埼玉県寄居町鉢形城公園内にある樹齢150年の氏邦桜は、2023-3-21満開です。
お彼岸に咲くヒガンザクラの名前に違わず根元からでた沢山の幹から出た花がまさに彼岸の今、真っ盛りです。
町指定天然記念物
鉢形城の桜・エドヒガン
指定 平成十六年三月一日
所在 寄居町大字鉢形字諏訪二七三八
エドヒガンは、バラ科の落葉高木種で、花期が早く、関東地方で彼岸の頃に咲くことから、この名前がついた。
このエドヒガンは、二本の幹が一旦伐採され、その株元から十二本の芽が成長したもので、樹高十八メートル、枝張りは、東西二十三・五メートル、南北二十一・八メートル、全体の根回りは六・五メートルほどある。
枝は笠鉾状に広がり、見事な樹形を呈している。
なお、樹勢や聞き取り調査から、樹齢は百五十年ほどと推定される。
平成二十一年三月
寄居町教育委員会
この公園はその名の通り、昔、鉢形城のあったところです。
史跡鉢形城跡
指定
昭和7年4月19日
所在 寄居町大字鉢形地内鉢形城跡は、 戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年に国指定史跡となりました。
指定面積は約24万m²です。
城の中心部は、 荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、 天然の要害をなしています。
この地は、交通の要所に当たり、 上州や信州方面を望む重要な地点でした。
鉢形城は、 文明 8 年 (1476) 関東管領であった山内上杉氏の家宰長尾景春が築城したと伝えられています。
後に、この地域の豪族藤田康邦に入婿した 小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、 現在の大きさとなりました。
関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、 さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
また、鉢形城跡の周辺には、 殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、 小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺えます。
天正18年 (1590) の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、 前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、激しい攻防戦を展開しました。
1ヶ月余りにおよぶ籠城の後、 北条氏邦は、6月14日に至り、 城兵の助命を条件に開城しました。
開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり、 この地を統治しました。
鉢形城の土塁跡
土塁の保存状態がとても良く、城の縄張りがよく分かります。
本丸跡は荒川べりの切り立った断崖に上にありました。
本丸から眼下の荒川を見下ろしたところ
鉢形城の詳しい説明は「鉢形城歴史館」で見ることができます。
残念ながら撮影が禁止されていたので写真はありませんが、城のジオラマと映像による歴史の説明があります。
守りには適した要害の地で、1590年に豊臣秀吉が天下統一に向けて小田原攻めを行った際には、一ヶ月にわたる豊臣方の猛攻にも耐え抜きましたが、城主北条氏邦は城に立てこもっていた兵の助命を条件に開城しました。