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十和田湖の水が一気に噴き出して作った奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)

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カルデラ湖の十和田湖は、湖が形成された当初、水をためるだけで流出する川がありませんでした。

満面の水を湛えたある日、カルデラの外輪が水圧に耐え切れず、湖の一画から短時間のうちに大量に水が流れ出ました。

その水量は毎秒2万~30万tに及んだと言われています・

毎秒30万tは4秒で東京ドームが一杯になる水量です。

それが奥入瀬渓流となります。

通常に谷は長い月日をかけV字型になりますが、奥入瀬は一気に出来上がったので、柱状節理に沿って岩が剝ぎ取られU字型の渓流となりました。

1        奥入瀬渓流館

奥入瀬散策前に渓流館で奥入瀬の勉強です。

ここでは、散策ルートと渓流、滝の見どころや、その成り立ち、動植物の生態についての展示があります。

 

奥入瀬渓流のなりたちと歴史

The History and Development of Oirase Gorge

奥入瀬渓流の水源である十和田湖は、今から約 15,000 年前にその原型ができ、 やがて湖岸が決壊して大洪水が発生、 八甲田カルデラ (現在の田代平地区)を起源とする火砕流台地を侵食して現在のような渓谷地形を形成しました。

洪水によって下流に運ばれた土砂が扇状地をつくり、 そこが現在の十和田市街となっています。

奥入瀬に最初の林道が開設されたのは明治時代、 現在の十和田市街から十和田湖までの車道が完成したのは大正時代のことです。

昭和になると天然記念物(天然保護区域) 特別名勝・国立公園の特別保護地区の指定を受ける一方で、 戦時中には十和田発電所が建設・稼働となり、 現在に至ります。
平成には蘚苔類(せんたいるい)の豊かさが評価され 「日本の貴重なコケの森」 の指定を受けました。

 

奥入瀬渓流ができるまで


  • 十和田カルデラの形成

    約 61,000 年前から約 15,000 年前に発生した噴火により十和田カルデラが形成


  • 十和田湖の形成

    雨水、森林からの流入水、湖底からの湧水などにより水がたまり、やがて湖が形成


  • 十和田湖の決壊

    水位が上昇して湖岸が決壊、大洪水が発生。
    火砕流台地を削り取るように流下


  • 奥入瀬渓流の誕生

    その後も侵食が続いて現在のような渓谷地形が形成され奥入瀬渓流が誕生した


奥入瀬の森の特徴

Unique Characteristics of Oirase

渓谷林 (畔林) と呼ばれる奥入瀬の森。

代表種はトチノキ、カツラ、サワグルミ。

水はけのよい河岸段丘上のブナ林は、 オニイタヤ、ハウチワカエデといった亜高木、 オオカメノキ、オオバクロモジなどの低木で構成されています。

上〜中流域には大きな支流がなく、 氾濫がほとんど起こらないため、 渓流の岩上にツツジやカエデ類などが育ち、 増水による環境変化の大きい下流域ではタニガワハンノキやヤナギ類が目立ちます。

全体に落葉広葉樹主体の森ですが、 例外はスギ。 かつて「道標」がわりに植えられたものの子孫です。

林床は、主にシダ類。 比較的乾いた場所にはササ類が繁茂しています。

谷底は日照時間が短いため、 樹々は可能な限り多くの光を得ようと真直に伸び、そのため 「背高のっぽ」 の樹が多いことも特徴のひとつ。

巨体を支えるため、多くが岩を抱くように根を伸ばしています。

 

奥入瀬渓流の歴史

■ 明治の末から昭和初期にかけて

原始そのままの奥入瀬渓流に、 観光や産業振興のための道路が整備され始めたのは明治の末頃です。

その時代、 十和田湖や奥入瀬渓流を世に紹介したのが文人の大町桂月で、 彼は 「住まば日の本 遊ばば十和田 歩きゃ奥入瀬 三里半」という名句をのこしています。

大正時代に入ってからは、 渓流一帯の自然環境がいろいろな法律によって守られるようになり、現在へと受け継がれてきました。

同時に、十和田湖から流れ出る水の量が調節され、その水が下流で発電や灌漑用水に用いられるようになりました。

■昭和30年代から現在まで

昭和30年代以降は、観光が盛んになるにつれて車が渋滞する光景も見られるようになりました。

そのため、ゆっくりと渓流を探勝できるよう焼山~子ノ口間約14kmが東北自然歩道として整備されました。

平成に入ると、 もっと自然との触れ合いを大切にしたい、 渓流の自然を守りたいなど環境重視の声が高まってきました。

現在は、これらの貴重な自然を未来に引き継ぐための様々な対策が進められています。

 

2        石ヶ戸休憩所

渓谷で、パーキングのある場所です。

ここから、奥入瀬川に降りて行けます。

木が、岩の上から出ています。

U字型の深い谷が日光を程よく遮り、水にあふれた奥入瀬は苔が好む環境が広がっています。

岩の上の苔が苗床となって、木々が生育する奥入瀬独特の生え方です。

 

3        石ヶ戸

石ケ戸

「ケ戸」とは、この地方の方言で小屋を意味する。

つまり「石ケ戸」とは石でできた小屋、

いわゆる岩屋を意味している。

実際大きな岩の一方がカツラの巨木によって支えられて岩小屋のように見える。

昔、鬼神のお松という美女の盗賊がここをすみかとし、旅人から金品を奪っていたという伝説がある。

東北自然歩道 青森県

 

 

4        屏風岩

5        馬門岩(まかどいわ)

 

6        阿修羅の流れ

奥入瀬を代表する流れで、比較的流れが速くその白い渓流を見ていると飽きません。

7        平成の流れ

昔は、滝の近くまで行けたようですが、現在は綱が張ってあってこの距離からでしか見ることができません。

 

8        雲井の滝

高さ20メートルで、三段になって落下しています。

長い間に岩が削りとられ、本流から離れ、奥まった所に後退しています。

 

9        調子大滝

 

魚止めの滝 (銚子大滝)

銚子大滝は奥入瀬本流にかかる唯一の滝で、高さがおよそ7m、 幅が20mほどあります。

ほぼ直角に切り立っているため魚類がこの滝を上れず、 十和田湖にはかつて魚がまったく住んでいなかったといわれます。

滝の名の由来は、 十和田湖を銚子(とっくり)に見立てた場合、 この付近がその注ぎ口にあたるということらしく、 十和田湖と奥入瀬、 そしてこの銚子大滝の関係をとてもよく表しているように思えます。

滝のすぐ下で合流している寒沢の流れに沿って、昔は魚道が作られたこともあったそうです。

 

10     寒沢の流れ

銚子大滝脇に流れ込む小さな滝です。岩が段々になっているのが分かります。

この後、奥入瀬渓流は源流の十和田湖に行き着きます

十和田湖については「世界最大の二重カルデラ湖・青森県十和田湖」に記載しています。

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