博覧強記 史跡

壱岐② 壱岐・住吉神社と壱岐神楽

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長崎県壱岐の住吉神社は最古の住吉神社と呼ばれています。
住吉三神」の守護によって新羅、高麗、百済の三韓征伐を為し遂げた神功皇后が、その帰途壱岐に上陸して三神を祀ったのに始まるとのことです。

入口の鳥居はよく見ると横石が組んであるのが分かります。
地震の時は崩れないかしら?と心配。

「住吉三神」は、 『日本書紀』によると、
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
です。

イザナギ(伊邪那岐命)とイザナミ(伊邪那美命)は国生みの神として大倭豊秋津洲(本州)・伊予二名州(四国)・筑紫(九州)・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡の大八島を生み、またさまざまな神を生みましたが、イザナミが火の神を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立ちました。
その後、イザナギは、黄泉国からイザナミを引き戻そうとしますが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」(現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町の海岸)で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊(みそぎ)を行いました。
このとき、瀬の深いところで底筒之男神が、瀬の流れの中間で中筒之男神が、水表で上筒之男神が、それぞれ生まれ出たとされ、古くから海の神として信仰されています。
そのため、航海関係者や漁民の間で、霊験あらたかな神として崇敬されてきました。
奈良時代、遣唐使の派遣の際には、住吉さんで必ず海上の無事を祈りました。。

また息長帯姫命(神功皇后) を含めて「住吉大神」と呼ばれることもあります。

ちなみに、『古事記』では、三神の表記が変わり、
底筒之男神(そこつつのおのかみ)
中筒之男神(なかつつのおのかみ)
・ 上筒之男神(うわつつのおのかみ) と表記されています。

住吉神社

一、 御祭神
底筒男神
中筒男神
表筒男神
御相殿に
八千戈神(大國主命)
一、 御由緒
當社は神功皇后新羅御親征御凱旋の時 三韓鎮護の為 軍越神事を定めて御親祭あらせ給いしに始り
文徳天皇を始め11回に亘って神位を御進めになり醍醐天皇の御代には式内名神大社に明治4年5月には國幣中社にそれぞれ御列格になり昭和24年5月と同44年10月同49年10月には恐くも天皇陛下より幣饌料も御奉納遊ばされ今や壱岐の島の總鎮守として尚且つ長崎縣下筆頭の御由緒ある神社として 朝野の御尊崇殊に厚き神社なり
一、 例祭日
例祭 11月9日
春祭 4月11日

手水舎は石をくり抜いて作ったのか、変わった形をしています。

神殿前の大きなクスの木です。
お願いが叶う木とのことで、願いを込めて回ってきました。

住吉神社の夫婦楠
壱岐市指定天然記念物
柿の木は古い葉が落ちても、次々と新しい葉が現われる「常緑樹」です。
そのことから子孫繁栄の象徴として考えられました。
この神社を訪れる人はこの木を長寿・縁結びの神様と考えこの木の周りを一周廻れば願いが叶うとも信じられています。
根は一つにして、二つの雌雄の幹に分かれ、古くから夫婦楠として住民から慕われており、結婚式などの折には大変喜ばれております。
どうぞ願いを込めてお廻りください。
(男子は左廻り・女子は右廻り)

神殿の中では壱岐神楽を見ました。
観光用にこうして専業で神楽を生業としているメンバーさんがいらっしゃるとか。

 

まじかで、神楽をを見たことはありませんでしたが、古き良き日本の伝統芸能で、なつかしさを感じさせる踊りでした。

動きは、今はやりのダンスと比べるとゆっくりしたテンポですが、心地よい安心感があり、いくつもの神楽を見ても不思議に飽きることはありませんでした。

神楽の一つ一つに意味があり、解説頂いたのも良かったと思います。

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