史跡 生活

亀戸天神 藤祭り

スポンサーリンク

藤の花で有名な亀戸天神を訪れました。(2024年4月21日)

1             亀戸天神

錦糸町から蔵前橋通りにでて、そのまま東に進むと、亀戸天神社の碑があります。

ここからは昔の参道なのでしょうか。

亀戸天神の入口付近の蔵前橋通りには藤祭りの旗がずらっとはためいています。

派手な入口が見えました。

スカイツリーもいれて境内で写真、

藤棚は満開に近い。

本殿も忘れずにお参り。

天神様の稚児像です。

美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくそある

 

これは菅原道真が五歳の時に詠った和歌です。

「あこ」とは天神さまの幼名でした。

要約すると、梅の紅色はなんと美しいのだろう、自分の顔につけたいほどだ。という意味になります。

 

天神様と言えば牛ですね。

菅原道真公と牛との御神縁は殊の外深く、古来より信仰されて来ました。

道真公は、承和十二年乙丑の年六月二十五日にお生まれになり、太宰府の配所でお亡くなりになった際、ご遺体を乗せた車を引く黒牛が臥して動かなくなり、これは道真公の御心による事としてその場を墓所と定め、社殿が建立されたのが太宰府天満宮の起源とされています。

また、道真公が京都から太宰府へ下向途中、白牛によって危難から救われたという故事も伝えられています。

この神牛の座像は昭和三十六年、御鎮産三百年祭にあたり御社殿の復興とともに奉納されたものです。

 

子供達が太鼓の奉納を行っていました。

藤祭りの期間中の週末は、入れ替わり立ち代わりイベントがあります。

神楽殿です。

こちらもイベント会場になります。

池に架かる3つの橋の内、本殿に一番近い太鼓橋を横から撮影。

2つ目の平橋です。

2             船橋屋

錦糸町の駅に帰る道すがら、蔵前橋通りにあった船橋屋さんの店先です。

創業は文化2年(1805年)、初代・勘助氏が開いたのが始まり。

初代の出身地が、千葉の船橋なので「船橋屋」を名乗っているようです。

小麦粉のでんぷん質を、乳酸菌で発酵させた「くず餅」をメインに、和菓子商品を販売しています。

 

3             亀戸銭座跡

 

亀戸銭座跡

この付近に幕府の鋳銭所がおかれ亀戸銭座と称し寛文8年(1668)から明和6年(1769)まで各種の寛永賽銭を鋳造しその銭のおもてには寛永通賽 うらには文の字のあるものや二十一本または十一本の波模様のあるものなどがある

昭和33年(1958)10月1日

 

4             日清紡創業の地

東京都浄水場の角にありました。

日清紡績株式会社は明治四十年一月創立後、東京府南葛飾郡亀戸町の当敷地二万余坪に 最新鋭設備を誇る本社工場を建設した。

最盛時には、紡機一〇七、八〇〇鍾、織機三六〇台を擁した本工場は、昭和十六年軍の要請により陸軍被服本廠が使用するに至るまで、四十五年に亘り主力工場として綿糸布を生産し、広く内外の需要に応えると共に、幾多の人材を輩出した。

この間明治四十三年、大正六年、昭和十三年の三たび横十間川の洪水で浸水し、大正十二年には関東大震災に遭ったが、従業員の献身的努力によりこの職場を守り得た。

昭和二十年大戦下の空襲により焼土と化したが、運動場として整備し主として勤労青少年の体育に寄与してきた。

偶々昭和四十二年東京都浄水場、日本住宅公団用地として提供するに至り、当社の手を離れた。

今般この地に記念碑を建立し会社創業関係者の遺徳と、生死苦楽を共にした多数従業員各位の功績を偲ぶものである。

藤祭りのついでに立ち寄った場所ですが、まだ錦糸町界隈が開発されていない昔の記憶を留める建物跡でした。

 

 

 

スポンサーリンク

-史跡, 生活