円通院(えんつういん)は宮城県松島町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、1647年に仙台藩二代藩主・伊達忠宗が早逝した次男光宗の菩提を弔うため創建しました。
霊廟「三慧殿」は国の重要文化財に指定され、西洋文化を取り入れた厨子には日本最古とされるバラの絵が描かれています。
そのため「バラ寺」とも呼ばれ、現在は苔庭や紅葉の名所としても親しまれています。
境内には縁結び観音が祀られ、数珠作り体験やライトアップされた庭園散策など、訪れる人々に静寂と幻想的な時間を提供します。
瑞巌寺に隣接し、日本三景松島の景観とともに歴史と自然を味わえる寺院です。

ホテル松島大勘荘のお散歩マップ
目次
1 山門

圓通院山門
圓通院は、伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)光宗の霊廟で、正保4年(1647) 瑞巌寺第100世洞水(どうすい)和尚により開山されました。
山門は開山と同時に建てられたと考えられ、萱葺で一間一戸の薬医門(やくいもん)です。
礎石に立つ角材の本柱、支柱の間に控貫(ひかえぬき)と足元貫(あしもとぬき)を通し、柱の上に構架した冠木(かぶき)と直角にその上に渡した腕木で疎棰(まばらだるき)の一軒(ひとのき)を支え、腕木には3本とも中央に蓑束(みのづか)を立てて、大棟(おおむね)をうけています。
妻飾りに六葉を打った梅鉢懸魚(げぎょ)を付けています。反りの優美な軒出の深い屋根と清楚な角材の構成が調和しているのが特長です。
圓通院霊屋
2代藩主伊達忠宗の嫡男であった光宗の霊屋で、 正保4年 (1647年)に建立されました。
内部には光宗の騎馬像を祀る厨子があり、その華麗な彩色模様には政宗の好みが引き継がれています。
厨子内には騎馬像に付随して7軀の神将像が安置されており、早世した光宗に殉死した家臣を表していると言われます。
2 石庭
松島湾に実在する七福神の島を庭に表した庭園です。




3 三慧殿
伊達光宗公の廟です。

仙台藩2代藩主伊達忠宗の次男万助(万千代)は、幼少の頃から、文武に優れ、寛永16年(1639)江戸城中で元服し、3代将軍家光から1字を拝領して光宗と名乗りました。彼は朝廷から寛永20年には17歳で従四位下・侍従という官位を拝受しています。
正保元年(1644)10月には仙台に初入国を果たし、「3代藩主伊達光宗」誕生と誰もが確信していましたが、翌年2月に江戸に戻った年の夏に病を発症し、あれよ、あれよという間に病状は悪化。療養の甲斐なく9月4日に19歳の若さで亡くなってしまいます。
霊屋は、光宗公の死を悼んで伊達忠宗公が建立したものです。



三慧殿内宮殿型逗子


4 洞窟群


伊達宗高並殉死者供養塔
大小ともに安山岩製の宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、中央の宗高塔を、殉死者塔群が囲んでいる。
伊達宗高(慶長十二年(1607)---寛永三年(1626) 20歳)は藩祖政宗の七男。
母側室柴田氏。幼名長松丸。
長じて右衛門を称し、従五位下に叙任。刈田郡・柴田郡で三万石を領した。
寛永元年(1624)、蔵王が噴火、領民の迷惑を憂えた政宗の命で、明人、王翼と共に蔵王に登り、鎮静祈願を行った。寛永三年、父と共に上洛、京都で疱瘡(天然痘)に罹り、逝去した。
墓は領邑村田の宗高の法名を冠した曹洞宗龍島院に営まれている。
赤坂兵部を始め、侍女を含む十名が殉死した事は、宗高の人徳を示すものであろう。
松島に供養塔が営まれたのは、松島が古来浄土往生の霊場と認識されていた事による。
5 瞑想の庭
杉林と紅葉、山野草、苔で構成された庭です。


建武五年記銘板碑
石巻井内(いない)産の粘板岩を使い、中央上部に胎蔵界大日如来を表す梵字ア字、その下の年号を挟んで左右に二行ずつ造立の理由を刻む。
銘文には藤原氏出身の女性が、板碑造立の功徳によって自分の死後の成仏・安楽を願い、その功徳を法界に広く及ぼさんとある。
松島に近接する有力者の藤原氏は、国府(現仙台市岩切近辺)在住の留守(伊沢)氏が考えられる。
建武五年は北朝年号で一三三八年。
6 バラ園
「日本最古の洋バラ」は支倉六右衛門常長が、ローマから持ち帰った・・・。
伊達家が鎖国という時代背景に関わらず、 支倉六右衛門常長を通じて伝わった様々な西欧文化を、伊達家の秘蔵として当院三慧殿内の厨子に図案化して残してあります。
その中にローマを表わす「日本最古の洋バラ」の絵があります。
このバラ園は当時の偉業の象徴として、造成されたものであります。
ここにはその日本最古といわれる洋バラもあり初夏の頃には満開を迎え、 圓通院がバラ寺とも呼ばれる所以でもあります。
支倉常長については、「仙台市博物館・慶長遣欧使節が持ち帰った物展示」で報告。


7 遠州の庭
伊達藩江戸屋敷にあった小堀遠州作の庭を移設したと言われています。

伽羅の木 樹齢750年以上
名前の由来は、その材が香木「伽羅」に似ているためですが、全く別の植物です。
材に微かな香りがあり、それが希少な香料である伽羅に似ているとのことです。


圓通院本堂「大悲亭」
圓通院は、 正保2年(1645)に江戸で死去した伊達政宗の嫡孫光宗の廟所で、正保4年(1647) 瑞巌寺第100世洞水和尚によって開山されました。
本堂は、 光宗が江戸で納涼の亭として使用していた建物を海路で運び、この地に移築されたもので、圓通院本堂大悲亭と名づけられています。
屋根は寄棟造、 萱葺平屋の間造りで、 右室の奥に本尊 「聖観世音菩薩坐像」(松島町指定文化財)を安置しています。
像は、檜材寄木造、 漆箔で像高は63cm です。
境内奥にある光宗の霊廟 「三慧殿」は、昭和60年に国重要文化財に指定されています。


本尊木造聖観世音菩薩坐像


松島のお寺は瑞巌寺が有名ですが、この円通院の庭も一見に値する見事なものです。
8 水主町(かこまち)の民家
円通院を出て、右に曲がってすぐ右手にありました。
水主町(かこまち)の民家
水主町は瑞巌寺の東側に隣接した一画で、 仙台藩主などが松島遊覧をする際の御座船を操った水主衆が集団で住んでいました。
水主衆は瑞巌寺造営省時 (1605年頃)に地元や和歌山・静岡・愛媛などから雇用されてこの地に住みはじめ、多い時には48軒もの住居が建ち並びました。
住居の様式や建て方は藩に定められており、 茅葺 寄棟造りの屋根をかけ、表通りに面して出格子と部戸を設け、敷地の出入口には冠木門などを構え、 天井板は貼らないこととされていました。
この住居は昭和51年に最後に残った1棟で、 元あった場所から移築復元したものです。







