史跡 旅

江戸時代爆発的なブームとなった大山詣で#1

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大山(おおやま)詣では、神奈川県伊勢原市に位置する霊峰・大山(阿夫利神社・大山寺)を目指す歴史的な参詣です。

古来より「あめふり山」と呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣を祈る山岳信仰の地として親しまれてきました。

特に江戸時代中期以降、庶民や江戸の職人たちの間で爆発的なブームとなり、「大山講」というグループを組んで大勢で訪れるようになります。

最盛期には年間20万人以上が訪れ、江戸の人口の約5分の1が参拝したとも伝えられます。

江戸の「大山詣で」の参拝客が利用した道として有名なのは、江戸(赤坂)から渋谷、三軒茶屋、二子玉川を経て大山へ至る道です。

青山通り大山道・現在の三軒茶屋付近

当日は小田急で伊勢原駅に向かい、そこからバスに乗りました。

北口を出てすぐの場所には大山阿夫利神社 伊勢原駅前の大鳥居(通称:駅前の大鳥居)があります。

鳥居に書かれた「大山阿夫利神社」の名が示す通り、この鳥居は「ここから大山への参道・信仰の道が始まる」というシンボルです。

ただし、この鳥居は江戸時代からの古道上にあったものではなく、昭和6年(1931年)に大山ケーブルカーの開通を記念して建立されたものです。

 

GW中の為、大山ケーブルカー直行便が走っていました。

「おおやまケーブル」バス停の壁のパネルです。

大山詣でで木製の大きな太刀(たち)を担いで山に登るのは、鎌倉時代、源頼朝が武運長久や願掛けのために大山寺(阿夫利神社)へ自らの刀を奉納した(納めた)ことが始まりとされています。

江戸時代になると、この故事にあやかり「勝負運を上げる」「諸願成就」「商売繁盛」などを祈る風習として、庶民の間に定着しました。

終点(大山ケーブルバス停)の1つ手前にある「良弁滝(ろうべんたき)」バス停のすぐ近くにある滝です。

「かながわ古道五十選」

大山宿坊街

昔、関東各地から大山参り石尊詣の人々がわらじを踏みしめた古道は、その一端が大山に通じるものは皆大山街道と呼ばれた。

平成六年の「かながわの古道五十選」には大山道が七ヶ所も選ばれ、そのどれもが合流するのが、阿夫利神社大山寺の門前町「大山道宿坊街付近」である。

ここには各地の大山講と深い関係にある石の玉垣を巡らした先導師(御師)の旅館と土産店、茶店等が石段道の両側に昔の町並を残している。

平成六年六月

伊勢原ロータリークラブ

創立二十五周年によせて

日本遺産構成文化財

大山では豊かな森林資源を生かし、ロクロを用いて木工製品が製作されてきました。 江戸時代の寛政9年(1797) の 『東海道名所図会』 には、 「名物の挽物店多し」 と紹介されています。

大山詣りが盛んになる江戸時代中期には、御師が配札時に講へ配り、参拝者も土産物として買い求めました。 こまが良く回ることは、金回りが良くなるとされ、家内安全、商売繁盛を呼び込む縁起物として人気となりました。

大山こまの特徴は、次のとおりです。

  1. 材料は、主として大山のミズキを用いる。
  2. 芯はモミジやカシ材で、あとから差し込む。
  3. 芯が上に突き抜けないように、芯棒は上が細く、 中が太い。
  4. 形は全体に丸みを帯び、 色は、白木に紅、藍、紫で塗り分けられる。

「大山こま」 は、江戸時代から現在にまで引き継がれてきた大山詣りに欠かせない土産物であり、 その製作技術は伊勢原市指定無形民俗文化財に指定されています。

江戸庶民の信仰と行楽の地

~巨大な木太刀を担いで「大山詣り」 ~

《 ストーリーの概要》

大山詣りは、 鳶などの職人たちが巨大な木太刀を江戸から担いで運び、滝で身を清めてから奉納と山頂を目指すといった、 他に例をみない庶民崇拝である。

そうした姿は歌舞伎や浮世絵にとりあげられ、 また手形が不要な小旅行であったことから人々の興味関心を呼び起こし、 江戸の人口が100万人の頃、年間20万人もの参拝者が訪れた。

大山詣りは、今も先導師たちにより脈々と引き継がれている。首都近郊に残る豊かな自然とふれあいながら歴史を巡り、山頂から眼下に広がる景色を目にしたとき、大山にあこがれた先人の想いと満足を体感できる。

大山阿夫利神社

創建は紀元前97年崇神天皇の頃と伝えられ、大山祇神(おおやまずみのかみ)、雷神(いかずちのかみ)、高おかみ神を祭神とし、海人たちの守り神、鳥石楠船神(とりいわくすぶねのかみ)を合祀しています。

本社は山頂にあり、中腹に下社があります。

ケーブルカーを降りると標高696mの大山阿夫利神社の下社。

ここからひたすら急峻な山道を1時間30分歩くと1251.7m頂上の本社に着きます。

かながわの景勝50選のひとつともあって、雄大な眺望が一気に広がり眺めは素晴らしいものです。

 

大山

標高 1251.7mの大山は、 大山丹沢国定公園に属し、丹沢山塊の東端にそびえています。

南東側がひらけた平野になっているため、相模の広い地域からひときわ高く、ピラミッド形の美しい山容を見ることができます。

さらに、遠く東京 (江戸) からは富士山と並んで臨むこともできます。

古くから神の宿る山として崇められ、 「大山に雲がかかると雨が降る」ことから、 雨乞いの山として「雨降(あふり・あぶり) 山」とも呼ばれています。

古来の信仰である石尊信仰と山岳仏教とが結合した神仏習合の霊山として、鎌倉時代には源頼朝、室町時代には足利尊氏ら、 武士の信仰を集めました。

江戸時代には、徳川家康、家光らの庇護を受け、江戸の町民たちの間にも大山詣が盛んとなり、信仰、観光の山として賑わいました。

明治維新後は、神仏分離により大山阿夫利神社と大山寺に分かれ、それぞれが今なお厚い信仰を集めています。

 

大山寺

「大山のお不動さん」として親しまれ、関東三大不動の一つ、また関東三十六不動の一番札所になっています。

天平勝宝7 (755)年、奈良東大寺の別当良弁僧正の開創とされます。

鎌倉時代の文永年間、 願行上人によって鋳造された本尊鉄造の不動明王、二童子像は国の重要文化財にも指定されています。

徳川家光は、この不動明王に深く帰依したといわれ、 その乳母である春日局も大山寺に参詣しています。

門前の鮮やかな紅葉は、 多くの観光客の目を楽しませてくれます。

納太刀 (おさめだち)

大山詣りの際、 大山講中が江戸から担いでくる木製の木刀です。

当初は長さ30cmほどでしたが、大きいものであるほど粋であるとされ、中には7mを超えるものも納められるようになりました。

この文化は、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝に起源があるこのいわれがあります。

平家打倒の際、 大山に祈願に訪れた際、 自らの木刀を奉納したとされています。

以来、このことにあやかり武運長久を祈願して納太刀を奉納することが流行したと考えられます。

現在でも大山阿夫利神社をはじめ、先導師旅館において多くの木太刀が保管されています。

確認できている中で記銘のあるものとしては、明治から昭和にかけての制作が多く、中には江戸時代に制作されたものもあり、文政4年(1822) が最古です。

バスを降りて長くなりましたが、ここからがケーブルカーへ向かう坂道です。

バス停からすぐのところにあると思いきや、ここからかなり長い参道を歩いて登らなくてはなりません。

大山川に沿って参道が続きます。

香りの街道

歴史と自然に満ちあふれた大山にまだ一つ新しい魅力が加わりました。

大山参道の四季折々の香りをお楽しみ下さい。

いつ訪れても、花の香りが皆様をお迎えいたします。

思い出のひとつとしてこの香りをお持ち帰りください。

大山光青年專業者研究会

こま参道

大山阿夫利神社・大山寺へ向かうこの参道は名物「大山こま」にちなんで名付けられました。

こま参道は362段です。

「東京 嶺旭講(れいきょくこう)」は、東京エリア(旧江戸・東京)の職人や商工民などの信者によって結成された「大山講(おおやまこう)」という民間信仰組織(講社)のひとつです。

かつてその講の信者たちが集い、お世話になっていた宿坊であることを表しています。

参道のこまの絵は踊り場の数を示します。

もともとこの稲荷社は、参道沿いの現在地ではなく、大山川の対岸(千代見橋の近く)に鎮座していました。

しかし、大正12年(1923年)の関東大震災によって社殿が被害・倒壊したため、現在のこま参道沿い(お豆腐料理店「和仲荘」の隣付近)へ遷座(移転)された経緯があります。

「大山=豆腐料理」というイメージが定着していますが、参拝客やハイカー向けに現代的な「豆腐コース料理」を1970年代に初めて本格的に提供し始めたお店がこの和仲荘と言われています。

「和仲荘」は、かつては参拝客(大山講)を宿泊させ、道案内や祈祷を行う先導師(せんどうし)の宿坊「和田仲太夫(わだちゅうだゆう)」として歴史を刻んでいました。

参道の途中にはこのようなお店が並んでいます。

正本坊あさだ(淺田家)も先導師の宿坊のひとつであり、昔から多くの参拝客を常宿として迎え入れてきた歴史があります。

7番目の踊り場です。

「千代美荘(ちよみそう)」も、もともとは「千代美坊(ちよみぼう)」という大山山麓に位置する伝統的な宿坊(先導師の宿)です。

現在でも大山阿夫利神社の神職(先導師)としての神事の役割を受け継ぎつつ、一般の宿泊客や観光客も受け入れる「料理旅館・和風旅館」として営業を行っています。

ちょっとここから左へ曲がって大山川を渡り茶湯寺へ行きます。

伊勢原市指定重要文化財(昭和五十二年五月二十五日指定)

木造 釈迦涅槃像

像長一六四、五 cm

釈迦が涅槃に入った(亡くなった)時の様子を表し、右手を枕にして横臥する等身大の涅槃釈迦像です。

彫刻としては涅槃像は、日本では少なく、貴重な作といえます。

造像技法は、いくつかの木を合わせた寄木造です。

頭部は前後で矧ぎ、首の部分を体部に差し込んでいます。

体部は前後左右で四材を矧ぎ、右脇の下に右腕となる二材を矧ぎ付けています。

江戸時代の作です。また、体内に納められていた木札の記録から明治九年(一八七七)に修理されたことがわかりました。

平成十六年三月

伊勢原市教育委員会

わらべじぞうさまです。

伊勢原市指定重要文化財 (昭和52年5月25日)

木造 釈迦涅槃像

像長 164.5cm

釈迦が涅槃に入った (亡くなった) 時の様子を表し、 右手を枕にして横臥する等身大の涅槃釈迦像です。 彫刻としての涅槃像は、日本では少なく、貴重な作といえます。

造像技法は、いくつかの木を合わせた寄木造です。 頭部は前後で矧ぎ、首の部分を体部に差し込んでいます。 体部は前後左右で四材を矧ぎ、 右脇の下に右腕となる二材を矧付けています。

江戸時代の作です。 また、 体内に納められていた木札の記録から明治9年 (1877) に修理されたことがわかりました。

参道に戻りました。

食事はここで取りました。

登山記念の碑が埋め込まれています。

「ねぎし」もかつて先導師の宿坊であった歴史を持つ料理旅館・お食事処です。

19番目の踊り場です。

20番目の踊り場。

24番目の踊り場です。

最後に大山川を渡ります。

27番目の踊り場です。

根之元神社の由来

御祭神

  • 磐拆神 イワサクノカミ
  • 根拆神 ネサクノカミ
  • 石筒之男神 イワツツノオノカミ

古事記によると、伊邪那美命(イザナ ミノミコト)が、火迦具土神(ヒノカグツチノカミ)の災難により、この世を去られた時、その夫、伊邪那岐命(イザナギ ノミコト)は、火迦具土神をお切りになりました。

その御佩刀(ミハカセ)の先より生まれられたのが、当神社に祭られる三神です。

悪縁・邪念を断ち切る。開運・病魔退 敵のご神徳あらたかと、広く崇敬されております。 坂本町鎮守社世話人

 

ケーブルカーの駅に着きました。

大山ケーブルカーのスタッフが用意した、ソース味のコオロギ煮干しやカブトムシなどの多様な昆虫食が販売・取り扱いされています。

伊勢原駅の隣にある鶴巻温泉駅の近くの温泉です。

今回はここまで、ケーブルカー以降は次のブログで。

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