樋口一葉は、5000円札にもなった明治時代の女性作家です。
24歳6ヶ月の若さで肺結核により死去しますが、14ヶ月余りの作家生活の間『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』等、後世に残る秀作を次々と発表しました。
一葉の小説は、古文ではありませんが、さりとて現代文でもないため慣れないと読みづらいです。
10年後に発表された漱石の「吾輩は猫である」は、硬い文章ですが、現代文に近く原文のままでも問題なく読むことができます。
幸田露伴の「五重塔」(1892年)もかなり読みにくかったですが、江戸時代から明治にかけて、口語の小説への変遷期にある小説なのでしょう。
一葉の両親の出身地は山梨ですが、明治維新直前の1857年(安政4年)に駆け落ち同然で江戸へ出てきたため、一葉自身は生まれも育ちも東京です。
目次
1 一葉の生涯
短い生涯でしたが一葉は都内各地で転々と住居を変えているため、それぞれの場所でその痕跡を残しています。
尚、転居年は「樋口一葉記念館」の年表を参考にしました。
1872年(明治5年) 生誕
東京府内幸町(生誕地)
現在の 東京都千代田区幸橋御門内
1874年(明治7年) 1歳
東京府麻布三河大町5番地に転居
1881年(明治14年) 9歳
7月 東京府下谷区御徒町1丁目14番地に転居
10月 東京府下谷区御徒町3丁目33番地に転居
1884年(明治17年) 12歳
下谷区西黒門町20番地に転居
1888年(明治21年) 16歳
5月 芝区高輪北町19番地にある次兄、虎之助の借家に一時同居。
9月 神田区表神保町2番地に転居
1889年(明治22年) 17歳
3月 神田区淡路町2丁目4番地 駿河台新坂下に転居
5月 父親死去
9月 芝区西応寺60番地にある虎之助の借家に同居
1892年(明治25年) 20歳
7月 本郷菊坂町69番地に転居
2 伊勢屋質店
本郷五丁目にあるこの質屋は、一葉がたびたび通った質屋さんです。
週末には一般公開されていますが、建物内の撮影が禁止されているため、外観だけです。
コロナ禍のため正面の入口でビニール袋に靴を入れ、裏口から退出するという順路で見学します。
3 金田一京助旧宅
一葉の本郷菊坂の旧宅の南側にある鐙坂の途中には、金田一京助の旧宅がありました。
金田一がこの旧宅の住むのは1909年(明治42年)の結婚以降のことなので、一葉死去の15年後になります。
金田一は岩手県盛岡の出身ですが、独身の時から、この界隈で生活していました。
石川啄木の紹介で地元本郷出身の女性と結婚し、ここに居を構えました。