中津川市苗木遠山史料館は、岐阜県中津川市苗木にある、中世から明治初期にかけての苗木領に関する歴史的文化遺産を保存・展示する史料館です。
国指定史跡「苗木城跡」の城山登り口に位置しており、城跡散策の拠点としても親しまれています。
主な特徴と展示
遠山家資料:苗木城主を務めた苗木遠山家伝来の甲冑や武具、古文書などを展示しています。
苗木城・苗木領の歴史:戦国時代の武田信玄からの書状をはじめ、苗木領の政治や文化、苗木城の構造が学べる史料を公開しています。
ただし、撮影は限られた場所だけでした。


たまたま「国際博物館の日」で入場が無料でした。
目次
1 苗木城
苗木城が1位に輝いたのは、出版社(晋遊舎など)のムック本『日本の城ベストランキング100』などに掲載されている「絶景!山城ベスト10」という企画です。
ランキングはいろいろあります。
1位もたまたま感はあります。しかしうまくアピールに結び付けていますね。

風吹門(かざふきもん)
扉 :材質 ケヤキ材
寸法 縦230cm 横 112cm 厚さ12G
柱 :材質 ケヤキ材
寸法 高さ30cm 横39cm 奥行 2cm
冠木(かぶき):材質 ケヤキ材
寸法 長さ350cm 横 58 cm 奥行 30cm
苗木城三ノ丸広場の入口に、 この風吹門はありました。
なぜ、 風吹門というか記載した資料はありません。
天正10(1582) 年、 織田信長が本能寺の変で憤死して天下の形勢は大きく動きました。
翌春、秀吉配下の森長可が東濃を進攻し、5月に最後の苗木城に至りました。
『高森根元記』には、「友忠父子は苗木の城を固めた。
森長可は大勢で取り囲むが、 その時風雨が激しく、霞が城を蔵した。
これで寄せ手は城を見定めることが出来なかった。
城兵は堅固に守り切ったので、 武蔵守(長可) は勝利を得ずして引き下がった。」 とあります。
一説にこれは5月20日とあり、 太陽暦では7月9日に当たります。 梅雨の終わり頃に、しばしば豪雨がありますが、 その風雨が苗木城を守ったというのです。
岩村城は 「霧ヶ城」、 苗木城が 「霞ヶ城」 と云われます。 霧が秋から冬に見られるのに対し、 霞は春から夏の気象です。 神仏が風雨で城を救ったのでしょうか。
結局は、 戦いのあと、秋になり、秀吉が攻めてくるという風評に、 友忠・友政父子はやむなく城を去り、 浜松の家康を頼ったと云われます。
江戸時代には、神仏が霞で苗木城を守ったという伝承を大切にして、御城を「霞ヶ城」と呼びました。
明治に名を残す可児徳は 「霞城」と号し、画人の安藤栄年も 「霞ヶ城真景」 を描いています。 (共に史料館に展示)
さらに神仏が風雨で城を救ったことから、木曽川から登る龍が風雨を起こしたという別の伝承に広がり、雨風で赤壁になったという「赤壁城」伝説も生まれました。
巨岩に石垣を重ねて築かれた苗木城では、 21の門が強い壁となり、城を守っています。
その要の門を風吹門と呼ぶのは、 神仏の庇護を祈願してのことではないでしょうか。
苗木城は明治4年に解体されました。 風吹門は、 移築されていた大泉寺から里帰りして、今ここに展示されています。 苗木城唯一の遺構です。
山全体が巨大な花崗岩(こうがん)でできています。
苗木花崗岩と呼ばれるもので、近くの恵那峡の岩も同じ種類です。


苗木城復元模型
苗木城は木曽川の北岸、通称城山とよばれる高森山に築かれた山城です。
山全体に巨岩が露出し、 この岩を巧みに利用しながら狭い平場に城郭を築いていました。
北側から渦巻き状に三の丸、二の丸、 本丸と続き、山の頂上の岩の上に天守が建てられていました。
模型は幕末頃に描かれた絵図を基に、 建物の構造等は推定で製作しました。
伝説では赤壁城と呼ばれていましたが、壁の色は当時の壁土に合わせました。
苗木城の建物の配置状況や規模を知ることが出来ると共に、 巨岩と石垣・建物との複雑な組み合わせに驚かされます。
復元年代
幕末頃
復元範囲
南北 約300m 東西 約180m
縮尺
約1/150

苗木藩の遠山家は苗木城(中津川市苗木)を居城とし、石高1万500石の「大名(外様大名)」として幕末まで存続しました。
メモ
遠山と言えば遠山の金さん(遠山景元)の名が浮かびますが、金さんは「明知(あけち)遠山氏」の血を引いています。
明知遠山氏は江戸時代には大名ではなく、美濃国明知などを治める「交代寄合(こうたいよりあい)の旗本でした。
「遠山の金さん」は苗木藩の殿様やその家族ではありません。
どちらも美濃国恵那郡などを中心に栄えた一族「美濃遠山氏」の血筋を引く血筋ですが、江戸時代では遠い親戚といった感じで、ほぼ他人の関係だったと思われます。
2 前田青邨と中川とも展
前田青邨(まえだ せいそん、1885–1977)は、岐阜県中津川市出身の明治から昭和期に活躍した日本画家です。
武者絵や歴史画で高い評価を受けました。
中川とも(1900–1989)も、岐阜県中津川市出身の日本画家・人形作家です。
日本画を前田青邨に師事し、院展を中心に活躍しました。
歌舞伎や文楽などの古典芸能に造詣が深く、文楽人形や芝居絵を題材とした独特の作品を多く遺しました。

さてこの後、いよいよ苗木城に登ります。



