昭和新山(しょうわしんざん)は、北海道有珠郡壮瞥町にある世界でも珍しいベロニーテ型(釣鐘型)の活火山です。
1943年(昭和18年)から1945年にかけて、有珠山の側火山として突如隆起しました。
もともとは平坦な麦畑でしたが、激しい地震とともに地盤が上昇し、さらに粘性の高い溶岩が押し出されることで現在の姿(標高398m)になりました。
赤茶色の山肌からは今も白い噴煙が上がっており、1957年には国の特別天然記念物に指定されました。
目次
1 昭和新山


昔より麓の木々が大きく育っているとの事でした。
特別天然記念物 昭和新山
指定 昭和32年6月19日
説明事項
昭和18年12月28日の地震に始まった有珠岳の活動は翌年6月23日海抜150mの東麓畑地に最初の爆発を起こした。
4ヶ月に渡る爆発の間に元の畑地は隆起し海抜300m底径1000mの饅頭状土塊(屋根山)を形成したが、この上に地下で固化した新溶岩が上昇し始め20年9月最高406.9m、底径350mの溶岩円頂丘に成長した。
頂面に円礫を乗せ側面に摩擦條線を印し、この様な型式で噴出した溶岩丘は世界でも稀である。
「摩擦條線」(さつじょうせん、英語: slickensides)は、地質学用語で、断層運動によって岩石のすべり面(接触面)に生じる傷や線状の構造のことです。

見る方向によって山の形が変わります。

昭和新山の観測を行った地元の三松正夫氏の像です。
山を買い取り私有地にしました。


昭和新山は昭和十八年暮れから二十年九月末にかけのどかな麦畑とアカバ部落を持ち上げ四ヶ月の爆発明を経て溶岩塔推上という珍しい現象を伴ってこの地に誕生した時は二次世界大戦末期の混乱下にあり厳しい報道規制が敷かれ火山学者の十分な調査研究さえままならない頃であった。
この様な中にあって地元の壮瞥郵便局長三松正夫(元)は明治四十三年の有珠山噴火体験時に受けた学者の教えを想起しこの火山活動を歴史の空白にしてはならないと冷静な観察眼で創意工夫と努力想像を絶する苦難を重ねて火山誕生の経過を語る貴重な資料を世に残された。
更に敗戦の混乱の中この新山を荒廃から護るため私的を投じて主要地域を購入。
万民の宝として保護に死力を尽くされ今日迄我々に自然のあるがままの姿を残された物の私利私欲を越えた行動の意味を後世に造りつぐためにこの像をここに建立する。
平成五年十二月二十八日
昭和新山生成五十周年纪念亭侯行委員会
2 有珠山
直近100年余りで4度(1910年、1943年、1977年、2000年)も噴火している非常に活動的な山です。
昭和新山は有珠山の子供みたいな火山です。



山頂駅すぐの展望台では洞爺湖や昭和新山を一望できます。
また白い水蒸気が立ち昇る火口も見学できるとのことです。

3 雪合戦発祥の地
村おこしの一環として1991年から2019年まで毎年全国からチームを募って雪合戦を行っていましたが、コロナで中断してからは開催が無いようです。

4 三松正夫記念館
郵便局長だった三松正夫氏が私財を投じて山を守り、その成長を記録した貴重な資料「ミマツ・ダイヤグラム」などが展示されています。

残念ながら行った当日は休館していました。
5 クマ牧場
最近は、わざわざお金を払って見に行かなくても、人里に出没するようですが、
ここでは約60頭から70頭のエゾヒグマが飼育されています。

如何でしたでしょうか。
麦畑にある日突然できた山。話を伺ってもびっくりしますが、当時その現場で成長するさまを見ていた人たちも随分驚いたでしょうね。



