限の群落として貴重である。

 

○大蔵神社跡

院内岳の中腹に位置し、 辰子が永遠の美を保つため、 大蔵観音に百日百夜の願をかけた神社として語り継がれている。

 

○田沢湖

カルデラ湖として知られる田沢湖は、 周囲約20kmのほぼ円形の湖で、 水深は423.4mと日本一を誇る。

 

○御座石

田沢湖北岸に位置する岩礁地帯で、 秋田藩主が遊覧の座を設けた場所として知られている。

御座石神社は、室町時代に修験者が修行の座としたとも云えられている。

 

たつこ像は湖岸に金色に輝いていました。

たつこ像の近くには、

漢槎宮・かんさぐう(浮木神社・うききじんじゃ)

流れついた浮木(大木が湖面から2メートルぐらい顔を出し、斜めに水底に深く消えている流木)を祭ったものといわれています。

 

田沢湖高原からみた田沢湖

こんな山の中に海面下174mの深い湖があるのがとても不思議です。

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