赤坂檜町公園は東京ミッドタウンに隣接する公園です。
江戸時代には長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があった場所で、「清水園」と呼ばれる大名庭園がありました。
檜町という名は、毛利邸の南側に見事な檜(ヒノキ)林があったことから「檜屋敷」と呼ばれていたことに由来します。
屋敷は3万6800坪(12ha)という広大な広さで、ほぼ「檜町公園」と「東京ミッドタウン」を足した場所にありました。
「赤坂檜町」の旧町名由来
古くは今井村のうちでしたが、寛永(1624~1644)以後、萩(長州)藩毛利家、松江藩松平家、山家藩谷家の屋敷地となり、幕末まで大きな変化はありませんでした。萩藩毛利家屋敷は元治元年(1864年)、幕府と萩藩とが対立したため、召し上げとなっています。
町の北部に麻布今井町年貢町屋がありました。これはかつての今井村の百姓家に由来すると思われ、承応3年(1654年)頃にはこの町屋が今井本村と呼ばれ、中心的な位置をしめていたようです。明治5年(1872年)、麻布今井町年貢町屋と武家地を合併して「赤坂檜町」となりました。町名は毛利家邸内に檜が多く、檜屋敷と呼ばれていたことに由来します。
明治になって、町名の南東部三分の二は陸軍省用地となり東京鎮台歩兵営がおかれ、後に歩兵第一連隊となりました。
西部は明治20年(1887年)頃は、空き地や畑だったようで、明治末頃までには大部分が住宅地となり、北東隅には、わずかに商店がありました。
戦後は、歩兵第一連隊が進駐軍に接収されハーディバラックスという兵舎となりました。昭和37年、アメリカから敷地が返還され、跡地には平成12年まで防衛庁が置かれていました。
歩兵第一連隊は 二・二六事件で皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官・兵を率いて蜂起した部隊の一つです。
目次
1 園内地図
2 東屋
園内の東屋は、池のほとりにあります。都民の憩いの場所です。
霧雨の日のお昼に行きましたが、東屋のベンチに腰掛けてランチをしている人が沢山いました。
東京ミッドタウンにある高級ホテル、ザ・リッツ・カールトンがそびえ立っています。
対岸から東屋を撮影しました。
3 噴水テラス
暑い日には、子供達の遊び場になることでしょう。
4 「FUJIN かぜのかみさま」(ブランコ)
高須賀 昌志の作品です。
5 ネレイス(海の精)像
イアタリアの彫刻家エミリオ・グレゴ(1913-1995)の作品です。
ギリシア神話に登場する海に棲む女神です。
6 檜坂
公園の北側には何故か檜坂があります。
檜があったのは毛利邸の南ですから、ミッドタウンの敷地内です。
檜公園の脇なので、檜坂ということでしょうか。
7 グリーン&パーク
隣接するミッドタウンの敷地内にあります。
奥のオブジェ名は [フラグメントNo.5]
ドイツの作家 フロリアン・クラールの作品です。
緑に映えるとともに月光のもとで美しく輝いて見えることを想定して設置されました。
ちなみに、2009年4月23日に泥酔して全裸で騒いでいた元「SMAP」メンバーの草薙くんが、公然わいせつ罪で逮捕されたのはこの芝生のあたりということでした。
赤坂檜町公園周辺は東京でも指折りの高級住宅街で、賃貸料も数十万/月もするマンション群に囲まれていました。