数十万年前、海中だった場所にサンゴ礁が堆積して石灰岩の層ができ、それが地殻変動で隆起して地上に現れました。
石灰岩は水に溶けやすい性質(溶食)があるため、表面がゴツゴツと鋭利になっていたり、切り立った断崖絶壁を作ったりします。
沖縄の古宇利島のハートロックや万座毛はその典型的な地形です。
目次
1 古宇利島
古宇利島には、昔々、空から降ってきた男女の子供がこの島で暮らし、やがて人類の祖先になったという「神話」があります。
1.1 古宇利(こうり)大橋
古宇利大橋(こうりおおはし)は、沖縄県の名護市(屋我地島)と今帰仁村の古宇利島を結ぶ、全長1,960mの橋で、2005年に開通しました。
最大の魅力は、橋の両側に広がる「エメラルドグリーン」の絶景です。サンゴ礁の海の上を真っ直ぐに貫くドライブは、まるで海面を滑走しているような爽快感があり、沖縄本島屈指の観光名所となっています。


屋我地島側(名護市側)のたもと、ロードパークのすぐ近くの海中に鎮座している岩は
「シーサー岩」と呼ばれています。
ロードパークには大堂原貝塚(うふどうばるかいづか)の碑がありました。
屋我地島側の橋の工事現場で見つかった貝塚のようです。
大堂原貝塚(うふどうばるかいづか)
大堂原貝塚は、1979年(昭和54年) に行われた名護市遺跡分布調査で発見された遺跡です。
1998年(平成10年) から2004年 (平成16年) まで、 古宇利大橋建設に伴う緊急発掘調査が行われ、 縄文時代早期(約6500年前)から古墳時代 (約1400年前) までの遺構や遺物が見つかりました。
縄文時代早期に相当する層 (第8層) から、 爪形文(つめがたもん)土器や県内でも最古級の土器である薄手無文の土器のほか、イノシシの骨やその骨を加工した骨製品が出土しました。
また、 同じ層から埋葬人骨も二体出土しており、約6200年前の人骨であることがわかっています。
縄文時代前期の層 (第7層) からは、熊本県の曽畑(そばた)貝塚を標識とする曽畑式土器や、 条痕文(じょうこんもん)土器、 室川下層(むろかわかそう)式土器が、 縄文時代後期の層 (第4層) からは伊波(いは)式土器や奄美系の土器などが出土しています。
弥生時代から古墳時代に相当する層 (第3層) からは、イモガイやゴホウラを集めた貝の集積が十数基見つかりました。
これらの貝は腕輪や貝製品の材料となるもので、九州地方と交易をするときの交易品であり、 その見返りとして手に入れたと考えられる。
九州地方の弥生土器や甕棺(かめかん)の一部も出土しています。
また、 同じ層から新たに埋葬人骨も二体出土しましたが、 これは約900年前のグスク時代の人骨でした。
その時代に、弥生・古墳相当期の層を掘り込んで埋葬されたものと考えられます。
県内でグスク時代の人骨はあまり見つかっておらず、 貴重な発見となりました。
沖縄諸島で出土するほとんどの形式の土器が出土しているほか、石斧やたたき石などの多様な石器や腕輪、 指輪などの貝製品、 イノシシの骨以外にクジラの骨を利用した骨製品なども出土しており、 沖縄の先史時代を知る上での貴重な資料が得られています。
さていよいよ橋を渡ります。

1.2 ハートロック
古宇利島の北側に位置する「ティーヌ浜」にあるハートロックは、長年の波の侵食によってハートの形に削られた2つの奇岩(アダム岩とイヴ岩)です。
2013年に人気アイドルグループの嵐のJALのCMロケ地となったことで一躍全国区のスポットとなりました。
2つの岩を特定の角度から重ねて見ると、より綺麗なハート形に見えることから、恋愛成就のパワースポットとして多くのカップルや観光客が訪れます。

特別の駐車場は無く、近くの有料駐車場に停めます。
そこからは歩きですが、すぐ近くです。

ハートロックは、もとは一つの大きな岩場だったものが削られて分離し、さらに足元が削られて現在の形になりました。
ティーヌ浜の周辺は、琉球石灰岩という比較的柔らかい岩石でできているため、このような独特で美しい造形が生まれやすい環境にあります。


嵐のCMでは、重なるとハートに見えると言っていましたが、奥の岩だけでもハートに見えますよね。

近くの岩も、波が打ち寄せる海面付近が、波の力や石の摩擦によって水平に削られています。

見え方としては、この看板のように2つの岩を重ねた時に見える隙間がハート形に見える、というのもあるようです。

2 万座毛
万座毛は恩納集落の西側に位置し、 新生代第四世紀の琉球石灰岩からなる崖地です。
海側は高さ約20mの崖となっており、崖の上の平坦地はコウライシバやタイワンカモノハシが茂った広場となっています。
琉球石灰岩の表面は、雨や風にけずられて穴があいていたり、割れ目があったりします。
ここは水分が少なく、たえず強い塩風が吹きつける厳しい環境条件の場所です。
そのため、厳しい環境に耐えられるような特殊な植物が多く生えています。
例えば、 ハナコミカンボクやオキナワスミレ、オキナワマツバボタン、イソノギクなどは、 琉球列島の植物の分布を考える上で重要な種類です。


万人を座するに足る毛
18世紀前半の琉球王朝の尚敬王がこの地を訪れたときに「万人を座するに足る毛」と称讃したのがその名の由来である。
「毛」は原っぱという意味です。
実際に奇岩ばかりが目に行きますが、それは毛の縁の断崖です。


恩納奈辺記念碑(おんななびーきねんひ)
記念碑は昭和3年11月10日に建立落成され、碑の裏側には 「波の声ん止まれ、風の声止まれ、 首里天加那志美うんき拝ま」が刻まれております。
碑の除幕式には長い間、途絶えていた恩納の臼太鼓(うすでーく)踊りが催されました。
琉球の女流歌人 恩納ナビー
恩納村に生まれた女流歌人恩納ナビーは、18世紀はじめ頃琉歌歌人として活躍した女性です。
ナビーの生きていた時代は、 琉球文化の黄金時代とよばれ、 文学 音楽・舞踊と一流の文化人が輩出すると同時に、庶民の間にも琉歌という歌が流行っていました。
恩納村の美しい自然の中ナビーは、 自由奔放かつ大胆な歌を数多く残しました。
隣には、恩納ナビーの歌に感動した童話作家「巌谷小波(いわやさざなみ)」の句碑が建っています。
恩納ナビーの歌碑
波の声もとまり 風の声もとまり
首里天加那志 美御機拝ま
歌意は、 「波も風も穏やかになってほしい。 はるばる国王が万座毛に立ち寄られるのだから、 その顔を拝みたいものだ」。
昭和3年に建立されましたが、 第2次世界大戦後に移設を余儀なくされました。
現在の歌碑は、碑建立50周年を記念して、昭和54年に建てられたものです。
なお、 書体は沖縄書道界の大家・謝花雲石氏によるものです。
碑文(説明文)
万座毛に昔をしのび巡り行けば彼方恩納岳さやに立ちたり天皇皇后両陛下は、平成24年11月に沖縄県で開催された第32回全国豊かな海づくり大会 (美ら海大会) 御臨席の機会に、恩納村の万座毛を御訪問になりました。
この御製は、この地と恩納岳が琉歌に詠まれた18世紀の琉球王朝の時代に思いをいたされ、お詠みになったものです。
この碑は、両陛下の御訪問を長く後世に伝えるとともに、万座毛がいつまでも自然豊かな景勝地として守り続けられることを祈念して建立しました。
平成25年11月
恩納村長 志喜屋 文康
説明だと、この平らな芝の土地が万座毛という事になりますね。


奇岩「象の鼻」



浸食が激しく、下を見下ろすとゾクッとします。

万座ビーチに立つANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾートです。



万座毛を一周してレストハウスに戻る途中の通路にあります。
鳴き象
(万座毛の泣き龍)
このアプローチ内のある一定区間において手をたたいてみると...
面白い事が起こりますよ!!
手をたたく場所によって変化もいろいろ!!
この現象は鳴き龍 (鳴き竜) と呼ばれるもので、 音響用語ではフラッターエコーと言われています。
天井と床など平行に向き合った面と面の間で発生した音が、何度も反射を繰り返すことで特殊な響きとなって聞こえます。
この現象が有名な所として、日光東照宮薬師堂などがあります。
日光東照宮では、天井に描かれた龍の顔の下でこの現象が起こるため鳴き龍と呼ばれますが、こちらでは万座毛にある「象の鼻」と呼ばれる有名な奇岩にちなんで「鳴き象」としました。

琉球石灰岩による奇岩の類は「沖縄らしい景観」といえるものですね。
日本の他の場所ではあまり見ないので、見ると沖縄に来たなあという感じがします。





