巣鴨地蔵通り商店街には「赤パンツ(マルジ)」をはじめ、高齢者向けのゆったりした服、歩きやすい靴、塩分控えめのお惣菜や和菓子(和菓子店やせんべい屋)など、シニア世代のニーズに特化したお店が沢山集まっています。
2月(2026年)久しぶりに遊びに行ってきました。
タネ屋街道の掲示板です。
江戸・東京の農業 旧中山道はタネ屋街道
旧中山道を通る旅人の中には弁当を食べるため、街道沿いの農家に立ち寄り、縁側を使わせてもらう人などもいました。
旅人は、農家の庭先や土間で見慣れない野菜を見かけると、国元で栽培しようと、タネを欲しがる人も多く、やがては農家の副業としてタネを販売するようになりました。
その後、江戸・東京が生んだ滝野川ゴボウ、 滝野川ニンジンなど優れた野菜が出現するとタネを扱う専門店ができ、 明治の中期には巣鴨のとげぬき地蔵から板橋区清水町にいたる約6kmの間にタネ屋問屋が9戸、小売店が20戸も立ち並びさながら、タネ屋街道になっていました。
寛永20年(1643)の代官所に申告した書き付けに、長野県諏訪からきたタネの行商人が榎本種苗店(豊島区西巣鴨)に仕入れにきた模様が記されています。
馬12~3頭をひいてタネを仕入れ、帰り道「萬種物」の旗を立てて街道のタネ問屋に卸していったり、農家に販売して歩くなど、さながら富山の薬売りと同じようにタネも行商により商われていました。
平成9年度JA東京グループ
農業協同組合法施行五十周年記念事業
東京都種苗会
JR巣鴨駅の正面口か北口を出て駅前の国道を右手方向へ渡り、左に入って巣鴨地蔵通り商店街(旧中山道)に入ります。

目次
1 高岩寺(こうがんじ)
高岩寺(こうがんじ)巣鴨地蔵通り商店街のシンボルとして知られています。



身体や心の悩みを治してくださるお地蔵様へ、日頃の感謝や病気平癒の祈りを込めて、参拝者が新しい帽子や涎掛けを奉納しています。
定期的に新しいものへ付け替えられており、あたたかい信仰の証となっています。
とげぬき地蔵

「高岩寺(こうがんじ)」に祀られている地蔵菩薩です。
「とげぬき」という名には、身体の病気や不調だけでなく、心に刺さった悩みという「棘(とげ)」まで抜き去り、健康長寿へ導くご利益があることに由来します。
この「洗い地蔵」は、自身の身体の悪い部分と同じ箇所に水をかけ、布で優しく擦ることで病気平癒を祈願する参拝スタイルで有名です。
とげぬき地蔵(洗い地蔵)は順番待ちして願掛けしてきました。
お地蔵さんは実は地蔵菩薩なのだそうです。
2 赤パンツの店マルジ

1993年11月頃、店に「赤いパンツはありませんか?」と尋ねるお客さんが相次ぎました。
当時、赤い下着は市場に出回っておらず、問屋や工場からも「そんな商品は売れない」と笑われたそうです。
しかし社長が「困っているお客さんがいるなら」と試しに生地を手配して240枚の赤パンツを自作したところ、約1ヶ月で完売。
これが赤パンツ誕生の由来となりました。
東洋医学では、へその下にあるツボ「丹田(たんでん)」を赤色で覆うと、身体が温まり冷えを防ぎ、自律神経や自然治癒力を高める効果があると考えられてきました。また、「一生下の世話にならない」というおばあちゃんたちの言い伝えもありました。
さらにマルジの名を全国区にしたのが、2004年の「申(さる)年」です。
日本では昔から「申年に贈られた赤下着を身につけると病気が去る(サル)」という語呂合わせの言い伝えがあります。マルジがこれを積極的にアピールしたことでメディアにも大きく取り上げられ、大ブームとなりました。
このように、「お年寄りの健康を願う言い伝えた歴史」と「お客さんの困りごとに応えた店の決断」が結びついて、巣鴨名物「赤パンツ」が誕生しました。
東京都卸売市場豊島市場の地は、もともと伊勢国津藩主藤堂和泉守家の抱屋敷の一部でした。
その後、明和6年(1796年) に伊奈半左衛門預かり幕府御用林となった後、寛政10年(1798年)頃に渋江長伯が管理する巣鴨薬園となりました。
薬園では疾病治療のための薬用植物を栽培していました。
この巣鴨薬園は 渋江長伯が文化14年(1817年)に日本で初めて綿羊を飼育し、 羅紗織の試作を行ったことから綿羊屋敷とも呼ばれていました。
街は原宿程混んでなく、流石に若者向けの商品はありませんが、ゆったりとして買い物できます。

