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金沢旅行を楽しむ⑧「金沢能楽美術館」 と 「しいのき迎賓館」

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1        金沢能楽美術館

金沢の能楽は藩主の前田家を頂点とし、武家をはじめ、細工所の諸工人がシテ(能の主役)以外の三役を習得したという伝統に培われ、庶民間にも公布したものです。

金沢の能楽は、大和猿楽四座のうち、外山(とび)座を源流とする宝生流が盛んな土地となり、「加賀宝生」と呼ばれるようになりました。

「宝生」という呼び名は、観阿弥の長兄の宝生大夫が外山座を継いだことに由来します。

金沢能楽美術館は、加賀宝生に伝わる貴重な能面や能装束を収蔵展示する施設として、かつて公立能楽堂として利用されていた金澤能楽堂のあった地に建設されました。

明治維新を迎え、武士階級の衰退により一旦は衰えますが、加賀宝生「中興の祖」といわれる能楽師の佐野吉之助の物心両面にわたる尽力で広く市民の間に広がり、今日の隆盛を迎えることとなりました。

1.1         映像と金澤能楽堂の模型展示

1階は、能舞台の映像展示とともに、昭和7年(1932年)にこの地(広坂)に建てられていた金澤能楽堂の模型を展示しています。

この能舞台は、昭和47年、石川県立能楽堂へ移築され、現在もその舞台上で加賀宝生が舞われています。

普段なかなか見られない能舞台の構造や舞台裏を見ることができます。

1.2         衣装の展示

1.3         能面ができあがるまで~能面制作工程展示~


  • 木取り

    よく乾いたヒノキを、鑿と木槌で割ります。


  • 荒彫り

    面の輪郭以外の部分を鋸で切り取り、表面の輪郭を削りながら整えます。


  • 中彫り

    徐々に細かい顔形を彫り進めます。
    また、面裏はある程度の厚みを残し、大まかに削ります。


  • 木地の仕上げ

    彫刻刀で彫り跡をなくすように、全体を薄く削り、なだらかな線に仕上げます。

    目鼻口の順にそれぞれ穴をあけ、面相を整えます。

    小面の場合、目の中心に錐で目穴をあけ、穴を四角く整えます

    また、面裏の彫刻を整えます。


  • 面裏の漆塗り

    面裏には、漆を塗ります。

    これにより木地に汗などからの耐水性・耐久性を持たせます。


  • 彩色(さいしき)

    胡粉(牡蠣の貝殻から作られていることが多い)と膠で下地塗りをします。

    下地の表面は、紙ヤスリで磨き、下地液に顔料の朱を溶かした上地を塗り、肌合いを出します。

    口には朱、目には墨を入れ、眉、髪、毛描などの着色を行います。


  • 金具・植毛

    面によっては、目や歯に、鍛金や鍍金によって成形した金具を入れます。

    また、翁面・尉面では、毛を木地に植え付けて髪・眉・髭などを作ります。

    毛は、馬のたてがみや尾の白毛を用います。

    尉面(じょうめん:翁面との違いは頭部に植毛があるように見えます。これも老翁の相を表します。)では髪を結います。

他にも1Fの柱には、さまざまな能面が展示されていました。

2        「堂形のシイノキ」と「しいのき迎賓館」

金沢能楽美術館の前の道路向かいにあるのが、旧県庁をリニューアルした、「しいのき迎賓館」です。

樹齢約300年(推定)の“堂形のシイノキ”をシンボルにし、周辺の総合観光案内や、レストラン・カフェ、会議室、ギャラリーなどの憩い・交流の空間を備えた施設です。

このあたりは、金沢城が築造された頃に、京都の三十三間堂を模した堂形の的場があったことから、堂形と呼ばれました。この一対のシイノキは、なだらかな傾斜の築山状の土地に生育していることから、根が築山を抱えるように地中に伸張し、独特の美しい樹形と樹勢を保ってきています。樹木の生育に長けた人によって大切に育成されたものと考えられており、明治時代に石川県庁が置かれた頃の絵や写真にも見られ、樹齢約300年とも言われています。幾度かに渡り樹木治療が施されて現在に至り、旺盛な樹勢を保っています。庁舎は大正時代に建て替えられましたが、この堂形のシイノキと建物正面が一体となった景観は、長く県民に親しまれ、この地のシンボルとして存在しています。

向って右は、根元周辺12メートル  目通幹廻り7.38メートル   高さ12メートル

向って左は、根元周囲12.2メートル 目通幹廻り5.2メートル、高さ13メートル

右のシイノキ

左のシイノキ

「しいのき迎賓館」の北に広がる広坂緑地。

「百万石まちなかめぐり もみじ」イベントの最中で人が一杯でした。

背後には、金沢城の石垣の壁が見えます。

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