斎場御嶽(せーふぁうたき)は、沖縄県南城市にある琉球王国最高の聖地です。15世紀から16世紀の尚真王(第二尚氏王統の第3代国王で、在位:1477年 - 1526年)の時代に整備が進んだとされ、王国の国家的な祭祀が執り行われる場所となりました。
琉球の創世神「アマミキヨ」が作ったとされる七御嶽の一つで、かつては男子禁制の厳格な聖域でした。
最も重要な儀式は、最高神女である「聞得大君(きこえおおきみ)」の即位式「御新下り(おあらおり)」です。
ここでは琉球王国の繁栄や五穀豊穣が祈られ、奥にある「三庫理(さんぐーい)」からは、神の島と呼ばれる久高島を望むことができます。
琉球独自の信仰形態を今に伝える貴重な遺産として、世界遺産にも登録されています。
目次
1 斎場御嶽物産館
斎場御嶽には駐車場はありません。
観光客は近くの物産展に停めて、ここで入場券を購入してから斎場御嶽に徒歩で向かいます。

2 みどりの館・セーファ


「琉球王国のグスク及び関連遺産群」
世界遺產
2000年12月2日、斎場御は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして、ユネスコの「世界遺産条約」に基づく世界遺産リストに登録されました。
全世界の人々のために保護すべき遺産として、特に優れて普遍的な価値のあるものが、このリストに登録されます。
斎場御嶽 (せーふぁうたき)
「御嶽」とは、奄美諸島から宮古・八重山にいたる南西諸島に広く分布している聖地の総称です。
斎場御嶽は、琉球王朝時代に王府が整備した国家的な宗教組織との関連が深い、格式の高い祭祀場でありました。
せーふぁ(霊威の高い聖なる場所)の名前が示すように、巨岩や聖樹に囲まれた空間には、首里城内にある部屋名と同じ名前の拝所があり、当時の王府と斎場御嶽の関わりの深さをみることができます。
琉球最高神女である聞得大君(きこえおおきみ)の、就任儀礼 「お新下り」の御名付けがこの地で行われたということは、王権を信仰面・精神面から支えていた証でもありましょう。
現在でも、聖地巡拝の習慣を残す東御り (あがいうまーい) の聖地として、参拝客は後を絶ちません。
3 参道

斎場御嶽(セイファウタキ)への参道
この参道は、琉球王国時代の頃に行われた国王による聖地巡拝の儀礼である「東御廻り(アガリウマーイ)」の際、待垣泊(マチガキドゥマイ)から斎場御嶽へ向かう道として使用されたといわれています。
参道の中腹にはウローカーという井泉があり、 そこで禊ぎを行ったのちに、斎場御嶽の入り口である御門口へと向かいました。
御門口(ウジョウグチ)へと至る参道は坂道となっており、坂道を歩きやすくするために急斜面の部分には琉球石灰岩を用いた階段を造っていました。
道幅は、国王巡拝に使用するためか、 2,7m程と幅広な造りとなっていましたが、太平洋戦争中に陣地として使用したことや土砂崩れによる被害のため、現在その様相は大きく異なっています。
2026-01は参道を工事中でした。

4 御門口(うじょうぐち)
御門口(うじょうぐち)
斎場御嶽の入口で、 神社でいえば拝殿にあたる所です。 琉球最高の御嶽ゆえに、ここから入場できるのは王府関係者に限られていました。
右側には、御嶽内にある六つの拝所を示す香炉が置かれ一般の人々はここで御嶽の中に向かって拝みました。

5 久高島遥拝所(くだかじまようはいじょ)

久高島遥拝所(くだかじまようはいじょ)
琉球王国の絶対的な存在である国王はまさに太陽であり、その太陽のあがる方向にある久高島は東方楽土ニライカナイへの「お通し (遥拝)」 所として沖縄各地で崇拝されています。
沖縄県南城市教育委員会

6 大庫理(うふぐーい)


大庫理(うふぐーい)
首里城正殿の二階は大庫理と呼ばれ、祭祀的な機能を持つ格式の高い場所です。 聞得大君のお新下り儀式での「お名付け (霊威づけ)」儀礼が、 首里城と同じ名前を持つこの場所でとり行われたのは、 その名にふさわしいことと言えましょう。
前面にある磚 (せん) 敷きの広間では、神女たちが聞得大君を祝福し琉球王国の繁栄を祈りました。


7 寄満 (ゆいんち)





寄満 (ゆいんち)
寄満とは首里城内にある建物の名前で、国王のために食事を作る厨房を指します。
当時、ここには国内外からの海幸・山幸が集まりました。
それが、 「豊穣の寄り満つる所」と理解されていったのでしょう。
同じ名前を持つ斎場御嶽のこの場所には、第二次世界大戦前まで、その年の吉兆を占う馬の形をした石(うまぐわーいし)が置かれていました。
8 三庫理(さんぐーい)
三角形の空間の突き当り部分は 「三庫理」。
右側の岩の上がチョウノハナで、 それぞれが拝所となっています。

9 チョウノハナ

10 物産館展示・上映室

琉球王府は、政治的支配者である国王 (男性) と、それを守護する神女(しんじょ)であり宗教的最高権威者である「聞得大君(きこえ おおきみ)」によって、祭政一致の体制をとっていました。
聞得大君即位式(きこえ おおきみそく いしき)である御新下(おあらお)りが執り行われたのが、 斎場御嶽(せーふぁう たき)。
時の国王と聞得大君は、斎場御嶽と久高島を中心に、東方(あがりかた)の聖地巡拝を1年おきに行っていました。
時の琉球国王が行幸した場所が、ここ南城なのです。
東御廻(あがりうまーい)りとは
南城 (知念・玉城・佐敷・大里) は琉球王国時代より 「東方(あがりかた)」 「東四間切(あがりゆまじり)」 と称されていました。
国王がこの 「東方」 の聖地を巡拝し、 国土の安泰と五穀豊穣を祈願したのが「東御廻り」の始まりだと云われています。
王府のもとで編纂された 「中山世鑑(ちゅうざんせいかん)」から推測すると、 「東御踊(あがりうまーい)り」は少なくとも300年は続いており、今でも民間の門中 (もんちゅう・一族) 行事として、受け継がれています。
御嶽とは
「琉球国由来記」 (1713年) によると、 御嶽とは 「村を愛護する祖霊神、
島立神(しまだてがみ)、島守神(しまもりがみ)と、 祝福をもたらすニライカナイの神、 航海守護神などがまつられている」とされ、 天上の世界である 「オボッカグラ」 から神が降臨する場所とも考えられています。
信仰の対象である神々を祀る重要な場所となっています。
お新下り(おあらおり)
斎場御嶽を説明するうえで欠かせないのは、聞得大君(きこえおおきみ)の就任儀礼である「お新下り」の儀式です。
聞得大君(きこえおおきみ)とは、琉球国王の「おなり神」として国の祭祀をまとめる重要な役割を持った最高の神職で、王族の女性が就任しました。
初代 (1470年就任)から15代 (1875年)までの約400年余にわたって、琉球王府の神事を担ってきたのです。
その、最高神職に就任する最も重要な儀式であるこの「お新下り」が斎場御嶽で行なわれたことは、この御が琉球王国にとって如何に重要な役割をもっていたかがわかります。
ここでは、そのあらましについて、 主に1840年(尚6年)に記された「得大君加那志様御新下日記」を参考にして再現してみましょう。
琉球発祥の地・南城
琉球最古の歌謡 「オモロ」に謡われている琉球の祖先神・アマミキヨ。
そのアマミキヨが降臨したといわれる 「神の島 久高島」 をはじめ、第一歩を印したとされる「ヤハラヅカサ」 、 一時居住したといわれる「浜川御嶽(はまがわうたき)」、安住の地とされる「ミントングスク」 など、 南城にはこの祖先神にまつわる聖地がいくつもあります。
また、アマミキヨが創ったとされる琉球七嶽のうち、琉球王国最高の聖地「斎場御嶽」、久高島の 「フボー御嶽」、玉城百名(たまぐすくひゃくな)の「藪薩御嶽(やぶさつうたき)」、アマミキヨの子孫が住んだといわれる玉城グスク内 「天つぎあまつぎの御嶽」 を有し、稲や五穀の発祥にまつわる井泉(かー)や御嶽も残っています。
これら、琉球開闢(かいびゃく)の神話や歴史に彩られた史跡、 聖地が数多く点在する南城。
どうぞ、ゆっくりと散策を楽しみながら、 悠久の時に思いを馳せてみてください。










