史跡

根津神社つつじ祭り

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毎年つつじの季節になると文京区の根津神社では、境内の西の斜面に植えられた咲き誇りつつじ祭りが開催されます。

今年は3月30日(土)~4月30日(火)の期間で、GWに入ってから訪れてみました

 

地下鉄の東大前で下車し、そこから根津神社に向かいます。

境内の北にある鳥居から入り、東側の道を進みます。

乙女稲荷の鳥居をやりすごして、先ずはつつじ苑を目指して進みます。

1             つつじ苑

見えました。

お祭り期間の終わりの方ですが、花はほぼピーク時期だと思います。

花が咲いてない時には、こんなにもつつじがあると思いませんでした。

木に近づいて花をつぶさに見るのであれば入園料500円が必要です。

今回は、遠目で十分満足できましたので、このアングルで花を撮影して終わりです。

次いで、御祭神の須佐之男命にお参りをしました。

 

2             楼門

3             拝殿

4             ご神木

かなり老朽化が進んだ感じですが、ご神木です。

願掛け榧(かや)の木

この御神木にはその昔神の使いといわれた白蛇が住んでおり人々が願い事をすると不思議と叶ったといわれています

 

5             徳川家宣胞衣塚(とくがわ いえのぶ えなづか)

徳川家宣胞衣塚(とくがわ いえのぶ えなづか)

文京区指定有形民俗文化財

昭和49年11月1日 指定

六代将軍家宣の胞衣を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重ねてある。

この根津神社の境内は、もと五代将軍綱吉の兄綱重 (家光の第二子) の山手屋敷 (別邸)

で、綱重の長子家宣は寛文2年(1662)4月25日ここで生まれた。

胞衣とは、 胎児 (母体の中の子)を包んだ膜と胎盤をいう。

われわれの祖先が、 胞衣を大切に扱ったことは、各地の民間伝承にある。

例えば、 熊野では大石の下に納めたと伝えられる。

関東では、家の床下や入口の敷居の下に埋めたといわれ、 また屋敷の方向をみて埋めるという所もあった。

一方上流の階層では、胞衣塚を築くことが早くから行われた。

愛知県の岡崎には、 徳川家康の胞衣塚がある。

徳川家康が生まれた岡崎城・岡崎城公園散策

この胞衣は誕生の敷地内に納められた。

徳川家の他のものとくらべ、形式が素朴であるなど、 将軍の胞衣塚ながら庶民の民俗の理解の上で貴重なものである。

塚正面には、明治14年(1881) に建てられた 「胞衣塚碑」 があり、 徳川家宣胞衣塚の由緒を伝えている。

また、 家宣の産湯の井戸と伝えられるものが、社務所の庭にある。

家宣が将軍綱吉の後継ぎとなり江戸城に入ると、 屋敷跡に家宣の産土神(氏神)である根津神社を移し、 華麗な社殿が綱吉によって建てられた。
文京区教育委員会

令和2年2月

6             乙女稲荷神社

 

先程鳥居のあった乙女稲荷神社の本尊です。

乙女稲荷神社 祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

宝永三年(一七〇六) 根津神社がこの地に遷座した後、「つつじが岡」の中腹に穿たれた洞に祀られた社で、古記録には「穴稲荷」とある。

霊験あらたかと崇敬者多く、参道には鳥居の献納が絶えない。

現在の社殿は昭和三十一年に奉建されたものである。

倉稲魂命は、穀物の女神という事です。

 

7             庚申塔

庚申塔・こうしんとう(六基・根津神社境内)

ここに六基の庚申塔がある。

道の辻などに建てられたものが、明以後、道路拡幅などのため、根津神社に納められたものである。

正面から左回りに刻まれた像、銘文を見ると、

  1. 青面金剛・猿・鶏・寛文八戊申(一六六八)・駒込村・施主一同
  2. 観音像・庚申供養・施主十二名
  3. 日月瑞雲・青面金剛・鬼・鶏・元禄五壬申(一六九二)施主二十六名
  4. 日月・青面金剛・猿・延宝八庚申(一六八〇)願主一名
  5. 梵字・庚申供養・寛永九年壬申(一六三二)・都島庚馬米村・施主七名

⑥日月・青面金剛・鬼・猿・駒込千駄木町・施主十名

宝永六已(一七〇九)

この中で、⑤の庚申塔は、寛永九年(一六三二)の建立で、区内の現存のものでは最も古い。

都内で一番古いのは、足立区花畑にある元和九年のもので、これより九年前の建立である。

青面金剛は、病魔・悪鬼を払う庚申信仰の本尊として祭られる。

猿は庚申の神の使いとされ、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿は、そのようなつつしみ深い生活をすれば、神の恵みを受けられるとされた。

庚申信仰は中国の道教から生まれ、六十日ごとにめぐる庚申(かのえさる・十干十二支の組合わせ)の夜は、人がねむると、三戸の虫がその人の体からぬけて天に昇り、天帝にその人の罪を告げて命を縮めると説かれた。

これが仏教と融合してわが国に渡来し、古来の天(あま)つ神を祭るおこもりの習慣と結びついた。

江戸時代に、特に盛んになった民間信仰で、庚申の夜は講の当番の家に集り、般若心経を唱え、和やかな話合いで一夜を過した。

また、祭神も猿田彦神、塞の大神 道祖神であるとの説もある。

郷土愛をはぐくむ 文化財

文京区教育委員会
昭和五十六年九月

大河テレビ「光る君」でも平安貴族は庚申の夜は徹夜をしたと放送されていました。

 

8             塞の大神碑

さえ(い) の おおかみ

塞の大神碑 根津神社

根津一二八九

この塞の大神碑は、もと通称駒込の追分(向丘一一)にあった。

ここは現在の東京大学農学部前で、旧中山道と旧岩槻街道(旧日光将軍御成道)との分岐点で追分といわれた。

この追分は、日本橋から一里(約四料)で江戸時代一里塚のあった所である。

今も角店は江戸時代から続く老舗の高崎屋である。

この高崎屋よりに一里塚があり、榎(えのき)が植えられていたが、明和三年(一七六六)に焼け、その跡に庚申塔がおかれたが、これも文政七年(一八二四)の火災で欠損した。

その跡地に、この塞の大神碑が、明治六年(一八七三)建てられた。

同四十三年、道路の拡幅のため、碑は根津神社に移され、現在に至っている。

礎石に移転の事情が刻まれている。

塞の神は邪霊の侵入を防ぐ神であり、道行く人を災難から守る神で、みちのかみとも道祖神ともいわれる。

郷土愛をはぐくむ文化財

文京区教育委員会

昭和五十六年三月

 

帰りは、南の門から出て、江津駅から帰りました。

6月になると、近所の白山神社ではあじさい祭りが始まります。

次は白山神社ですね。

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