秋の金沢兼六園、ライトアップ、雪吊りの準備進む

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冬支度をする2021-11に金沢兼六園を訪れました。

丁度秋のライトアップが始まったばかりで、幻想的な夜の兼六園を満喫してきました。

夜を見た後で、昼の庭園も見て来ましたので、このブログではできるだけ同じポジションから撮影した写真を並べて昼夜の違いを比較してみました。

入園時もらった兼六園の地図。

1        雪吊り作業

冬の兼六園といえば、松の雪吊りです。

入園時は丁度、雪吊り作業の真っ盛りでした。

センタ-のポールに立った職人さんと、周囲の枝に配置された職人さんの連携で作業が進みます。

センタ-の職人さんが、ポールに束ねられた縄を一本一本引っ張って輪っかにして下にいる職人さんに投げて吊り縄を完成させます。

今回はヤマトタケルの像の近くの松の作業を撮影してきました。

下の写真が完成まじかになったものです。

この時期、公園には雪吊り用の棒が芝生の上に置いてあります。

2        昼と夜の兼六園を比較

 

霞ケ池を水源とし、その落差で水が噴き出しています。

 

 

霞ヶ池と徽軫灯籠(ことじとうろう)

足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。

 

 

 

 

霞ヶ池です。

紅葉が始まってます。

右奥がお食事処の内橋亭です。

 

 

 

雪吊りの終わった松です。

夜景は吊り縄が夜空に映えてとても綺麗です。

栄螺山(さざえやま)の山頂。

霞ヶ池を掘った時の土で盛り上げたものです。

登り路が螺旋に作ってあり、その形がサザエに似ていることから栄螺山と呼ばれています。

 

 

 

 

栄螺山から見た霞ヶ池は、絶景です。

夜景はさらに見事。

 

3        ラジオ塔

昔、各家庭にラジオが無かったころは街角にこのようなラジオ塔があり、道行く人たちにラジオ放送を聞かせていました。

ラジオの普及とともにすたれました。

4        雁行橋

雁が夕空に列をなして飛んでいく様をかたどった「雁行橋」です。

石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われ、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の磨耗が著しいため、通行できなくなっています。

5        ヤマトタケルの像

園の地図には、明治紀念之標(めいじきねんのひょう)と書かれています。

1877年(明治10年)、西南の役で戦没した石川県出身の政府軍兵士400余名の慰霊のため建立されました。

徴兵によって石川県の士族、募兵が多数参戦していました。

西郷さんの西南戦争がいかに維新政府の命運をかけた戦争であるか分かります。

全国から鹿児島に向けて兵が送られたのでしょう。

ヤマトタケルの像は、九州熊襲を討伐したとされる逸話にちなんで建立されました。

6        根上松(ねあがりのまつ)

13代藩主・前田斉泰(なりやす)(1822-1866)が稚松を高い盛土にお手植えし徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられています。

根の作り出す複雑な形を楽しんだのでしょうか。

あまり他の公園で見たことがありません。

7        成巽閣(せいそんかく)

前田家の奥方御殿です。

ここは別途入館料が必要です。今回は700円(大人)でした。

建てられたのは、江戸時代の末期で、明治維新の直前です。

文久3年(1863)、奥方のため兼六園に建てられた建物は巽御殿と呼ばれました。 金沢城から見て巽の方角(東南)にある事、京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれていた事にちなんでこうした名前が付けられました。

江戸末期では、前田家と公家の鷹司家は婚姻による関係強化が図られていたようです。

明治三年十二代奥方、隆子様が巽御殿で生涯を終え、所轄は国、県、前田家と推移し歴代の天皇、宮様をお迎えする場所として使用されてきました。

昭和13年に旧国宝、昭和25年に重要文化財に指定され、財団法人成巽閣として運営されて来ましたが、平成24年に公益法人として認定され、現在は公益財団法人成巽閣となっています。

兼六園側の成巽閣の塀です。

兼六園側の入口(赤門)です。

7.1         万年青(おもと)の縁と万年青(おもと)の庭園

起伏のある庭です。

7.2         正門

成巽閣は兼六園の外側にも入口があります。

こちらの方が、正門で兼六園側の赤門に比べてかなり立派です。

正門から成巽閣に入場するとこんな感じです。

7.3         つくしの縁

どちらかと言うと平坦な庭です。。

この屋根が特徴のある建て方ということです。

 

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