山内丸山遺跡に行って来ました。
世界遺産の「北海道・北東北の縄文遺跡群」のシンボル的な存在である三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末期(紀元前約 3,900 ~ 2,200年)の大規模集落跡です。
およそ1500年のあいだ、人々は同じ生活様式で暮らしていました。
現代社会が、親から子供、子供から孫に世代交代すると取り巻く生活環境がガラッと変わってしまうのとは大きな違いですね。
遺跡の入口です。
目次
1 縄文時遊館
遺跡に入るには、まず縄文時遊館(博物館)に入場しなくてはなりません。
まずは、ここで遺跡の勉強をしてから遺跡に向かいます。
1.1 エントランス
入口の巨大縄文土器です。
1.2 さんまるミュージアム
ミュージアムの入口。
わんちゃんと子供が出迎えてくれます。
縄文人の生活が人形で展示されています。
釣りと狩猟。
鹿の角で釣り針を作っています。
栗の実から芽が出ました。
栗は食糧や薪、家の材料としても使われました。
先端に鋭利な黒曜石の鏃をつけて狩りの準備です。
石オノで木を切っています。
漆を塗る
木の皿に赤い色を混ぜた漆を塗っています。
盛土
縄文時代中期 (紀元前3,300年~紀元前2,200年) の約1,000年間、
同じ場所に土砂などを捨て続けられ、 周囲よりも約2mほど高くなりました。
このような場所を盛土と呼んでいます。 盛土からは多数の土偶や装身具が出土しています。
盛り土の断面です。
これはレプリカですが、遺跡では本物が公開されています。
家族団らんの様子。
おまつりの準備をしています。
首飾りや腕輪をしています。
死者の霊を弔うためでしょうか。お花をたむけています。
他の村へ行く若者。近隣の村とは物々交換で交流していました。
北海道の黒曜石
黒曜石は火成岩の一種でガラス質の石です。
北海道遠軽町白滝などのものは大きく良質で、石槍などの大型の石器を作ることができます。
理化学的な産地分析によって、三内丸山遺跡から出土した20点以上の石槍が、白滝産の黒曜石で製作されたことがわかりました。
白滝産黒曜石にはおもに漆黒や美しい赤色が混じるものがあります。
このような黒曜石には、 現代の人がブランド品を目にするときのように、 縄文人も魅力的に感じていたのかもしれません。
広域なネットワーク
北海道や長野県の黒曜石、 秋田県のアスファルト、岩手県のコハク、 新潟・富山県境のヒスイなど遠く離れた地方のものが持ち込まれています。
これらの多くは丸木舟で運ばれました。
縄文海進時は、約7000年前ころ(縄文時代に含まれる)に、現在に比べて海面が2~3メートル高くなり、 日本列島の各地で海水が陸地奥深くへ浸入しました。
発掘のあゆみ
古くから知られていた三内丸山遺跡
三内丸山遺跡の存在はすでに江戸時代から知られており、 山崎立朴(やまざきりゅうぼく)日記 (館野越本)」 (1623年/元和9)に遺跡に関する記載があります。
また、江戸時代後期には、有名な紀行家である菅江真澄が現地を訪れ、『栖家能山(すみかのやま)(1799年/寛政11) に縄文時代中期の土器や土偶の精巧なスケッチと考察を残しています。
昭和の発掘調査
1953年 (昭和28) から、 慶応大学と地元医師成田彦栄によって、はじめて三内丸山遺跡の発掘調査が行われました。
1967年(昭和42) には青森市教育委員会が現在の南盛土北西側の調査を行いました。
1976年 (昭和51) の青森県教育委員会による調査では、縄文時代中期の2列に並んだ大人の墓が見つかり、翌1977年(昭和52) は、 近野地区の調査で長さ約20mの大型竪穴住居跡が見つかりました。
どちらも当時としては珍しいもので、全国的に注目されました。
1987年 (昭和62) には、 青森市教育委員会が南盛土南側の調査を行っています。
大規模な発掘調査の開始
1992年 (平成4) から1994年 (平成6)まで、 青森県総合運動公園内の県営野球場建設に先立ち、 青森県教育委員会による大規模な発掘調査が行われました。
多数の竪穴住居跡、 大型竪穴住居跡、約 1,000年にわたる盛土、整然と配置された掘立柱建物跡や大人の墓などが見つかり、巨大な集落跡が姿をあらわしました。
さらに、 膨大な量の土器や石器、 有機質遺物 (木製品、漆塗り製品、骨角器、 種など)、 土偶などが見つかりました。
また、大型掘立柱建物跡の柱穴の中から巨大なクリの木柱が出土し、 全国的に大きな話題となりました。
遺跡の保存活用
三内丸山遺跡が全国的にも例のない極めて貴重な遺跡であることが明らかとなるにつれ、 遺跡の保存を求める声も高まってきました。
青森県では、遺跡の重要性を考慮し、 1994年 (平成6)に野球場建設の中止と遺跡の保存を決定しました。
1995年 (平成7)からは復元建物をはじめとする施設整備を進めるとともに、 遺跡の公開も開始しました。
その後、 1997年 (平成9) に国史跡、2000年 (平成12) に特別史跡に指定され、2003年(平成15)には、出土品のうち 1,958点が重要文化財に指定されています。
1.3 ビックウォール
壁面に5120個もの縄文土器のかけらが約5mの高さにちりばめられています。
ビッグウォールは地下にあります。
1.4 整理作業室
大型掘立柱建物跡 ( 6本柱)
柱穴の検出状況
ここに展示している3本の木柱は、 大型掘立柱建物跡からみつかった木柱です。
6基の柱穴のうち、4基から木柱が発掘されました。
内1本は、さんまるミュージアムで展示しています。 柱は直径70〜90cmほどで、 クリ材を用いています。
現在展示している面が、 当時柱穴の底面に接していた面で、 よくみると石斧で加工した痕があります。
展示している木柱は、本来は、下側が、天に向かって伸び、上側が柱穴の底面に接していました。
現在は腐って上側は残っていません。
腐らずに残った面(左図の赤線部分)を観察してもらうため、逆さまの状態で展示しています。
この残された部分には、縄文人が石の斧を使って加工した痕跡がみられますので、じっくりとご覧ください。
1.5 企画展示室
遺跡で発掘された大型板状土偶です。
鏃の展示でした。
さてお勉強も終わり、いよいよ本物の遺跡に進みます。