旧晴海鉄道橋(晴海橋梁)は、1957年に完成した旧国鉄東京都港湾局専用線の鉄道橋です。
1989年の廃線後は長らく放置されていましたが、平成元年(1989)の供用廃止から35年余りの時を経て、遊歩道として整備され、 生まれ変わりました。
この橋を東側から渡ります。

旧晴海鉄道橋は昭和32年(1957)、 臨港鉄道の一部として晴海運河を渡る箇所に架設されました。
事業者は晴海埠頭を管理する東京都港湾局であり、工事は日本国有鉄道東京工事局に委託されました。
鉄道用としては日本最初のアーチ橋 (ローゼ橋)として設計され、側径間(橋の両側部)には当時の最新技術であったプレストレストコンTクリート (PC) 橋を採用しました。
アーチ橋(ローゼ橋) PC橋のどちらもその後の橋梁作りに継承される注目すべき技術が導入されていました。
戦後の橋梁建造技術の原点のひとつとなった旧晴海鉄道橋は、平成元年(1989)の供用廃止から35年余りの時を経て、遊歩道として整備され、 生まれ変わりました。
アーチ橋のきれいな曲線や鉄道の荷重に対応した構造など、橋の原型は残しつつ、地域住民や来訪者が利用できる魅力的な水辺の歩行者空間となっています。
1960年代の東京港・東京都専用線路線図

日本の経済成長を支えた臨港鉄道
この場所を走っていた鉄道、東京都専用線は戦後の経済復興期に東京港の物資輸送を目的に整備が進められた港湾施設です。
その歴史は東京市が昭和5年(1930) に汐留~芝浦間で貨物線を敷設したのが始まりです。 戦後間もない昭和28年(1953)に越中島から豊洲石炭埠頭までを結び主に石炭や鉄鋼を運ぶ「深川線」を開業。
やがて路線を分岐させ主に雑貨類を扱う「豊洲物揚場線(とよすものあげばせん)」、食料品などを扱う「晴海線」を開業しました。
専用線の総延長は約24km、 最盛期における貨物の取り扱い総量は年間約170万トンにものぼり、高度経済成長で増大する貨物需要に対応しました。
しかし、昭和30年代からモータリゼーションの急速な進展があり、輸送の中心が自動車輸送に移行した結果、 貨物輸送の鉄道依存度は大幅に低下していきました。
昭和60年(1985)には「豊洲物揚場線」が、翌年には「深川線」が相次いて廃止され、最後まで残った「晴海線」も平成元年(1989) 2月には供用を廃止しました。
貨物輸送に貢献してきた臨港鉄道は、約半世紀てその使命を終え、すべて姿を消すことになりました。

生まれ変わった旧晴海鉄道橋
歴史的な価値を有する旧晴海鉄道橋を歩行者空間に整備することで、豊洲から晴海の水際の散策やジョギングに活用できる新しい導線生み出すとともに、バリアフリー化により多様な来訪者が安全に通行できるようになりました。
戦後の復興を支えた工業・港湾の地域として始まり、住居・商業地域への変遷を経て、東京を代表するウォーターフロントとして発展を続ける豊洲・晴海。
そのふたつのまちを繋ぐランドマークとして旧晴海鉄道橋は地域で新たな使命を果たしていきます。

当時の軌道はそのままにして木が被せてあります。
そして、ところどころガラスで下の枕木やレールが見られるようになっています。


橋の下を船がくぐって行きます。

西側にも東側とおなじ碑がありました。

歩行者専用道路なので、のんびりと川を見ながら渡ることができて、とても気持ちよかったです。