文京区の「白山神社」の創建は今から約1,000年以上前、天暦二年(948年)に白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ・石川県白山市)を武蔵国豊島郡本郷元町(現・文京区本郷1丁目)に奉勧請(ほうかんじょう)したのが始まりといわれています。
徳川将軍家の信仰が厚く、元和2年(1616)には2代将軍徳川秀忠公の命をうけ、小石川白山御殿(現・小石川植物園内)に移転します。
しかし5代将軍家綱公の用地となったため、明暦元年(1655)に現在の白山へ再度移転し、この一帯の白山という地名の由来となりました。
また明治期には准勅祭社(じゅんちょくさいしゃ)に命ぜられており、東京十社の一つです。
表参道は地下鉄・白山駅を出てすぐのところにあります。
毎年6月には境内にさまざまなあじさいが咲き乱れ「文京あじさいまつり」の会場として大勢の観光客が訪れます。
当社人皇六十二代村上天皇天暦2年(948年)9月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。
建武4年(1338年)足利尊氏により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。
元和2年(1616年)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安4年(1651年)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655年)現在地に移奉す。
同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍家綱公之生母桂昌院の信仰を受けらる。
元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。
寛文6年(1677年)9月29日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。
元禄3年(1690年)正月29日旧幕府より社領30石寄附之あり。
右朱印元禄6年(1693年)9月29日戸田能登守相渡さる。
元禄16年(1703年)11月29日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(1704年)6月14日加藤越中守掛にて仮殿手当として金500両桧5000挺寄附あり。
再建せられたるも享保3年(1719年)3月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。
後数十年間本殿のみ建立しありしに明治32年拝殿建設、昭和8年改修し同9年9月18日盛大に正遷座大祭施行す。
(なお白山御殿の地名は元白山社地なるが故であり、小石川の地名は始め加賀国石川郡より奉勧請当社鎮座の旧地に倣へるが故なり)
当社は明治元年勅祭神社に準じられ(準勅祭神社)、東京十社の一つである。
本殿前の風景です。
あじさいの向こうで、日傘をさしたご婦人が撮影されていました。
傘が花の上から出ています。
あじさい祭りのイベント会場です。
浅間神社(前の地図の写真参考)周辺です。
八幡神社(前の地図の写真参考)前の通り。
反対側の参道です。