美術館/博物館

山梨県立博物館は笛吹市にあります

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山梨県立博物館は、山梨県笛吹市にあります。

この博物館は、山梨県の自然と人々の歴史を総合的に調査・研究し、その成果を展示しています。

博物館の基本テーマは「山梨の自然と人」であり、山梨の豊かな自然と人々がどのように向き合ってきたかを紹介しています。

地図をよく見ると「もも畑」「ぶどう畑」「古代の畠」と「はたけ」の漢字を使い分けています。

畠=白+田

水田に対する白田であり、乾いた田圃(たんぼ)を意味します。

8世紀初頭に登場する漢字です。万葉集には「白田」(はくでん)として登場します。

畑=火+田

焼き畑を意味する用語で、平安末期に登場するとされます。

古代の畠にこの漢字が使われているのは、当時は畠の字しかなかったので、敢えてこの字を使ってみたのだと思われます。

 

1        エントランス

心を静める効果があるのでしょうか。

博物館の前に池のある所は沢山見かけます。

 

2        中庭

中庭について

余白の台座

現代芸術家として世界的に活躍した関根伸夫氏 (1942-2019) が作製した中庭です。

中庭の周囲には甲府盆地を囲む高い山並み状のレリーフ(浮彫 ) や置石が配置されています。

そして、 中庭の中心にある平らな御影石の舞台は甲府盆地をイメージしています。

同時に、これまでに山梨で繰り広げられてきた様々な歴史のドラマの舞台という意味もあります。

この石舞台をご覧いただきながら、長い時間をかけて培われてきた山梨の歴史や文化の厚みを感じ取っていただきたいという願いがこめられています。

3        特別展

特別展は「奈良大和路のみほとけ」でした。

展示物を見終わったあと最後の仏様は撮影可です。

聖林寺の十一面観音立像のレプリカです。

何でも、背面に映し出される影がいいのだとの学芸員の言葉で、壁に写った影も見渡せるように撮影。

4        常設展

こちらは常設展です。

江戸時代以前の馬は、ほとんどがこのサイズでした。

今の時代劇に出て来る馬とは大違いですね。

復元された「武田の馬」

この模型は武田氏館跡 (甲府市) から出土した馬の全身骨格に肉付けして復元したものです。

推定年齢 7歳程度の雄で、復元された体高 (肩の高さ)は約125cmでした。

 

武田騎馬隊はポニー??

そもそもポニーとは体高が147cm以下の馬を指します。

日本在来馬の大きさや遺跡から出土する馬骨からみて、江戸時代以前の日本の馬はほとんどがこの大きさに収まります。

武田の馬が特に小さい訳ではないのです。

 

駄馬? 軍馬?

小型であることから駄馬との指摘もありますが、骨には過度に使役された痕跡は認められません。

下顎の歯には轡(くつわ)を咬ませてこすれた痕が残っていることから、主に乗用であったと考えられます。

館空間内に丁寧に埋葬されていたことからも、軍馬の可能性が高いと言えます。

 

歴史体験コーナー

寺子屋の様子でしょうか。

江戸時代のお買いものーにぎわう甲府城下町―

江戸時代はじめに人口が1万人を超えた甲府城下町は、大きな消費都市になるとともに商業も発展し、 お正月の初売りが 「化け物市」 と言われるほど、大変なにぎわいをみせるようになっていきました。

そうした甲府の町にはさまざまな商売や職人がおり、人々のくらしを支え来ていました。

職人のうち、数が多かったのは大工や紺屋、鍛治屋、他物師などで、 同じ職種が集まって居住しました。

このように集住した地域は、甲府城下では鍛冶町、桶屋町、工町、 細工町、大工町、新紺屋町、畳町があり、職名がその居住地の町の名にもなりました。

商人で多かったのは、穀物を扱う仲買、古着屋、大物屋、古鉄屋、古道具屋、青物乾物屋、 綿篠巻屋(わたしのまきや)、 煮売屋(にうりや)、 香具師などでした。

甲府城下町は商業地として繁栄するとともに、道祖神祭に代表される祭礼は壮麗を極め、商人たちは歌川広重など第一線の絵師を招くなど、 最新の文化の担い手としての一面もありました。

 

併設喫茶のシャインマスカットパフェです。

山梨に来たので、奮発して注文してみました。

山梨県には他にも甲府市に 山梨県考古博物館 があります。

そちらは、古墳群の中に建てられており、縄文時代から、古墳時代までの出土品が展示されています。

本館と合わせて見学されると理解が深まると思います。

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