史跡

江戸の水害の記憶を今に伝える波除碑

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江東区にある「波除碑(なみよけひ)」は、江戸時代の1791年(寛政3年)に発生した甚大な水害の記憶を今に伝え、後世に警告を発するために建てられた貴重な石碑です。

現在、洲崎神社平久橋(へいきゅうばし)の2か所に現存しており、東京都の有形文化財(歴史資料)に指定されています。

1      平久橋の波除碑(なみよけのひ)

右の風化した碑がもともとの碑のようです。上部約三分の二が失われているとのことです。

東京都指定有形文化財(歷史資料)

波除碑(なみよけのひ)

所在地 江東区深川牡丹3-33

平久橋西詰地

指定 昭和十七年九月

寛政三年(一七九一) 九月、 深川洲崎一帯に襲来した高潮によって付近の家屋がことごとく流されて多数の死者、行方不明者が出た。

幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西のあたり一帯の東西二百八十五間、南北三十余間、総坪数五千四百六十七余坪(約一万八千平方メートル)を買い上げて空き地とした。

そして空き地の両端の北地点に波除碑を二基建てた。

当時の碑は地上六尺、角一尺であったという。

碑はほとんど旧状を失っており、特に平久橋碑は上部約三分の二を失っている。

位置は旧地点を若干移動しているものと思われる。

建設は寛政六年(一七九四)頃。 碑文は伝屋代弘賢、品質は伊豆五ケ村石(砂岩)。

総高百三十八センチメートル。

平成十二年三月 設置

東京都教育委員会

大正関東地震(1923年9月1日に発生したマグニチュード7.9の巨大地震)時には木の橋でしたが、鉄の橋にかけ替えられました。

2       洲崎神社側の波除碑

東側にある洲崎神社の碑

波除碑

寛政3年(1791)9月、深川洲崎一帯に襲来した高潮により、付近の家屋がことごとく流されて多数の死者、行方不明者が出た。

幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西方一帯を買い上げて空地とした。

その広さは東西285間余、南北30余間、総坪数5467坪余(約1万8千平方メートル)に及んだ。

そして空地の両端の北側地点に、波除碑を2基建立した。

建設は寛政6年頃で、当時の碑は地上6尺、角1尺であったという。

現在は2基ともかなり破損しており、特に特に平久橋碑は上部約3分の2を失っている。

碑文は屋代弘賢と言われているが、2基ともほとんど判読不能である。

「東京市史稿」によれば、「葛飾郡永代浦築地 此所寛政3年波あれの時家流れ人死するもの少からす此後高なみの変はかりかたく流死の難なしといふへからす是によりて西は入船町を限り 東ハ吉祥寺前にいたるまて 凡長二百八十五間余の所 家屋とり払ひあき地になしをかるヽもの也 寛政申寅十二月日」と記されていたという。

材質は砂岩で、総高は平久橋碑が130.8cm、洲崎神社碑が160.1cm。

現在の位置は、旧地点を若干移動しているものと思われる。

江戸時代の人々と災害の関係を考える上で重要な資料である。

平成23年3月建設  東京都教育委員会

洲崎神社側の記事は以下でレポートしています。

大地震発生時、東京湾に津波の可能性--木場の「津波警告の碑」で歴史検証

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