史跡

東シナ海と太平洋の両方を一望できる沖縄・中城城(なかぐすくじょう)跡

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沖縄県北中城村と中城村にまたがる中城城(なかぐすくじょう)は、15世紀に護佐丸によって完成された、琉球王国時代の代表的なグスク(城)です。

標高約160mの丘陵地に位置し、東シナ海と太平洋の両方を一望できる圧倒的なパノラマが広がります。

実際ドローンで撮影されたH/Pを見るとその景観に圧倒されます。

https://www.nakagusuku-jo.jp/

残念ながらそのダイナミックさはないですが、地上に立って近接した城跡を紹介します。

山頂にある一の郭を目指しますが、麓からはカートで行けます。

カートはカンジャーガマまで行きます。

 

修復のため、ばらした石垣に番号を付けて置いてあります。

1       カンジャーガマ(鍛冶屋跡)

鍛冶を行っていたところと言われているが、 城のためか集落のためか定かではない。

一説によれば護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたとも伝えられている。

 

2       正門

西の方角へ向けてたてられた正門 (櫓門)。

門をはさむように両側に石垣がせり出し、 ハンタ道 (公道) に向け狭間がつくられています。

3       ーの郭城壁 修復工事

ーの郭城壁 修復工事について

中城村教育委員会では令和3年度より中城城跡の一の郭北西角隅城壁の石積み解体積直し工事を実施しています。

今回の工事は、高さ約 14mある石積みのはらみや目地が開いている箇所 (右写真黄色点線部分)を解体し、積み直す工事で、 石積み下部を押えている石積み (押え石積)を撤去したところ、内側に石積みが確認されました。

この石積みは、現在の場所から約15m北東側で行われた解体積直し工事で確認された古い石積み ※2の延長と考えられます。

現在、石積み積み直し(押え石積みも含む) を行っており、内側に確認された石積みの膨らんだ(はらみ) 箇所や石材劣化がある箇所を修復して、解体工事前の状態に戻す予定です。

今回確認された古い石積みは、 築造当時の工法や技術を知ることができる貴重なものとなっています。

 

4       南の郭

城の聖地で拝所が幾つもあります。

 

拝所 雨乞イノ御嶽 (はいしょ あまごいのうたき)

拝所 御當蔵火神 (通称:首里遙拝所・しゅりうとうし)

拝所 小城ノ御イベ (はいしょ くーぐすくのおいべ) (通称:久高遙拝所・くだかうとぅし)

刻印石の発見

2013年度の一の郭西側アーチ門の発掘調査で、十字の記号が刻まれた刻印石が2個見つかりました。

県内では首里城跡についで2例目の発見となりました。

中城城跡で見つかった刻印石は、いずれも15世紀前半に築かれたと考えられる城壁から見つかっており、本土のお城の刻印石より200年近く古いことになります。

中城城跡では、 現在 140個近くの刻印石が見つかっていますが、 未調査の部分もあるため全体数は未知数です。

刻印の種類には、 首里城跡と同じようなものもありますが、首里城跡で見られない形のものも存在します。

沖縄で見つかっている刻印が示す意味については、石エ個人かその集団が自らの証として刻んだ、あるいは構造的に重要な場所を示すために設置したなどの理由が考えられますが、今のところ確実なことは分かっていません。

こちらが東シナ海側です。

5       一の郭

この門をくぐると一の郭です。

H/Pの画像

中城城で最も広い一の郭。 正殿があったところ。

後に間切番所(まぎりばんじょ)が建てられ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていましたが、 沖縄戦で焼失しました。

フクギの木です。

太平洋方面に沖縄電力の火力発電所が見えます。

拝所:中森ノ御イベ (通称:着替御嶽・ちげーうたき)

一の郭正殿跡の調査概要

現在地は中城グスクの中心にあり、 先中城按司や護佐丸などの城主が政治を執り行った建物があったと考えられる場所です。

護佐丸滅亡後は、 中城の地が琉球国王の世継ぎである中城王子の所領となり、17世紀前半にはこの場所に番所が置かれ、 明治期には琉球の日本併合とともに番所は役場と名を改め、 1945年4月に沖縄戦で焼失するまで、 同地は中城の行政の中心地として長い期間使用されていました。

この場所にあった建物については、番所役場についての記録がわずかに残っているだけで、それ以前のものについては図面や文献などは残っておらず、 どのような建物が建っていたのかは分かっていません。

(※沖縄のグスクには、本土のお城にあるような天守閣は存在しません)

その謎を解明するため中城教育委員会では、平成21~24年度の期間 (調査は毎年3~4カ月実施) に約480㎡の発掘調査を実施しました。

調査の結果、 石積みで城郭が築かれる前の13世紀後半から役場のあった近代にかけての建物の礎石や柱穴、各種石組遺構、 埋甕など、 800基ほどの遺構を検出することができました。

しかし、残念ながら基壇築造後に何度か造成が行われた上に、建物もかなりの回数建て替えられたため遺構が複雑に入り組んでおり、現場では各時期の建物の構造や間取りを明確に把握することはできませんでした。

今後はこれらの遺構から出土した遺物や測量図などをもとに各遺構を整理していく予定です。

6       二の郭

ーの郭と二の郭の石積み技法は、 布積みです。

二の郭の曲線の美しさは一際目をひきます。

H/Pの画像

拝所:シライ富の御イベ

7       西の郭

兵馬の訓練をしたといわれる。長さが120mあります。

8       北の郭

護佐丸が井戸をとり込み増築したとされる北の郭。

北の郭にある大井戸。 西の郭には夫婦井戸と呼ばれる二つの井戸があります。

城郭内に水を確保していることが、この城の特徴でもあります。

9       三の郭

三の郭は新城とも呼ばれ、 石積み技法の最も進んだあいかた積み(亀甲乱れ積み) によって築かれています。

10  裏門

東に向かった建てられた裏門。

 

11  記念運動場

運動場から三の郭を見上げた所。

城跡は改修中で、全体ができるのはまだまだ先のようです。

かなり大きな城で、城のある高台から東シナ海と太平洋の両方が見え、昔の城主が領地や、領民を見渡して統治していたさまが分かります。

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