渋谷の金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)は、東京都渋谷区に位置する歴史ある神社です。この神社は、平安時代末期の1092年に創建され、渋谷の守護神として長い歴史を持っています。
駅からの距離は約360メートルで、徒歩で約5分ほどです。
目次
1 歴史
金王八幡宮は、平安時代末期に平武綱(たいらのたけつな)によって創建されました。
平武綱は、源頼朝に仕えた武将であり、渋谷の地にこの神社を建立しました。
その後、渋谷氏がこの地を治めるようになり、金王八幡宮は渋谷氏の守護神として崇められました。
2 参道
3 本殿
江戸時代初期に建てられた本殿と拝殿は、東京都の有形文化財に指定されており、その美しい彫刻や建築様式は一見の価値があります。
この地は河崎基家が 寛治 6年(1092年)に造った渋谷城の跡地でもあります。
4 神楽殿
5 手水舎(ちょうずしゃ)
6 金王丸御影堂(こんのうまる みえいどう)
金王丸御影堂(こんのうまる みえいどう)
御祭神 澁谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)
祭礼日 三月最終土曜日 御開帳
由緒 平安末期、澁谷重家夫妻が当八幡宮に授児祈願を続けたところ、八幡神の霊夢により永治元年(一四一)八月十五日に金王丸が誕生しました。
金王丸十七歳の時、源義朝に従い保元の乱に出陣。
平治の乱ののち出家し、土佐坊昌俊と称し義朝の御霊を弔いました。
また、頼朝とも親交が深く鎌倉開幕にも尽力。
義経追討の命を受け、文治元年(一一八五)十月二十三日夜、心ならずも義経の館に討ち入り勇ましい最期を遂げました。
この御影堂には、保元の乱出陣の折、自分の姿を彫刻し母に遺した木像が納められています。更に金王丸が所持していた「毒蛇長太刀」も当八幡宮に保存されています。
渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)は、渋谷平三重家の子で、永治元年(1141)年8月15日に生まれました。
重家には子がなく夫婦で当八幡宮に祈願を続けていると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢をみて立派な男子を授かりました。そこで、その子に明王の上下二文字を戴き「金王丸」と名付けました。
金王丸御影堂には、金王丸が17歳で出陣の折、自分の姿を彫刻し母に形見として残した木像が納められています。
なぜか敷地の石垣には、近くの國學院の大学駅伝の二冠達成の横断幕が吊られていました。
今年(2024年)は強い。出雲と全日本大学駅伝の2冠達成です。