史跡

戦国時代前後の城の形態が良好に残されている 深大寺城址

スポンサーリンク

深大寺で有名な調布市の深大寺地区には昔、お城があった時代がありました。

もっとも、深大寺の開闢(かいびゃく)が、奈良時代の733年、城の第1期築城は1490年前後なので、城ができる700年以上前にはすでに寺があったことになります。

 

古代多摩川が南へと流れを変えていく過程で武蔵野台地を削り取ってできた、国分寺崖線と呼ばれる河岸段丘の丘陵地に位置し、湧水がでることで有名です。

深大寺城の築城時期は2時期あり、第1期(1490年前後)は扇谷上杉定正、第2期(1537年)は上杉朝定が築城主です。

現在は建物はありませんが、土塁と堀をメインにした防衛施設の形状は現地で確認できました。

2007年には国指定史跡になりました。

 

1        深大寺城概要

国史跡深大寺城跡

関東では領国支配をめぐる争いにより、15世紀後半から戦国時代になりました。

各地に城郭が築かれましたが、勝者が手直しをしてしまうので、築城当初の形で存在するのは希少です。

深大寺城は多摩川をはさんだ北一帯の防衛拠点で、扇谷上杉朝定が代々継がれた城を再興して、後北条氏に相対しましたが、実戦で使用されたことなく廃城します。その後も手を加えられることなく放置されてきたため、戦国時代前後の城の形態が良好に残されているとして国史跡に指定されました。

調布市立郷土博物館掲示

深大寺城の築城時期は2時期あり、第1期(1490年前後)は扇谷上杉定正、第2期(1537年)は上杉朝定が築城主です。

第1期は、戦国時代に突入し、関東管領・山内上杉と扇谷上杉が対立関係にあった1490年前後に、扇谷上杉の主要拠点(領国)を結ぶ「つなぎの城」の役割を果たしました。

第2期は、小田原北条氏の勢力拡大にともなって多摩川以北に進出した北条領国に対し、江戸城奪還等を目的とした「境目の城」として再興されました。

深大寺城は、戦況に応じて取り立てられる臨時的な城として、その機能を変化させていました。

調布市立郷土博物館掲示

 

2        第1期の勢力分布図

西に、山内上杉、東に扇谷上杉と勢力が分かれています。

山内と扇谷の両上杉家は関東管領の座をめぐって数十年にわたり抗争を続けましたが、最後は山内上杉家が抗争に勝ち関東管領の地位を守りました。

調布市立郷土博物館掲示

 

3        第2期の勢力分布図

このころには、伊豆から出た後北条家が小田原を起点に勢力を拡大し、両上杉家を圧迫します。

調布市立郷土博物館掲示

 

深大寺から多摩川方面を望むと、対岸の小高い丘は北条領となります。

丘の上に「よみうりランド」の観覧車も見えました。

4        城址見学

ガイドさんについて、現地見学に行って来ました。

 

4.1         土塁

土塁跡をガイドさんに説明してもらいました。

4.2         建物跡

城と言えば天守閣を思い浮かべるかもしれませんが、この城は質素な野戦曲輪と言った方が良いかもしれません。

現在は、建物もなく広い芝が広がる公園になって、家族連れの憩いの場所です。

見るからに、大軍が籠って戦う場所ではなく、戦略的には「つなぎ」のための城であり、城の1期も2期も用が無くなると廃城になっています。

こんな短い間だけ歴史に刻まれた城ですが、関東の勢力争いを様相をこの城の歴史から読み取ることができる貴重な遺跡です。

スポンサーリンク

-史跡