井の頭自然文化園は、東京都武蔵野市にある都立の動物園で、井の頭公園の一角に位置しています。
井の頭自然文化園は井の頭公園の3分の1を占める広大な敷地にあり、170種類以上の動物が飼育されています。
また、彫刻家北村西望(きたむらせいぼう)の作品を展示する彫刻の森や、知的好奇心をくすぐる文化的な施設もあります。
今回は、久々に北村西望の作品主体に見に行きました。
5月4日みどりの日は、入場無料の日です。
目次
1 正面入り口
入場門を入ってすぐのところに北村西望作の作品があります。
1.1 天女の舞 (1983年)
2 資料館
2.1 平和の女神 (1968)
2.2 デザニャーレ
「デザニャーレ」は、デザインの語源であるラテン語の「designare」からきた造語です。この展示では、専任デザイナーだけでなく、外部デザイナーや職員がデザインしたモノも含めて紹介されています。
会場は資料館1階で、2024年3月31日(日)から9月1日(日)まで開催されています。デザインされた生きものたちであふれています。
2.3 「花吹雪」(1961)
彫刻館の方にも似たような像があります。
2.4 原風蒼茫 (1967年)
2.5 若き日の織田信長 (1070年)
2.6 咆哮 (1983)
3 童心館
3.1 狛犬 (1955年)
童心居
謡詩人として名声を博した野口雨情の書斎を移築し、その後の改修を経て一般に公開しているものである。
雨情は、1882(明治15)年、 茨城県磯原に生まれ、童謡「七つの子」や「シャボン玉」など数多くの名作を残した詩人です。
「赤い靴」 や
「創作民謡「の」などの作詩で広く世に知られた。
1924(大正14)年、吉祥寺に住居を移し、書斎を「童心居」と名付け、多くの作品を書き上げました。
空襲が激しくなると雨情は疎開するために出版社の社長の大島秀一氏に居宅とともに童心居を譲渡しましたが、その後童心居は雨情会に寄付されました。
1958(昭和33)年雨情会は、童心居の完全な保存を目的として、東京都に寄贈しました。
そして、翌1959(昭和34)年、雨情が武蔵野の中でも特に愛していた井の頭自然文化園内に移築されることになりました。
4 彫刻館
彫刻家北村西望の作品を展示する彫刻館です。
ここでは、彼の数々の作品が約250点展示されています。
特に長崎の平和記念像は、彼の最高傑作として知られています。
この像は高さ13.6メートルで、戦争や原爆投下に対するメッセージを込めて制作されました。
また、北村西望のアトリエも併設されています。
館内は撮影禁止の為、屋外展示を中心に撮影しています。
4.1 聖観世音菩薩 (1975年)
広島の中央図書館前に設置した像の原型。
4.2 天馬 (1976年)
天女の笛に題す
耳をすますと
どこからともなく
何とも言えない
音がきこえてくることがある
あれは世に言う
天女の笛では
あるまいか
昭和五十七年
白寿 西望塑人
北村西望はこの3作品で世に出ました。
4.3 怒涛 (1915年)
文部省第9回美術展覧会で1等無しの2等賞を受けた作品です。
4.4 晩鐘 (1916年)
第10回文展で特別主席を受賞した作品。
4.5 光に打たれる悪魔 (1917年)
4.6 はな子の銅像原型
彫刻館B館の入口です。
「はな子」は当園で飼育していたメスのアジアゾウです。
2016年5月26日に69歳で死亡するまで、ゾウの飼育下での国内最高齢記録を更新し続けました。
展示されている原型(資材はFRP)は、JR吉祥寺駅北口に設置された銅像が葉損した場合に備えて武蔵野市が所有・保管しているものです。
4.7 宇宙時代―月神(1960年)
1957年の人工衛星打ち上げから着想。
真っ逆さまの人体が、無重力を感じさせます。
4.8 カラスの母親―舞踊(1956年)
鳥のくちばしの被り物をしています。
4.9 自由の女神(1959年)
アメリカの自由に女神を意識して制作されました。
4.10 花吹雪―1965年
女性が、軽やかに舞っています。
4.11 無限―夏の星座(1922年)
星空を見上げるような男性の姿です、
4.12 浦島―玉手箱 (1953年)
地面に転がった玉手箱から煙がでて、浦島太郎がおじいさんに変わってしまっています。
4.13 浦島―長寿の舞 (1950年)
4.14 アダム (1929年)
神様が作られた最初の人間アダム。最初の女性イブはアダムの肋骨から作られました。
4.15 源泉 (1920年)
創造の泉を例えたものです。
4.16 健康美 (1930年)
ボクサーモデルに興味を持ち制作していた時期の作品。
4.17 建国の雄姿 (1926年)
4.18 拳闘 (1931年)
ロスアンゼルスオリンピックに出品された作品。
ボクサーの佐藤東洋選手がモデル。
4.19 師範代 (1920年)
柔道の師範をモデルにしています。
4.20 創造の人 (1927年)
体格の大きなモデルから芸術の着想を得ていたとのことで、このブロンズは創造する作者自身を、その源である肉体美で表現したものという事でしょうか。
5 アトリエ
5.1 将軍の孫 (1918年)
3歳になる西望の長男が軍靴を身に着けて敬礼する姿をモデルとして制作しました。
5.2 「輝く健康美」(1962)
5.3 人類の危機 (1958年)
長崎の平和記念像制作から、核戦争への危機感を表した作品。
鬼が、何かを投げようとしています。
5.4 静座―巨人 (1925年)
関東大震災のあと、台地が揺れないように不動の巨人像を制作しました。
5.5 怪傑日蓮 (1929年)
平和記念像を制作した時、沢山の批判を受けていた北村西望の心の内を、鎌倉幕府に訴える日蓮上人になぞらえたもの。
5.6 加藤清正公 (1960年)
1935年、加藤清正公没後325周年に熊本県の本妙寺に建設された像の小型のもの。戦後になってから顔を作り直し仏の顔にしました。
5.7 聖観世音菩薩 (1937年)
彫刻館の前にある「聖観世音菩薩」とほぼ同じ形状ですが、よく見ると胸の飾りなど細かいところが違います。
5.8 阿弥陀如来像 (1970)
5.9 阿弥陀三尊像 (1967年)
5.10 孔子像 (1933年)
この地にアトリエがあったので、各地から依頼された像の原型が沢山展示されています。
ここで見た原型像が、各地でどのように展示されているのかを見るのもまた楽しみです。
南にある井の頭池の様子は、東京街歩き:神田川の源流・井の頭池を散策 でレポートしています。