桜が満開の季節(2024-4-1)に、秩父・青雲寺を訪れました。
青雲寺は「しだれ桜」で有名な寺です。
お寺自体は駐車場がないため、近隣の駐車場に車を止めます。
駐車場のサクラも見事です。
お寺は小高い丘の上にありますが、そこから見下ろすと下の民家にもいっぱいのサクラが咲き誇っていました。
いよいよここから境内です。
山門脇のサクラも見事でしたが、メインは他にもあります。
天然記念物のしだれザクラです。
エドヒガンザクラという種類ですが、普通エドヒガンザクラは枝垂れないです。
掲示板には、枝垂性(しだれせい)のエドヒガンザクラと書いてありましたが、枝垂れないのも枝垂れるのも同じ種類???なのが疑問です。
専門家ではないので分かりませんが、種類は分けて欲しいとお思いました。
埼玉県指定天然記念物 清雲寺のサクラ
所在地秩父市荒川上田野六九0番地
指定年月日 昭和七年三月一日
このサクラは、枝垂性(しだれせい)のエドヒガンザクラで、満開時にはあたかも花笠のようになり見事である。
枝垂性のサクラは県内各地の寺院に植樹されているが、清雲寺のエドヒガンザグラが最も巨大である。
応永三十年(一四二三)、当寺を開山した楳峯香(ばいほうきょう)禅師がお手植えしたものと伝えられている。
樹高 15.00メートル
目通り 2.72メートル
平成二十二年三月
埼玉県教育委員会
秩父市教育委員会
清雲寺事件は、江戸末期から明治初めの動乱期にこの寺で起こった事件です。
清雲寺事件と大炊御門尊正(おおい みかど たかまさ)の墓
秩父市指定史跡
慶応四年(一八六八) 二月二十三日、右大臣大炊御門家信公の嫡子尊正は、大宮郷陣屋の捕史により、悲運の死を遂げた。
この清雲寺事件は、上田野村名主と尊正一行に随行した同村出身の医師との長年にわたる確執に加え、関東検索という大命を帯び東下した尊正への幕藩の反発も絡んで起こされた悲劇である。
墓碑には左の碑銘が刻まれている
明治元年二月二十三日
大江公尊
佐々木五良 各墓
施主 相州築井氏
なお、同行した尊正の側室藤乃は、西秩父長留村の豪農の家に逃れて身を寄せ、数年後に清雲寺殺害事件を直訴して主君の無念を晴らした。
大炊御門尊正の墓は、清雲寺の裏手にある。
秩父市教育委員会
大炊御門尊正は王政復古の大号令によって、関東に来ましたが、その時はまだ官軍が東進中で、関東は幕府の支配下にありました。
そんな中で、起きた悲劇です。
西から来た公家衆は息高々に来たのでしょうね、東の人たちを見下した態度も取ったのかもしれません。
最後、大炊御門尊正を打ち取った役人は処罰されたのかもしれませんが、どちらが悪いとも言い難い事件に思われます。