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南極観測船「宗谷」---「船の科学館」前に係留され保存展示

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元南極観測船・「宗谷」は、なんと、1938年(昭和13)ソビエト向けの耐氷型貨物船として建造されました。その時の名前は「ボロチャエベツ」です。

しかし、第二次世界大戦の前だったこともあり、ソビエトに引き渡されず「地領丸」と言う名前で国内の貨物を運んでいました。

1940年(昭和15)、海軍が購入し艦首に高角砲を装備して「宗谷」という名前になりました。

大戦時に軍用輸送船として使われた後、戦後は復員輸送に従事し、その後、海上保安庁に所属しました。

1956年(昭和31年)から1965年(昭和40年)までの6回に渡る南極観測船として活躍します。

南極観測船を終えた後は、1978年(昭和53)まで北洋警備の巡視船として活躍した後、現役生活を終わります。

そして現在は、東京お台場にある船の科学館で展示され、無料で見学できます。

 

 

1        外観

 

ヘリコプター発着甲板

第3次南極観測以降、大型ヘリコプター搭載にともなって増設されたヘリコプター発着甲板です。

南極への物資の多くはここから空輸されました。

 

2        船内

第6士官寝室(高層気象観測室)

南極観測 今・昔

■観測隊員の暮らし

“宗谷”時代の昭和基地は発電棟を含む4つの建物が建設され、最初は11名が越冬しました。 狭い基地内では食事をするのが最大の楽しみでした。

現代の昭和基地は、 管理棟を中心に60以上の建物で構成されており、主な建物は通路で結ばれています。観測隊員は約60名で、 そのうち約40名が越冬することができ、衛星電話・床暖房の個室 風呂 水洗トイレなどが完備され、世界有数の科学基地になりました。

また、食材は冷凍の肉・魚・野菜ですが、レタスやミニトマトなども育てています。

提供:国立極地研究所、 若井登氏

南極の氷(実物)

これは、今から数千年前にできた南極の氷の実物です。

南極大陸は、平均約2,500メートル、 最大4,000メートルにも及ぶ厚い氷に覆われ、 その氷の量は地球上にある陸氷の90パーセントを占めるといわれています。

大陸内では、降雪により絶えず新しい雪が補給され、 積もって氷となり内陸から海岸に向かって1年に数メートル~10数メートルのゆっくりした速さで移動し、 最後に海に流れ出して氷山となります。

南極の氷をよく見ると小さな泡がたくさん含まれていますが、 この泡は古い時代の大気で、 この大気や氷の成分を研究することで地球の成り立ちなどを知ることができます。

提供: 海上自衛隊 南極観測支援室

南極観測船のいまむかし

南極観測事業のために、物資輸送に当たる船が南極観測船だよ!

 

宗谷(1956年~1962年)  全長83.7m、最大幅17m  4,800馬力

第1次~第6次隊の輸送に使われました。

海上保安庁の巡視船を砕氷船として改造したものです。

1957年、オングルに昭和基地を開設し、第1次越冬を成立さ

せました。

 

ふじ(19865年~1983年)  全長100m 最大幅22m  12,000馬力

第7次~第24次隊まで輸送。

氷海に阻まれ、基地接岸は18回中6回だけでした。

運航は海上自衛隊が担当。第9次隊の極点旅行、第11次隊からの昭和基地での口ケット観測など、観剤の発展に寄与しました。

 

初代しらせ(1983年~2008年)  全長134m 最大幅 28m  30,000馬力

第25次~第49次隊で活躍。

25回の航海中24回国に成功。

ふじに比べ輸送力は2倍。

氷海に閉じ込められたオーストラリアの観測船の救援も行いました。

15 メートルの水を3ノットで連続的に砕氷します。

 

現行しらせ(2009年~)全長138m 最大幅 28m  30,000馬力

第51次隊から就航した新しらせは世界最新鋭の観測船で油もれ対策として船体を二重船殻とした他、廃棄物管理室や生活汚水浄化装を配備し環境に配慮したエコシップとなっています。

砕氷能力も高くなっています。

 

南極観測 今・昔

■南極観測船“宗谷”が日本を出発し、国家事業として南極観測が始まりました。

南極地域観測

南極地域観測は、 永田武隊長率いる第1次日本南極地域観測隊を乗せた初代南極観測船“宗谷”が日本を出発し、 南極大陸のリュツォ・ホルム湾にある東オングル島に昭和基地を設営したのが始まりです。

現在の観測隊は、 12月~翌年2月まで滞在する夏隊と、 翌々年2月まで滞在する越冬隊に分かれます。

隊員は西オーストラリアまで飛行機で向かい、海上自衛隊が運航する南極観測船 “しらせ” に乗り継いで南極に向かいます。

近年における日本の南極地域観測は、国立極地研究所を中核機関として、世界の観測拠点としての気象観測の継続実施、オゾンホールの発見、月隕石 火星隕石を含む世界最多級の多種多様な隕石採集、氷床掘削で得た氷床コアの解析による過去数十万年にわたる気候変動の解明、大気中の二酸化炭素量のモニタリングによる温室効果ガスの研究などさまざまな分野の専門家たちが世界の国々と力を合わせて研究や観測を続けています。

南極昭和基地

電動揚貨機

ワイヤーロープを巻揚げ、 デリック・ポストに付くブームの上げ下げや旋回を行う装置で、 船の横付け作業にも用いられました。

第3科員室

乗組員のうち、一般船員のことを科員と呼びました。

ここは科員用の居室で、 二段ベッドが2つあり四人部屋となっていました。

各居室ともクーラーの設備もなく、 赤道通過時は暑さに苦しめられました。

 

冷蔵小出し庫

船倉の大型冷蔵庫より小出しした、 肉や野菜などの冷凍食品類を貯蔵した倉庫です。

冷凍食品は、 南極観測によって本格的に実用化されました。

 

宗谷の歴史

 

調理室

南極観測当時、揺れる船内で毎日130名分の食事を準備することは大変な作業でした。

調理用には、蒸気がま、 電気式パン焼器をはじめ、豆腐製造機までありました。

“宗谷"時代の防寒衣類

" 宗谷 "時代の南極観測に用いられた防寒衣類です。

当時、 南極で用いる衣類は山岳用品を参考に開発され、 保温性の高い下着、ミトンの手袋、 カネカロンのコートなどが使われました。

治療室

南極までの航海において、船内の病院として機能したのが 「治療室」です。

南極観測当時、虫垂炎程度の手術であれば、 ここで行われました。

 

通信室

 

食堂です。

 

機関長室

船の心臓とも言うべき機関を所掌する、 機関科 (エンジン関係)の責任者機関長です。

こうした個室が用意されたのは、 船長、機関長、 航海長、観測隊長など一部の人だけでした。

第1浴室

乗組員のうち、 士官用の 「浴室」です。 他に、科員用と観測隊用がありましたが、専用浴室を持っているのは船長だけでした。 真水節約のため航海中は海水を、 南極では氷塊を蒸気で溶かして使用しました。

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