史跡

「サラリーマンの聖地」新橋

スポンサーリンク

新橋は1872年に日本初の鉄道が開業した「鉄道発祥の地」です。

駅西口の「SL広場」には蒸気機関車C11形が静態保存され、汐留口にはD51形の動輪モニュメントが置かれて街の歴史を物語っています。

現代では日本を代表するオフィス街・繁華街として知られ、「サラリーマンの聖地」として親しまれています。高層ビルが立ち並ぶ汐留再開発地区と、昭和の面影を残すレトロな飲み屋街が共存するエリアです。

1            新橋の始まり

明治初期、日本初の鉄道を敷くために新橋の開拓工事を行っていたところ、タヌキの巣穴と3匹の子ダヌキが見つかりました。作業員たちは彼らをあわれみ、餌を与えて「タヌキ小屋」を作って可愛がったとされています。

やがてタヌキたちが巣立った後、残されたタヌキ小屋に作業員たちが自然と集まり、酒を飲むようになりました。これがきっかけで周辺に飲食店が集まるようになり、一帯は「狸小路(たぬきこうじ)」と呼ばれる一大飲み屋街へと発展しました。

昭和の再開発によって狸小路は取り壊され、1966年に「新橋駅前ビル」が作られました。

 

2            旧新橋停車場

以下のブログでレポートしています。

日本の鉄道の始まり旧新橋停車場(鉄道歴史展示室)

 

3            新橋駅東口

3.1       鉄道唱歌の碑

汽笛一声新橋を
はや我汽車は離れたり
愛宕の山に入り残る
月を旅路の友として

1957年(昭和32年)10月4日、鉄道開通85周年および大和田建樹の生誕100年を記念して建てられました。

鉄道唱歌の作者大和田建樹先生は安政四年(一八五七)四月廿九日愛媛縣宇和島に生まる

幼少國漢文に親しみ十五歳以後に國学に志した

明治七年十八歳の秋上京遊学

十七年東京大学講師

翌年高等師範学校教授

廿四年辞任爾来又官任せず門を開いて歌文を教え地方に出講し行餘謡曲能舞を嗜む

学は漢洋に亘り著述は辞典註釋詩歌随筆等百五十冊を越えたが丗三年鉄道唱歌東海道山陽九州奥州線磐城線北陸地方關西参宮南海各線の五冊を連刊し就中汽笛一聲新橋をの一句で始まる東海道の部は普く世に流布して津々浦々に歌われ鉄道交通の普及宣傳に絶大の貢献をなした

先生明治四十三年十月一日に没す享年五十四

今年恰も生誕百年に當って先生の遺弟待宵舎同人の發起により東海道鉄道唱歌にゆかり深い新橋驛構内に碑を建て永く先生を記念する

昭和三十二年十月安倍能成

 

3.2       D51機関車の動輪

D51機関車の動輪

D51形機関車は1936年(昭和11年)に誕生した機関車です。10年間で1,115両と、日本のSLでは一形式で最多の両数が製造され、戦前・戦後を通じて全国各地で、主に貨物用として活躍しました。「デゴイチ」などの愛称で親しまれ、蒸気機関車の代名詞にもなり、1975年(昭和50年)のSL最後の運転まで重用され、使命を全うしました。展示されている動輪は、1976年(昭和51年)の総武・横須賀線乗り入れ記念として、北海道の札幌鉄道管理局から譲り受け、鉄道発祥の地である新橋駅に設置したものです。

鉄道唱歌の碑

1957年(昭和32年)10月4日の鉄道開通85周年記念日に鉄道唱歌の作詞家、大和田建樹生誕100年を記念して新橋駅に建立されました。鉄道唱歌は、長い間私たちのために働いた鉄道を讃えるだけでなく、明治時代の文学者大和田建樹自身が実際に汽車に乗ってつぶさに日本国内を旅行した見聞録です。

4            新橋駅西口広場

新橋駅西口広場には、 昭和20年代に運行していたC-11蒸気機関車のほか、信号機も展示されています。 新橋駅の赤いレンガアーチは明治時代に作られた高架橋で耐震補強を経て今もなお現存しています。

4.1       C11機関車

国鉄C11形蒸気機関車は、1932年から製造された軸重制限のあるローカル線向けの過熱式タンク機関車です。現在でも大井川鐵道などで使用されています。

4.2       高輪築堤

高輪築堤とは

高輪築堤は、明治5(1872)年に我が国初の鉄道が開業した際に、海上に線路を敷設するために築かれた鉄道構造物です。

明治政府は明治2(1869)年に、首都東京と開港場であった横浜を結ぶ約29kmの鉄道建設を決定しました。

しかし、鉄道建設に反対する兵部省が高輪周辺の土地の測量を拒んだため、 鉄道建設の責任者であった佐賀藩出身の大隈重信らの判断で、本芝から高輪海岸を経て品川停車場に至るまでの約2.7kmの区間は海上に築堤を建造し、その築堤の上に列車を走らせることとしました。

工事はイギリス人技師エドモンド・モレルの指導のもとで民部省鉄道掛のちに工部省鉄道寮が担当し、石垣の石材には台場や高輪海岸の石垣等が使用されています。

一度埋め立てた土砂が波に流されて築堤が崩壊するなど難工事となり、完成したのは正式開業直前のことでした。

高輪築堤は、我が国の在来技術と西洋技術の折衷をみることのできる貴重な鉄道構造物といえます。

出土の経緯と調査 (2021年2月27日時点)

高輪築堤は、平成31(2019)年4月、品川駅改良工事の際に石垣の一部が発見されました。

この発見は、周辺の埋め立てに際してすでに取り壊されていると考えられていた高輪築堤の残存を確認するきっかけとなりました。

築堤が開発計画エリア内に残存している可能性があると考え、 令和元 (2019)年11月の山手線・京浜東北線の線路切換工事完了以降、築堤の残存状況を確認する試掘調査を実施しました。

その結果、 旧山手線・旧京浜東北線の線路下より高輪築堤が見つかりました。

石垣上部の石は取り除かれているものの、 開業当時の線路に敷かれていたバラストが確認されるなど、比較的良好な状態で残存していることが確認されました。

 

第7橋梁橋台部分

築堤の一部を切って設けられた橋梁の橋台部分です。

横長の石を同じ列に長手と小口を並べるようブラフ積みが用いられています。

石の面を観察すると、開業時手前の表面は斜め筋状の叩きが丁寧に施されているすだれ仕上げに対し、山側奥は荒い打ち欠きが残るのみです。

これらの違いから、 山側は3線化に伴い拡幅された際のものと考えられ、開業時の山側の石垣は、拡張した石垣に隠れている可能性があります。

築堤の大きさ

原物の高輪築堤は 3.8mの高さがありました。

このモニュメントは赤で示した上部約1mの石積を再現しています。

 

築堤については以下にも記載あります。

高輪築堤(たかなわちくてい)跡 ・地味に展示

JRの歴史を語る鉄道博物館

5            西口広場の「SL広場」に置かれている蒸気機関車C11(C11 292)と、汐留口近くにあるD51の動輪モニュメントの形名について

アルファベット「C」と「D」の由来(車輪の数)

蒸気機関車の形式名につくアルファベットは、機関車の命である「動輪(モーターや蒸気の力で実際に回転して走る車輪)」の数を表しています。アルファベット順に車輪の数が増える仕組みになっています。
「C」の意味:動輪が「3軸(片側3個、両側合わせて6個)」あることを示しています。「D」の意味:動輪が「4軸(片側4個、両側合わせて8個)」あることを示しています。新橋駅周辺にモニュメントとして車輪が飾られているD51(デゴイチ)は、日本の代表的な貨物用大型機関車です。
車体が大きく重いため、力を分散して大きな荷物を引っ張るために4対(8個)の動輪が必要でした。

数字「11」と「51」の由来

アルファベットに続く数字の意味。

10番台(C11など): タンク式(石炭や水を車体の一部に積むタイプ)の機関車を表す番号帯で、開発された順に番号が振られました。

50番台(D51など): テンダー式(石炭や水を積むための専用車両「炭水車」を後ろに連結するタイプ)の機関車を表す番号帯です。

D11やD51はその番台の中で、*0番に続く2番目の形式として設計・承認されたことを意味しています。

 

新橋と言うと、西口のSL広場でインタビューを受ける酔っぱらいのサラリーマンを思い浮かべますが、東口にも見どころがあります。

立ち寄った際には是非西東を見て歴史に触れてみてください。

 

スポンサーリンク

-史跡