史跡

東京街歩き:溜池山王駅界隈 「溜池発祥の碑」と「山王日枝神社」

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溜池山王駅は港区と千代田区の境界にあります。

駅名を決める時に港区側が「溜池駅」の駅名を、千代田区側が「山王下駅」の駅名を希望したため、両区が駅名を巡って対立することになり、結局、両区の意見を取り入れ、地名を合成することで決着しました。

溜池跡の痕跡と、山王神社を街歩きしましたので、アップします。

1        溜池

溜池は江戸時代の外堀の一部でした。

外堀通りと首都高が交差する地点近くに「溜池発祥の碑」があります。

溜池発祥の碑

溜池は江戸時代のはじめ, 江戸城の防備をかねた外堀兼用の上水源として作られ水道の発祥地ともなり、徳川秀忠時代には鯉、鮒を放し、蓮を植えて上野の不忍池に匹敵する江戸の名所となった。

徳川家光は遊泳したとも伝えられ, 江戸後期には日枝神社より赤坂四丁目に通じる料金を取った銭取橋が架設され「麦とろ家」数軒と出店でにぎわったと云われる。

明治八年より 埋め立てに着手し 四十四年に完成したが、明治二十一年十二月には赤坂溜池町が創立され、明治四十二年に市電が開通し、大正十年五月に 正式な町会として溜池町会が発足し、溜池角の小松ビルは元は演伎座と云う芝居館として人気を煽り東京オリンピック以後はビル街として発展し、町会名も「赤坂溜池町会」と改称し今日に到り、地下鉄新駅「溜池山王駅」の開通を記念し建立とした。

(赤坂溜池町・文責)

平成九年八月吉日

東京都 港区

外堀通りを南東へ300mほど進むと溜池櫓台跡(ためいけやぐらだいあと)があります。

2        山王日枝神社

岡の上にあります。

江戸には天下祭りと呼ばれる特別な祭礼がありました。

天和元年(1681)以降、隔年で行われていた、山王権現と神田明神の祭礼です。

山王権現は山王日枝神社のことで、将軍家の産土神として崇められました。

2.1         境内地図

2.2         外堀通り側に建つ鳥居

山王溜池駅の7番出口を出て外堀通りを北に向かって2、3分歩くと右手に現れます。

この鳥居は、普通の鳥居(明神鳥居)の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされます。山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれています。

目黒不動も同じ鳥居でした。

外堀通りから本殿へは階段を登って行きますが、エレベーターで上まで行くことができます。

下の写真は上から外堀通りの鳥居を眺めたものです。

2.3         本殿

本殿です。1659年(万治二年)に建てられ国宝に指定されていたかつての本殿は1945年(昭和二十年)の東京大空襲で燃え、現存するのは1958年(昭和三十三年)に再建されたものです。

60年以上経っていますが、メンテナンスが行き届いているため、年代を感じさせません。

2.4         夢御殿

2.5         山車庫

2.6         神門

2.7         東の鳥居

神門と直線配置になっている鳥居で、こちらが正式の入口です。

古地図を見ると、入口はこちらだけです。

当たり前ですが、外堀通りの鳥居の所は外堀(溜池)です。

今回は、外堀通りの鳥居から境内に入りましたので、下りて東の鳥居のところまで行きました。

2.8         さざれ石

岐阜県揖斐郡春日村産の石です。

「石灰石が長い年月をかけて雨水に溶解され、それにより生じた粘着力の強い乳状液が小石を結集して大きくなり、一つの大きな岩の塊に変化したもの」とのことです。

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