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年に一度の東京都立大学南大沢キャンパスの牧野標本館公開

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東京都立大学牧野標本館は、日本の植物分類学の基礎を築いた故牧野富太郎博士(1862-1957、初代名誉都民)の没後、遺族から寄贈された未整理標本(牧野標本)約40万点(牧野標本)を整理し、教育・研究のための学術資料として活用することを目的として、1958年に東京都立大南大沢キャンパスの一施設として設立されたものです。

牧野富太郎博士は2023年度 前期の連続テレビ小説『らんまん』のモデルになった人物です。

大学祭にあわせて構内の牧野標本館を見学してきました。

今年の大祭の後の2022-11-29には、構内で同大教授が暴漢に襲われる騒ぎがあり不審者の警戒が強化されているようですが、2022年11月3~5日の大祭は南大沢の「パンのフェス」やフリーマーケットも同時開催され平和で賑やかでした。

 

ここが牧野標本館本館です。

標本庫ツアーも開催されていましたが時間が無く行けませんでした。

当日はちょっとした展示がありました。

東京都立大学 牧野標本館

牧野標本館は、日本の植物分類学の基礎を築いた故牧野富太郎博士 (1862~1957) の没後に、ご遺族から東京都に寄贈された植物標本 (牧野標本) をもとに、1958年に設立されました。 牧野標本は、明治から昭和の時代に日本のほぼ全域から採集され、 牧野博士が新種として発表した植物のタイプ標本や、 今では絶滅して見ることのできない植物の標本なども数多く含まれている、 非常に貴重なものです。

寄贈された当時の牧野標本は、 押し葉標本が古新聞に挟まれたままの未整理状態でしたが、現在までに牧野標本の整理作業はほぼ終了し、 重複品を除く約16万点の牧野標本が牧野標本館に収蔵されています。

また、 国内外の標本館との標本交換や、 当館のスタッフや学生 国内外の協力者による標本収集が進み、 日本産の植物標本のみならず、 世界中の植物標本が多数収蔵されています。 総標本点数や学術的価値の高いタイプ標本数では、 国内で4番目のレベルにあり、 国際記号MAKとして認知された主要な標本館のひとつです。

牧野標本館 本館2018年には本館の向かい側に、 本館の約2.5倍の収容量を有する 「牧野標本館別館」 が完成し、さらに多くの標本を収蔵できるようになりました。

またインターネット時代の到来に伴い、 より広範な標本利用を促進するため、 所蔵標本を画像データベース化し、 Web公開する作業を進めています。

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牧野標本館を管理運営する生命科学科 植物系統分類学研究室では、これらの標本を利用しつつ、 植物の形態やDNA情報を用いた系統学・分類学・植物地理学的研究や進化生態学的な研究など、 幅広い研究活動を行っています。

牧野富太郎博士 (1862-1957)

牧野富太郎博士は、 明治時代に日本に入ってきた西洋の近代植物学を独学で学び、 自ら日本産植物をくまなく調査・採集して、それを広く世界に紹介しました。

博士が命名した植物の学名は1500を超え、 植物分類学の基礎を築いた、まさに日本人科学者の草分け的存在です。

牧野博士は、江戸時代末期の文久2年(1862) に土佐・高岡郡佐川村 (現 ・ 高知県佐川町) の裕福な商家の長男として生まれました。

寺子屋や私塾などで様々な学問を学ぶうちに、 地元の高知県で自ら植物採集を始め、本格的に植物学を志すようになったのです。

その後、 明治17年に22歳で上京し、東京帝国大学 (現・東京大学) の植物学教室に出入りを許されます。

そこで西洋の豊富な学術書に触れつつ、 非凡な図描力を生かして、 数々の精密な植物画を描き続けます。

そして 「植物学雑誌」 や 「日本植物志図篇」 の出版を経て、 明治26年には東京帝国大学理科大学の助手に任ぜられ、名実ともに植物学者の道を歩み出します。

その一方で、 上司である教授たちとの確執や、 私財を湯水の如く研究に投じたことによる経済的困窮などの苦難が続きます。

それでも、 壽衛夫人を始めとする周りの人々に支えられて植物の研究に打ち込んでいきます。

そして、 「大日本植物志」や 「牧野日本植物図鑑」 などの代表的な著作が次々に生み出されたのです。

牧野博士は94歳でなくなる直前まで、 日本全国に赴いて植物採集を行うとともに、各地で一般市民とともに植物観察や採集を行い、 何人もの植物愛好家を育てました。

牧野博士自身の収集品と各地の愛好家から送られてきた植物標本は、自宅に所蔵していた分だけでも40万枚に及びました。

それらの標本は、 牧野標本館をはじめとする各地の標本館に収蔵され、今も研究や教育に活用されています。

牧野標本と標本が挟まれていた新聞紙

牧野博士のご遺族から寄贈された当時の牧野標本は、このような古い新聞紙に挟まれたままの状態でした。

そこで、 新聞紙に書かれた採集地や年月日、 そして日記の記録などをもとに標本ラベルを作成して、台紙に貼り付ける作業が20年以上にわたって行われてきました。

牧野日本植物図鑑 (1940年初版)

牧野博士の代表的著作で、 日本で最初の本格的な植物図鑑です。

第2次世界大戦後は口語文調に書き直され、 さらに増補されて、 現在も刊行が続いています (大井次三郎博士旧蔵品)

牧野富太郎博士の植物標本

牧野標本館を代表する植物標本は、もちろん牧野富太郎博士が所有していた標本です。

牧野博士は、日本各地 (北海道から九州奄美諸島) から多くの標本を採集していますが、その標本数は約40万点です。

この膨大な数の標本を牧野博士自身がすべて採集したわけではありません。

実際には各地から、牧野博士のもとへ同定依頼で送られてきた標本が多数含まれます。

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これら標本の中には、新種命名の基準となった“タイプ標本” があります。

牧野博士は自ら600種あまりの新種を発見し命名していますが、 なかでも1889年に命名したヤマトグサ Thelygonum japonicum Okubo et Makinoは、国内で日本人が初めて命名した学名であり、 牧野博士の不滅の業績とも言えるものです。

1928年には仙台で発見した新種のササに亡き妻への感謝と想いをこめて、 スエコザサSasaella suekoana Makinoと命名しています。

 

牧野博士は一カ所で同じ種類の標本を30点以上採集することもありました。

今では考えられない行為ですが、 植物を知るにはそれが必要と考えていたのかもしれません。

現在これらの重複標本は、ヨーロッパの国々、 ロシア、 アメリカ、 そしてアジア諸国との標本交換に使われ、 海外に自生する植物標本を得ることに活用されています。

また牧野博士は、 栽培植物の標本も多数作成しています。

なかにはスイカやバナナなどの果実標本や、 ダイコンの葉の標本もあります。

 

練馬の牧野記念庭園の特別展のポスターです。

 

その他、牧野博士関連の記事は以下です。

「日本の植物学の父」牧野富太郎博士の旧邸 牧野記念庭園

広大な敷地に約3,000種類の植物が植生する高知県立牧野植物園

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