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啄木鳥探偵處(きつつきたんていどころ)・石川啄木と金田一京助

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小説・啄木鳥探偵處 (創元推理文庫)がアニメ化されて、石川啄木に興味を持った人も多いと思います。

石川啄木が探偵となり、その助手にあの言語学者の金田一京助が登場します。

この設定にまじか! と思ってしまいました。

啄木の探偵はまあ、許せます。

しかし、金田一大先生を勝手に助手にするなんてありえない。

金田一さんの子供や孫は現在でもTVによくでてきますが、ご家族は納得しているのでしょうか。

アニメの画像は、文京区の歩け歩けで頂いたメモ帳の表紙です。

1        啄木の生涯と金田一京助

びっくりしたことに、この二人は同郷です。(勝手にびっくりするなって話ですが。)

石川啄木  1886年(明治19年)2月20日

岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現在の盛岡市日戸)に誕生

金田一京助 1882年(明治15年)5月5日

盛岡市四ツ家町に誕生

そして、二人は岩手県盛岡尋常中学校で出会います。

小説の中では、金田一さんが啄木に扱き使われていますが、中学では

金田一京助は啄木の3年先輩で、文学の指導をしていたということです。

以下は年表風にまとめます。


  • 1902年 16歳

    しかしながら、素行が悪く、16歳の時に中学を中退。

    中退後は文学で身を立てるため上京し、与謝野鉄幹、晶子の指導を受けます。

    最初の下宿は鳩山会館の南側の斜面にあります。(文京区音羽1丁目6−1)


  • 1903年 17歳

    結核の発病もあり、帰郷。


  • 1904年 18歳

    再び上京


  • 1905年 19歳

    帰郷し、結婚。


  • 1906年 20歳

    渋民尋常高等小学校の代用教員になる。


  • 1907年 21歳

    ストライキ騒ぎで退職。

    北海道へ渡り、函館の尋常高等小学校の代用教員になる。

    函館大火 そのあといろいろありました。


  • 1908年 22歳

    単身上京。金田一京助の厚意で本郷の赤心館(文京区本郷5-5)に下宿。

    現在はオルガノ株式会社の建物があります。

    その年のうちに下宿先を本郷区森川町蓋平館別荘(文京区本郷6-10-12)に移す。

    新坂という坂を上り切った所にあります。


  • 1909年 23歳

    東京朝日新聞社の校正係となる。

    家族(母、妻、子ども)上京し、本郷弓町の床屋に引っ越す。

    現在も、その地(文京区本郷2-38-9 新井理髪店)は床屋さんでした。


  • 1910年 24歳

    「一握の砂」刊行


  • 1911年 25歳

    慢性腹膜炎のため帝大病院に入院

    小石川に転居


  • 1912年 26歳

    母・肺結核で死亡

    「悲しき玩具」刊行

    啄木・肺結核で死亡 (文京区小石川5丁目11−7)

    啄木が病死する2ヶ月前に作った歌二首を書き留めた直筆原稿の複製です。

    苦しい状況と悲痛な心情が見て取れます。

    これは終焉の地である小石川の石川啄木顕彰室に展示されています。


  • 1913年

    妻・節子 肺結核で死亡


2        小説の中の啄木と金田一京助(ネタバレ有り)

1908年5月 22歳の啄木が、3回目の上京をした時から26歳で亡くなるまでの東京での4年間がこの小説の時期です。以下小説の題名毎に、実際の啄木と金田一を照らし合わせてみました。

 

2.1         魔宿の女

啄木が亡くなった後の回想として書かれています。3回目の上京後、金田一京助が帝大生の頃から下宿していた本郷の赤心館に引き取り同居しましたが、啄木が金と女でもめて、9月には本郷区森川町蓋平館別荘に下宿先を移します。

現在は、赤心館も蓋平館別荘もありませんが、その事実を示す掲示板はあるようなので、機会があれば行って写真を撮って来たいと思います。

この小説は、その蓋平館別荘での事件です。色街に連れ出された挙句、そこの娼婦の死に関連して、思いやりのない啄木の証言によって、官憲から殺人の疑いを掛けられます。

それを救ってくれたのが若き日の江戸川乱歩と言う設定です。

そして啄木が最後に乱歩に渡した二銭硬貨が乱歩の短編「二銭硬貨」のトリックの出発点となったとのことです。

2.2         高塔奇譚

1909年家族が上京し、金銭を得るために副業として始めた探偵業に金田一さんが付き合わされます。

その頃は本郷2丁目の床屋・喜之床の二階に住んでいます。

金田一さんが、湯島天神から喜之床まで歩くくだりがありますが、上り坂できついとあります。自分のイメージではそれほどでもないのですが、現地で一度検証してみようと思います。

金田一京助は前年に國學院大學講師となっています。啄木は大学に電話をして、金田一を呼び出し、二人で浅草の今は無き凌雲閣まで幽霊の正体を調査しに行きます。

たぐいまれな才能のとりこになっている金田一さんは、啄木に良いように使われます。

この短編の終わりの1909年末に、27歳の金田一さんは、20歳の林静江との結婚準備をしています。紹介したのは啄木で、「文学士で大学講師で、くにではおじさんが盛岡の銀行頭取」と宣伝して縁談を進めたとのことでした。

2.3         忍冬(すいかずら)

事件は1910年12月です。浄瑠璃の人形が、喉を噛み切る殺人をしたという奇妙奇天烈な事件です。

金田一さんは無事結婚し、本郷森川町1番地・蓋平館隣に住んでいます。奥さんの実家はすぐ隣だということが、次の短編「鳥人」で出てきます。

啄木に呼び出された金田一さんが、お金の無心かと警戒していますが、「一握の砂」刊行の後で、啄木にも少し余裕があるようです。

しかしここでも金田一さんは、啄木に代わって、足が棒になるほど頼まれた用事に奔走しています。

2.4         鳥人

1910年に大逆事件が発生し、幸徳秋水ら12名の死刑執行が1911年1月に行われました。

翌2月に啄木が、慢性腹膜炎で帝大付属病院に入院します。

啄木の妻の節子も肺結核に侵されている風がわかります。

3月には退院しますが、かなり体調が悪いのが分かります。

この回の依頼人は演芸ホールの座長で、依頼内容は一座で人気の鳥人間の悩みの原因を掴むことです。

2.5         逢魔が刻

1911年6月 外に出歩く体力もありません。

既に金田一の奥さんからは、啄木は煙たがられています。

そうは言っても、啄木好きの金田一さんは、啄木に代わって、依頼者からの聞き取りも含め、全ての情報収集を行います。

探偵代行という言葉を使っていますが、最後は啄木が真相を語りますので、偉大なる助手と言うところでしょうか。

しかし、彼の病状は更に悪化して次の年には他界します。

 

文京区には至る所に啄木の痕跡があります。26歳で若くして夭折した破天荒な若き天才詩人。生存時には、周囲に大迷惑を掛けましたが、いつまでも愛される彼の足跡をこれからも辿れるだけ辿ってみようと思います。

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