史跡

東京街歩き:家康の側室の阿茶局と茶阿局

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東京都文京区の小石川あたりを歩いていて、宗慶寺(そうけいじ)の前を通りかかりました。入口の右に「茶阿局墓碑」の掲示板があります。

 

文京区の名所、旧跡を記した書籍にも書き込みのないこの墓碑を調べてみました。

宗慶寺の入口にある紋は徳川の”三つ葉葵”ですね。

掲示を見たときは最初「阿茶局(あちゃのつぼね)」と思いましたが、よくよく見てみると、「茶阿局(ちゃあのつぼね)」と書いてあります。

とにかく家康は側室が多く20人程いたようです。その中のひとりに「茶阿局」がいたようです。調べてみると上の掲示にも書いてあるように、世継ぎの男子を生んでいます。

側室でも家康の子供、それも男子を生んだとなれば、それだけで地位が上がりますから、低い地位の側室ではないと思いますが、今まで名前を聞いたことがありませんでした。

それどころか「阿茶局」と間違ってしまうほど、紛らわしい(失礼ですね)名前です。

そこで、今後間違えないように、「阿茶局」との比較表を作ってそれぞれの人物を明確にしてみました。

「茶阿局」については農民出身と記したものもありますが、系譜をたどると武家に繋がります。「阿茶局」は、間違いなく武家の出身です。家康からは「茶阿局」の身分が低かったため、その子供が疎んじられたとの書き込みもありますので、出身は没落武士の家系であったと思われます。

どちらも聡明で奥向きの諸事を家康から任されていたとのことですが、後に朝廷から従一位を授けられた「阿茶局」は側室でも図抜けた存在であったようです。

「阿茶局」については、よくドラマででてきます。最近ではNHKの大河『真田丸』で斉藤由貴が、『大坂冬の陣』の和議の使者として登場します。

一方で、「茶阿局」はほとんど、映像や小説にでてこない人物です。

 

阿茶局 茶阿局
生年-没年 1555-3-16~1637-2-16

83歳

不詳~1621-7-30
出身 甲斐

(山梨県甲府市)

遠江国金谷村

(静岡県島田市)

出身階級 武田家臣・飯田氏の娘 茶阿の実兄・山田上野介は石田三成に仕えていたということで武家出身
子ども なし 松平忠輝 1592年生
院号 雲光院 朝覚院
墓・墓碑 雲光院(東京都江東区三好) 宗慶寺(東京都文京区小石川)

参考までに古地図を添付しておきます。

宗慶寺は松平播磨守の邸宅(現在の播磨坂の周辺)に隣接しています。

地図の上の方に小石川御薬園(現在の小石川植物園)も確認できます。

松平播磨守は常陸水戸藩です。茶阿局との具体的な関係までは分かりませんでしたが、縁があってこの地にお寺が建てられたことが分かります。

今回はたまたま、寺の前を通りかかって、「阿茶局」と間違えて、びっくりしたことから調査をしましたが、東京の街は歩けば歩くほど、歴史の跡が刻み込まれています。

これからも、気になった史跡をブログに掲載してゆきたいと思います。


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