昔タモリさんが岡本太郎氏との対談の様子を身振り手振りで語っていました。
「名前なんかにこだわっちゃいけない」
「空を飛ぶ鳥に名前がありますか?」
「人間だけが、名前や、肩書きや、職業や、身分に縛られている。」と、
そんな岡本太郎の美術館は、川崎市の生田緑地公園にあります。
建物は地上部分もありますが、展示室を含む主要部は、公園の起伏がうまく利用され殆ど地下に埋設され、周囲の自然と調和が図られています。
階段を上ると左に入口、正面に「母の塔」があります。
訪問時は「クルト・セリグマンと岡本太郎」の企画展の期間中でした。
シンボルタワーの「母の塔」です。びっくりするくらい大きなオブジェで、白い土台の中から、人がにょきにょき出ている感じがします。
3回目の訪問ですが、毎回感動します。
入口近くにある池です。
この像は、大阪万博(1970年)時「太陽の塔」の地下に展示された作品です。
バイキングの王様のようでなんかおどろおどろしいですが、人の感情を具現化した像とのことです。
ここが入口です。古墳の石室の入口のようです。
いよいよ展示室です。
この顔は「太陽の塔」の顔ですね。
絵画は、作者の心がデフォルメされている感じですが、やたら気になる特徴的な部位があります。
「森の掟」という作品です。
チャックを体に縫い込まれた怪物が、恐ろしい目をして、平和を襲っている様子とのことです。
太郎の母親 「岡本かの子」も、小説家、歌人として活躍していました。
父親「岡本一平」は、日本の画家・漫画家・文筆家です。
「総理大臣の名前は知らなくても一平の名前は誰でも知っている」とまで言われた超有名人でした。
絵画のほかに、小物のオブジェも展示されています。
「森の家族」パパさんの木とママさんの木と子供の木が並んでますが、なんだかパパさんとママさんは怒っているみたいです。
「無籍動物」長野県千曲市の温泉施設の屋外に展示されていた作品です。
残念なことに、群発地震のために全体的にひびが入って現存していません。
大阪万博の「太陽の塔」のミニチュアです。
漫画「20世紀少年」にでてくる「ともだちの塔」の原型です。
実際に「20世紀少年」の映画では、「太陽の塔」の実物を使って「ともだちの塔」に化粧直しして撮影しました。
塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔を持っています。
現在はリニューアルされて一般公開されていますので、大阪へ行くついでがあれば寄って来たいと思います。
「樹人」のミニチュア。近寄ると刺されそうです。
本物は箱根彫刻の森美術館で屋外展示されています。
「若い太陽の塔」愛知県犬山市にある日本モンキーパークにあるオブジェのミニチュア版です。
これは出口のオブジェ。写真撮影用です。
東京都多磨霊園にある岡本太郎自身の墓碑にもなっている作品「午後の日」という作品の目玉のところから顔を出します。
バックのメダルは氏がデザインした東京オリンピックと札幌オリンピックの公式参加メダルです。
特別展のセリグマンの作品は撮影禁止でしたので掲示できません。太郎と同じ前衛的な作品です。
しかし、コロナの影響で海外からの分が手配できず、レプリカになっていました。
最後に生田公園の地図です。
日本民家園は、茅葺屋根の家が何軒か移築されています。(入ったことはありませんが・・)
科学館は現在の建物になる前は入った事がありますが、新しい建物はまだ入っていないので、次回は立ち寄ってみようと思います。
おまけ
渋谷駅に行ったついでに壁画「明日の神話」を撮って来ました。
メキシコで建築中のホテルから依頼を受けた岡本太郎氏が1968~69年の間に制作した作品でしたが、依頼主の経営状況が悪化したため、ホテルが竣工することは無く、納品された作品も行方不明になっていました。
ところが、2003年、メキシコシティ郊外の資材置き場に保管されていた「明日の神話」が発見されます。
30年以上放置されたため、大きなダメージを負っていましたが、壁画を修復するプロジェクトが始まり、各界の有志の協力や募金活動などのサポートを得て、発見から3年後の2006年に修復が完了。
2008年11月に、渋谷に恒久設置されました。