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海の上を走る全長4.7kmの海中道路

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沖縄県のうるま市にある海中道路は、勝連半島と平安座島を結ぶ全長4.7kmの堤防上の道路です。

「海中」という名前ですが、実際には浅瀬を埋め立てて造られた道路で、左右に金武湾の美しいエメラルドグリーンの海が広がる絶景のドライブコースとして知られています。

ここは名護市の古宇利大橋(こうりおおはし1.96km)と違い橋ではなく堤防道路であるため、高低差が少なく、海面に近い目線で走れるのが特徴です。道路の中間地点には、船の形をした休憩施設「海の駅 あやはし館」があり、特産品の購入や食事を楽しめます。

 

海中道路の中間地点にある「海の駅 あやはし館」です。

ロードパークからは砂浜へ降りることもでき、ウィンドサーフィンやカイトボードなどのマリンスポーツとしても賑わっています。

海中道路の成り立ち

なぜ人々は、およそ半世紀も前に、 海上を走る全長 4.75kmにも及ぶ道路を、創りあげることができたのでしょうか。

その成り立ちは、離島苦の解消を悲願とする島民の想いと、 干潟と共に暮らし、その自然環境の特性を知り尽くした人々の英知の結晶といえます。

1961年3月、 海中道路建設期成会により始まった海中道路建設工事は、 資金を、 平安座島の各家庭からの酸出金 (きょしゅつきん)や、出身者からの募金により賄い、工事にあたっては、島民自ら、バケツ・モッコザルを持ち集い、石を一つひとつ積み上げ、堤防や道を築いていきました。

しかし、島民の苦闘と汗の結集により、全長1,900mにも達していた道路は、同年9月に襲来した台風ナンシーにより、 削り取られ、 流されてしまいます。

それでも、島民の悲願の炎は消え去ることはなく、 1962年から1966年にわたる工事では、210mに及ぶコンクリート道路を建設するにいたりました。

その後、平安座島へのガルフ社の進出により、 1971年5月に同社の負担で再度着工された海中道路の工事は、同年6月には本島と島が接続され、島民の想いはついに現実のものとなります。

当時、電柱が林立する2車線の道路として開通した海中道路は、1999年に4車線化され、さらには2003年の海の駅「あやはし館」完成を経て、現在の姿を現すことになりました。

 

あやはし館前の歩道橋から平安座島側

あやはし館前の歩道橋から勝連半島側

海の文化資料館は「海の駅 あやはし館」の2階にあります。

山原(やんばる)船とマーラン船

古くから沖縄では、貨物の運送で舟と船を使っていました。

うるま市の平安座島を中心に、北は奄美大島諸島からヤンバル地域にかけて、南は与那原や那覇、先島諸島にかけて、交易の船が行き来していました。

沖縄では、その交易の船を「山原船」 と呼んでいます。

しかし、平安座島ではその船のことを「マーラン船」と言います。

実はマーランという語に外来の文化との関わりがありました。

 

浦添市美術館に所蔵されている19世紀の「琉球交易港図屏風」は、琉球と中国が交易した進貢船(しんこうせん) (封舟(ほうしゅう)、御冠船(おかんせん)、冠船(かんせん)とも呼ぶ) や大和の薩摩国の弁財船、琉球の馬艦船(まー らん せん)、サバニ、 琉球伝馬船(てんません)があります。

とくに中国の皇帝よりもたらされた進貢船は、マーラン船の造船の技術に強い影響を与えたと考えられます。
中国福建省泉州市には、マーラン(馬艦)と呼ばれる漁船や交易の船があり、進貢船の構造にとても似ています。

おそらく、平安座島のマーラン船は中国の馬艦の造船の技術と関わりがあります。

伝馬舟 (琉球伝馬舟) とは?

伝馬舟は“ティンマ”とも呼ばれている小型の舟です。

マーラン船 (山原船)には、このティンマ (琉球伝馬舟) と呼ばれ小舟が必ずついており、 沖に停泊したマーラン船から海岸まで荷物や人を運ぶために使っていました。

一説によると、伝馬舟を大型化したものが宮古船、マーラン船 ( 山原船) であるといわれています。

沖縄のサバニ
サバニは沖縄を代表する、 漁業 行事に用いられる舟のひとつです。
《舟の種類》
舟には、一本の木を刳りぬいて造る 「刳り舟」 と、 その発展型である板を貼り合わせて造る「ハギ舟(接ぐの意)」 があります。

サバニは「ハギ舟」の一種で、竜骨 (舟の背骨)がないのが特徴といえます。
《呼び名》
この舟は、サバニ・サバネスニ・ソウニなど、 沖縄各地でさまざまな呼び名で呼ばれています。

これらの呼び名の基となる意味は「小舟(サブネ)」であり、サバニ・サバネスニ・ソウニは「サブネ」 という音が変化したものであると、 沖縄研究の第一人者 伊波普猷は述べています。
《材料》
サバニの材料には、古くはマツが多く用いられていました。

その他、 アカギクスノキシイノキなども使われていました。

しかし、明治以降、 鹿児鳥県や宮崎県のスギが多く使われるようになります。

現在の船大工たちも、宮崎県のビスギを好んで使っています。

はじめに

うるま市は全国でももずくの生産量が多い場所です。

そんなうるま市で生産されたもずくは、 市内・県内の販売店や県外へ運ばれ毎年多くの人々に食べられています。

方言では 「スヌイ」 「スヌリ」などといい、酢の物などにして食べられ続けてきた沖縄の人々にとって最も身近な海藻のひとつです。

うるま市では、 昔から天然のもずくをとることができたそうです。

当館が建っている海中道路周辺の海でも天然モズクが採れていました。

現在うるま市がもずく生産量トップを誇るのは 「もずくが育ちやすい条件の整った海」 も重要な要素といえます。

もずくはうるま市のみならず沖縄県にとっても大事な産業のひとつです。

塩漬けにして保存されたもずくは旬の季節を過ぎても食べることができ、 年間を通して私たちのもとへ提供されます。
もずくが旬の4月頃になれば、 平敷屋漁港をはじめさまざまな場所でもずくに関するイベントが行われることもあり、 もずくはうるま市の産業として、 市の活性化を促進しているともいえます。

もずくともずく産業について知ることでうるま市を支えている産業やもずくが育つうるま市の豊かな海へ皆さんの関心が開くきっかけになれればと期待します。

海中道路のジオラマです。

再び海中道路に戻って、このあと平安座島を経由して、神の島「浜比嘉島」に向かいます。

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