史跡

成田山新勝寺で初詣②

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京成成田駅から表参道を歩いて新勝寺まで進みました。

成田山新勝寺で初詣①

参道を歩いた先にあるのが成田山新勝寺のみごとな総門です。

ここから大本堂までは上り坂です。

 

1       総門

2       仁王門

総門を抜けると仁王門です。

大提灯は「魚がし」と書いてあるのでしょうか、昭和43年に献灯されています。

東京の築地市場だと思います。

仁王門      重要文化財

文政13年(1830)に建立された八脚門(はっきゃくもん)で、 正面向かって左側には

密迹金剛(みっしゃくこんごう)、右側には那羅延金剛(なら えんこんごう)が安置され、境内の入口である山門にあって、 諸堂伽藍を守っております。

特にこの二尊は昔から「朱振りの仁王尊」 といわれ信仰されています。

また裏仏には、 左側に人々に福徳をさずける多聞天(たもんてん)を、右側には仏心を起こさせる廣目天(こうもくてん)を安置しております。

屋根は入母屋造銅板葺で、正面に大きな千鳥破風(ちどりはふ)、背面に軒唐破風(のきからはふ)を付けています。

組物は三手先(みてさき)の詰組(つめぐみ)とし、軒を二軒(ふたのき)の扇垂木(おおぎたるき)としているところなど、 八脚門としては類例が少なく、材料工法とも極めて優秀で江戸時代末期の特色をいかんなく発揮した建物といえます。

頭貫上の各柱間には、 後藤亀之介作の竹林の七賢人や司馬温公瓶割り(しばおんこうかめわり)等の彫刻が施されています。

なお正面に掲げられている「成田山」の大額は東大寺の別当道恕上人(どうじょしょうにん)の筆になります。

3       燈籠

これは燈籠でしょうか。

仁王門を登った右手にあります。

 

4       仁王門をくぐった左右にある池と石碑

仁王門を潜ると左右に池と池の奥の斜面に石碑があります。

こちらは左側。

左側斜面の石碑。奉納されたものと思います。

こちらは右側の池。池の中には亀の作り物があります。

右側斜面の石碑。

5       こわれ不動堂

本堂に向かう階段の左側にあります。

 

こわれ不動堂

この堂は幾度修覆しても不思議にすぐこわれてしまうので「こわれ不動」と呼ばれている。

本尊は倶梨伽羅(くりから)不動明王である。

 

6       大本堂

参道の途中にあった小さな薬師堂が新勝寺の始まりですので、随分と大きくなったものです。

 

7       三重塔

8       釈迦堂

前の本堂です。今の本堂の位置から引いて移動しました。

釈迦堂      重要文化財

安政5年(1858)に建立された前本堂であり、大本堂の建立にあたって昭和39年現在地に移築されました。

ご本尊には仏教を開かれた釈迦如来が安置されています。

周囲の板壁には、修行僧として最高位に到達し、功徳をそなえた五百羅漢像を見事な浮彫り彫刻で8面、 また扉には、中国の代表的な孝子物語である二十四孝12面を付けるなど堂内の華麗な欄間彫刻とともに、 時代の特徴をよくあらわしています。

板壁の五百羅漢は、絵師狩野法眼一信(かのうほうげんかずのぶ)の下絵をもとに、仏師松本法橋良山(まつもとほうきょうりょうざん 通称不動金兵衛)が10年の歳月を費やして彫刻したものです。

また扉の二十四孝は、無関堂島村俊表の作です。

建物は5間堂で、 中央の柱間が広くとられています。

屋根は入母屋造の瓦棒銅板葺で、正面には千鳥破風や軒唐破風付の向拝を設け、荘重さを加えています。

組物は、三手先を詰組とし、軒は二軒の繁垂木で総欅木を用いています。

 

9       額堂

額堂(がくどう)     重要文化財

額堂とは、奉納額や絵馬を掲げる建築物であり、このお堂は文久元年(1861) に当山で2番目の額堂として建立されました。

建物は、桁行(たけゆき)正面が3間 (約5.5メートル) 背面が6間(約11メートルで、屋根は入母屋桟瓦葺です。現在は四方が開放されていますが当初は背面が板壁でした。

組物は平三斗(ひらみつど)、中備蟇股(なかぞなえかえるまた)、二軒(ふたのき)の

半繁垂木(はん しげだるき)です。 額堂としては虹梁(こうりょう)や木鼻(きばな)など細部まで本格的な建物で、 近世における庶民信仰をあらわす代表建築の一つであります。 建物の各部に見られる竜や獅子などの彫刻は後藤勇次郎経慶の作です。

なお当山には、江戸歌舞伎界の名優成田屋こと七代目市川団十郎丈により寄進された額堂 (第1額堂) が三重塔脇にありましたが、昭和40年に焼失しました。

中央部にある石像はその七代目団十郎像であります。

これらの額堂には絵馬類がたくさん掲げられていましたが、 貴重な文化財として、現在は成田山霊光館に保存されています。

 

成田屋七代目市川團十郎の石像

江戸歌舞伎の名門市川団十郎家は代々成田山新勝寺を篤く信仰し、初代団十郎は自らの屋号を「成田屋」と称して不動尊を崇敬しました。

なかでも七代目団十郎は江戸時代末に活躍した名優として知られますが、それまで大名や武士の芸能能を歌舞伎の中に取り入れ「安宅」の題材を「勧進帳」に芝居化して初演したり、荒事を中心とした歌舞伎十八番を制定するなど、それまでとは違った斬新な発想で江戸歌舞伎界に新風を吹きこみました。

その一方で一千両をもって成田山に額堂(昭和四十年焼失)を寄進し、天保の改革の折りには成田山内の延命院に身を寄せ、成田の人々に芝居や俳句を広め、成田山参詣の隆盛に寄与し、この地方の文化向上にも大きく貢献しました。

 

10  開山堂

開山堂

富山の開山人寛朝大僧正の御姿を安置する堂である。

この堂は昭和十三年に奉修された。

成田山開基一千年祭記念事業の一つとして新築されたものである。

 

11  光明堂

前の前の本堂です。

入口の上の額は、江戸の魚河岸が奉納した刀の額です。

光明堂  重要文化財

元禄14年(1701)に建立された旧本堂で、 寛保2年(1742)と明和5年(1768)の改修を経て、 安政年間新本堂 (現釈迦堂)の建立にあたり、本堂の後方に移築、 さらに昭和39年大本堂建立のとき現在地へ移されました。

本尊には真言密教の教主である大日如来が安置されています。

建物は桁行5間(約9メートル) 梁間5間で、屋根は入母屋造機瓦葺です。

組物は三手先を詰組とし、 軒は二軒の繁垂木としています。

安政年間の移築の際に回り縁と外陣部の床を撤去して吹放しの土間とし、珍らしい形になっています。

また彫刻装飾 (島村円徹の作) には、創建当初の構造がよく残され、江戸時代中期における密教寺院の遺構の一つとして貴重な建物です。

また 「明王堂」の掲額は東大寺の別当道恕上人(どうじょしょうにん)の筆、柱の聯 (現在成田山霊光館保存)は三井親和の筆になります。

 

12  清瀧権現堂・妙見宮

清瀧権現堂・妙見宮

享保十七年(一七三二)建立清瀧権現と地主妙見を合祀した当山の鎮守である。

昭和四十四年(一九六九) 成田市指定文化財となる。

今和五年(二〇二三) 弘法大師誕生一二五〇年記念大祭記念事業として保存修理した。

 

13  弘法大師の像

14  醫王殿(いおうでん)

醫王殿

平成二十九年(二〇一七) 開基一〇八〇年祭記念事業として建立。

御本尊薬師瑠璃光如来は、大醫王如来とも称され、古来、病を癒やし苦痛を取り除き、寿命を延ばす功徳がある健康長寿、息災延命の仏さまとして信仰される。

脇侍の日光菩薩は、太陽のような光明を放ち心の闇を取り除き、月光菩薩は、月のような穏やかな慈悲の心で煩悩を鎮めて下さり、眷属の十二神将は、十二の方位を守り干支の守護神として信仰される。

 

15  平和大塔

撮影できませんでしたが、中はなかなか見ごたえのある展示でした。

昔、バナナマンがここまで歩いて来て、天井絵に感激していたのを覚えています。

16  聖徳太子堂

法隆寺の夢殿を模した6角堂です。

中には、聖徳太子の立像が安置されていました。

聖徳太子堂(平成四年建立)

日本仏教興隆の祖

聖徳太子を奉安

堂内の壁面六面

日本芸術院会員 大山忠作画伯作

 

17  一切経堂

一切経堂 (成田市指定文化財)

一切経堂は、享保七年(一七二二)当山中興第一世範上人によって建立された。

中央の転輪に収まる一切経約二千冊は、仏典の集大成である。

彩色あざやかな輪周囲の桟戸には、四天王と十二神将の彫刻が施され、この輪を八体の鬼神が支えている。

入口上部の扁額は白河楽翁の筆。

経堂周囲の八つの火頭窓は、中国の故事説話を題材とした見事な木彫刻で飾られている。

堂内には、中国南北朝時代に輪を創案された傅大士(ふだいし)と普建(ふこん)、普成(ふじょう)が祀られている。

 

18  鐘楼

鐘楼

元禄十四年(1701)に当山中興第一世照範上人によって建立された。

楼上の梵鐘は大本堂建立を記念して鋳造したものである。

香取正彦氏の設計作になり重量1068キ口。

 

19  歌舞伎成田屋と市川団十郎

昔から成田屋と成田山は切っても切れない関係です。

参道のお散歩はこちら 成田山新勝寺で初詣①

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