史跡

『源氏物語』「賢木(さかき)」の巻の舞台としても知られる嵯峨野・野宮神社

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野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都・嵯峨野の竹林の小径にひっそりと佇む歴史ある神社です。

かつて伊勢神宮に奉仕する皇女「斎宮(さいくう)」が、伊勢へ向かう前に身を清めた「野宮」の跡地と伝えられています。

『源氏物語』「賢木(さかき)」の巻の舞台としても知られ、光源氏と六条御息所の別れの場として情緒豊かに描かれました。

「賢木」メモ

秋深まる野の宮で、光源氏と六条御息所が切ない別れを交わす名場面です。

伊勢へ下向する娘に同行し都を離れる決意をした御息所を、源氏は名残を惜しんで訪ねます。黒木鳥居や柴垣が囲む粗末ながら情緒ある庵で、源氏は榊(さかき)の枝を差し出し「変わらぬ心」を伝えようとしますが、御息所の決意は揺らぎません。

鈴虫の鳴き声や松風の音が響く中、二人は一晩中語り合い、過去の思い出と別れの哀傷に涙を流します。明け方、源氏は引き止め切れぬまま名残惜しく去り、二人の恋は静かに終焉を迎えました。

JR嵯峨嵐山駅から歩きます。徒歩約10分です。

本当に外国人が多いです。皆さん竹林を楽しんでいます。

着きました。

日本一 黑木鳥居

黒木鳥居とは樹皮のついたままの鳥居のことで鳥居の形式としては極めて原始的日本最古のものであります。

当社は従来より鳥居の用材に「くぬき」を使用して三年毎に建替をしてきましたが近時鳥居に適するくぬきが入手困難となって参りました。

そこでなんとか昔の面影を残したいと考えておりました処幸にも香川県高松市の日本興業株式会社より自然木の鳥居の寄進をうけこのたび建立の運びとなりました。

この「くぬき」は仝社(どうしゃ)が徳島県剣山(1955m)の山麓より切り出し防腐加工を施し棒をされたものです。

また鳥居の両袖の小柴垣は「うろもじ」を用い源氏物語を始め謡曲、和歌、俳句などにも表わされた黒木の鳥居と小柴垣の遺風を残したのであります

平成五年四月大安吉

嵯峨野の宮 野宮神社

野宮神社(ののみやじんじゃ)

伊勢の神宮に奉仕する内親王が潔斎のため居住された跡で、今三つの祠があり、中央に天照大神を祀り、左右に愛宕、弁財天神を祀っている。

歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮といった。

斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で一年余り潔斎されてからこの野宮に移り、三年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたが、その時の行列を斎王群行といった。

斎宮は垂仁天皇の時に皇女倭姫命(やまとひめのみこと)をして奉仕しめられたのが始まりで、その後北朝時代(一四世紀後半)に廃絶した。

野宮は源氏物語にも現れ、謡曲、和歌などに謡われているが、黒木の鳥居や小柴垣は昔のま風を伝えるものである。

京都市

野宮・ののみや(野宮神社)

平安時代の斎宮が伊勢下向に備えて潔斎生活をした野宮の一つ。

斎宮に任命されると、一年間、宮中の初斎院に入って身を清め、そのあと浄野に造られた仮宮(野宮)で一年間ほど潔斎生活をする。

平安時代の野宮は主として嵯峨野一帯に設けられ、建物は天皇一代ごとに造り替えた。

南北朝の戦乱で斎王制度は廃絶したが、神社として後世に残された野宮神社には黒木(皮のついた丸木)の鳥居と小柴垣が再現されている。

斎宮となった六条御息所の娘(後の秋好中宮)が一年間、野宮で潔斎生活を送り、いよいよ伊勢に下向するという直前に、光源氏が六条御息所を野宮に訪ねる場面が『源氏物語』「賢木」にみえる。

そこは小柴垣を外囲いにし、仮普請の板屋が建ち並んで、黒木の鳥居とある。

「はるき野辺を分け入り給より、いとものあはれなり。秋の花みなおとろへつき、浅茅が原もかれくなる虫の音に、松風すごく吹あはせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、ものの音ども絶えく聞こえたる、いと艶なり。(中略)

ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋ども、あたりあたりいとかりそめなり。

黒木の鳥居ども、さすがに神ごうしう見わたされて、」

『源氏物語』「賢木」巻より抜粋

メモ

斎王に選ばれた内親王は、まず宮中の初斎院で潔斎し、その後、嵯峨野の野宮に移って身を清めました。近年の解説では初斎院約1年・野宮約1年とされることが多い一方、『延喜式』には在京中の潔斎を「三年」とする記述も見られます。

 

謡曲「野宮」と野宮神社

晩秋のある日、旅僧が野々宮にやって来ると、一人の艶かしい女が現れ昔を語る。

六条御息所が光源氏との愛に破れ、伊勢の斎宮になる娘と野々宮にこもったとき、光源氏はここまで会いに来た。

「今日はその記念の日なので、私はそれを忘れかねて、さ迷い出た御息所の幽霊である」といって黒木の鳥居の陰に消える。

やがて御息所の亡霊が現れ、賀茂の祭で葵上と車争いで屈辱を受けたことや、光源氏が会いに来たことなどを懐かしんで舞を舞い成仏していく。

このように謡曲「野宮」は源氏物語から取材した曲で、神社境内にはゆかりの黒木の鳥居や小柴垣などがある。

謡曲史跡保存会

一面の苔は長い間育て、手入れし、この状態に保っていると、外国人の説明員が外国の観光客に説明していました。

野宮の竹美しや春しぐれ  古鄉

嵯峨野主宰村山古郷先生は 明治四十二年京都に生まれ国学院大学卒業 幼時より今兄葵郷氏に俳句を学ばる。

上京後 内田百閒先生に師事し大須賀乙字系 「草上」「東炎」同人を経て戦後「べんがら」を主宰さる。

現在社団法人俳人協会理事 鴨立庵第廿世庵主で嵯峨野主宰。

句集に『軒』『西京』『金閣』『古京』 その他著書に『大須賀乙字傳』『石田波郷傅』『文人句集書誌』並に『明治』『大正』『昭和』各俳壇史等多数 『明治俳壇史』上梓に方り昭和五十三年芸術選奨文部大臣賞受賞 昭和六十年俳句に於ける功績により勲四等を受けられ現在に至る。

昭和六十一年 四月六日

嵯峨野俳句会

野宮神社を出て再び竹林を進みます。

次に大覚寺まで歩いて向かいました。

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