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東京丸の内 静嘉堂文庫美術館に所蔵されている曜変天目茶碗

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丸の内、静嘉堂と言えば国宝の曜変天目茶碗です。

撮影は禁止の為、館内で配布されているリーフレットのコピーを付けました。

静嘉堂文庫美術館に所蔵されている曜変天目茶碗は、南宋時代(12世紀)の中国で作られた非常に貴重な茶碗です。

この茶碗は、黒釉の表面に虹色の斑点が浮かび上がる独特の美しさを持ち、まるで夜空に輝く星々のようです。

曜変天目茶碗は、現存するものが非常に少なく、その希少性と美しさから「幻の茶碗」とも呼ばれています。

静嘉堂文庫美術館の曜変天目茶碗は、その中でも特に保存状態が良く、多くの茶道愛好者や美術愛好者にとって憧れの的となっています。

この茶碗は、日本の茶道文化においても重要な位置を占めており、その美しさと歴史的価値から、訪れる人々を魅了し続けています。

 

1       国宝 曜変天目(「稲葉天目」)

建窯 南宋時代 (12~13世紀) 高 7.2cm 口径 12.2cm 高台径 3.8cm 重さ 276g

「曜変」 とは、 南宋時代に福建省の建窯(けんよう)で焼成された黒釉茶碗 “建盞” (けんさん)の一種で、 茶碗の内面にうかんだ大小の斑文の周囲に、 青から藍に輝く光彩があらわれたものをいいます。

今日では、 小さな高台(わん・皿・鉢などの底に設ける、輪の形の支えの台)に開いた口をもつ姿の黒釉茶碗を “天目 (茶碗)" と総称していますが、

そのうちの 「曜変」 は、 「油滴(ゆてき)」 「禾目(のぎめ)」 などと同様、 日本でつけられた分類名称です。

文献に登場するのは鎌倉時代末期のことで、はじめは 「 (窯) 変」 「容變 (変)」 と記

されていましたが、しだいに 「曜」 (輝く、星などの意味) の字が当てられるようになります。

偶然に焼き上がったとみられる希少性と、 その美しさによって、 「曜変」 は ("侘び茶” での評価を別として) もっとも高く評価されてきた茶碗でした。

今日、 完全に近い姿で現存する曜変天目は世界に三碗のみ、 大徳寺龍光院(りょう こういん) (京都)・藤田美術館 (大阪) と静嘉堂所蔵の各一碗で、 そのすべてが国宝に指定されています。

静嘉堂の曜変天目は、江戸時代初期より、 淀藩主・ 稲葉家に長く伝えられたため「稲葉天目」 とも呼ばれます。

徳川将軍家以前の伝来は不明ですが、 室町時代 足利将軍家における座敷飾りの秘伝書 『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』 の中で、 本碗の特徴と近い形容がなされた 「曜変」 (最高位の評価) の記載があり、そのコレクションであった可能性もあります。

わが国に宋代のすぐれた天目茶碗が多く蒐められているのは、中国で元時代に入ると「点茶法 (粉末の茶に湯を注ぐ方式)」 がすたれ、 代わって茶葉に湯を浸して淹す 「滝茶法(えんちゃほう)」 が始まり、 建盞(けんさん)が人気を失ったことがその理由としてあげられます。

またその時期、唐物趣味の隆盛をみていた日本において、 室町幕府が日明貿易で積極的にそれらを求めたため、とも考えられています。

【伝来】 ...柳営御物・徳川三代将軍家光→春日局→稲葉美濃守正則→淀藩主稲葉家→ (大正7年) 小野光景 (稲葉家親戚)→ 哲郎→(昭和9年) 岩崎小彌太→静嘉堂

 

1.1      曜変天目の素地土と高台削り(こうだいけずり)

土見せとする、底裏の高台の削り出しは精緻この上なく、 建窯に特有の鉄分を多く含む素地土も、きめ細かく上質のものが用いられています。 素材選び、成形の段階から、 特別の作品を制作する意図があったとも思われます。

 

1.2      ついに中国杭州で出土! 曜変天目の陶片

2009年、 中国国内からも曜変天目の美しい陶片が発見されて話題となりました。 出土地は南宋の都・臨安府がおかれた浙江省杭州市で、 当時の迎賓館か皇后の宮殿邸宅跡地とされる場所でした。 共伴遺物も高級品ばかりで「曜変」 は南宋の宮廷においても珍重された茶碗であったと考えられるようになりました。

 

1.3      徳川将軍家から春日局、淀藩主・稲葉家へ

幼少期病弱であった三代将軍家光のために "薬断ち”をしてきた乳母春日局は、晩年を得ても一切薬を呑みませんでした。

家光は曜変天目に薬湯を入れ、服用を迫りましたが、局は感涙しつつ飲んだふりをして衿元に流し込みました。

拝領した茶碗は、 稲葉美濃守正則 (春日局の孫) に伝えられ、 稲葉家代々に伝えられたことから 「稲葉天目」とも呼ばれます。

 

1.4      南宋時代 「尼崎台」 と組まれた 「稲葉天目」

岩崎家で添えられた天目台は、 曜変天目にふさわしい、 格式ある南宋時代の無文漆器。 これらが尼崎港から入ったという伝えから 「尼崎台」の名があります。

裏側には "蜈蚣(むかで)印” とよばれる朱漆のマークが書されています。

岩崎家で曜変天目を購入したのち、天下の名品にふさわしい台として、 紀州徳川家伝来の本作が組まれました。

 

1.5      近年解明!? 曜変の光彩のメカニズム

曜変天目の光彩は、そのものがもつ固有色ではなく、「構造色」によるものです。 焼成後の釉表に「磁鉄鉱質多結晶構造の表面層」 が形成され、そこに生じたシワによって光線が散乱、 回折を起こして光彩を発現するとされます。

曜変の光彩は青色が主ですが、角度によって色が変わる 「虹色構造色」 による呈色とも分類されています。

※玉虫の羽やCD ディスク表面に現れている色彩をいう。

 

1.6      岩﨑小彌太と曜変天目

昭和9年(1934) 曜変天目は、表立つことなく岩崎家に購入されました。

小彌太は 「天下の名品、 私に用いるべからず」 と、生涯一度もこの茶碗を使用しなかったそうです。

岩崎家での唯一の使用は、 小彌太の三回忌、 孝子夫人が熱海別邸の仏前で茶をしたときであったと伝えられています。

静嘉堂が世田谷にあった時から何回も見ている茶碗ですが、いつも他の展示物を圧倒しています。

 

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